もし神様が一つだけ能力を授けると言ったなら。
「はい。では以上で面接は終了です。結果は一週間以内にメールでお知らせします。お疲れ様でした」
人事部に所属し採用試験の最終面接を取り仕切っていた甲斐田がそう言うと向かいに座っていた学生の表情から緊張が解けたのがわかった。
「ありがとうございました」と席を立ち礼をする学生に同席していた人事部部長の古田が声をかけた。
「あぁ君。ちょっと最後に雑談いいかい?」
古田はこんな風に毎回一通りの面接を終えた後、学生に雑談を持ちかける。この雑談が採用の合否に関係しているとは考えにくい内容だ。
例えば
『どこに旅行に行ってどんなことがしたい?』
とか
『君が浦島太郎なら誰をお供に連れて行く?』
とか
『ディスティニーランドに行ったらどんな順でアトラクションに乗る?』
とか
今回古田が学生に訊いたのは
「もし神様が一つだけ能力を授けると言ったなら、どんな能力が欲しい?」
だった。
椅子から立ち上がっていた学生の三柳悠太は再び椅子に着席し「神様……能力ですか……」と呟いた。そして顎にグーの形をした手を当て、しばらく考えた後、こう答えた。
「瞬間移動できる能力が欲しいです」
「なるほど。それはどうして?」
古田は三柳の顔を見て微笑みながら尋ねた。
「僕、朝がとても苦手なんです。ついでに満員電車も。なので、瞬間移動できる能力があれば出勤時間のギリギリまで寝ていられるし、満員電車に乗らなくてすむな、と思ったので」
「その気持ちわかるよ。私も朝は苦手だし満員電車も嫌だ」
古田がそう言って笑うと三柳も笑い出した。甲斐田は自分だけ笑わないのは悪いと思い愛想笑いをした。
◇
「はい。では以上で面接は終了です。結果は一週間以内にメールでお知らせします。お疲れ様でした」
甲斐田の言葉を聞いて向かいに座っていた女子大学生の宮原優子は、ほっと胸を撫で下ろす。
「ありがとうございました」と席を立ち礼をする宮原に古田が声をかけた。
「あぁ君。ちょっと最後に雑談いいかい?」
あぁまただ、と甲斐田は思う。三柳と同じ質問をしようとしているとこれまでの経験からわかる。古田に声をかけられて宮原の表情に緊張が走る。可哀想に。ほっとしてすぐまた気を張らないといけないなんて、と甲斐田は宮原に少し同情する。
「はい。大丈夫です」と言って宮原は再び席に着いた。
「もし神様が一つだけ能力を授けると言ったなら、どんな能力が欲しい?」
古田の質問は甲斐田が予想していた通りのものだった。どんな意図があってこんなことを訊くんだろう。でも、学生はみんな真面目に答える。
宮原も「少し考えていいですか?」と言った後、数分試行錯誤し、こう答えた。
「勇気が欲しいです」
「なるほど。それはどうして?」
古田は宮原の顔を見て微笑みながら尋ねた。甲斐田はこっそり『なんか、あ◯ぱんマンみたいだな』と一人ツッコみ雑談の間の暇を紛らわそうとした。
「例えば街中で困っている人がいると、何かお手伝いできないかなって思うんですけど声をかけられないんです。で、他の人が『大丈夫ですか?』とか『お手伝いしましょうか?』って自然に声をかけるのを見ていつも後悔します。だから勇気が欲しいです」
「君は優しいんだね。そうか勇気か。いい能力だね」
古田は深く頷きながら言った。あ◯ぱんマンみたい、なんて思って悪かったな……と甲斐田は一人反省する。
◇
「はい。では以上で面接は終了です。結果は一週間以内にメールでお知らせします。お疲れ様でした」
甲斐田の言葉を聞いて向かいに座っていた専門学校生の学生が微かにふっと息をつく。面接って息がつまるよな、と甲斐田は学生に同情する。甲斐田が面接を受けてから十年以上も経っているのに、面接というのはいくつになっても嫌なものだ。する方もされる方も。
「ありがとうございました」と席を立ち礼をする本山慶介に古田が声をかけた。
「あぁ君。ちょっと最後に雑談いいかい?」
はい、きましたー! 甲斐田は心の中で叫ぶ。
「何でしょうか?」と本山は椅子に座りなおして体を前のめりにする。
「もし神様が一つだけ能力を授けると言ったなら、どんな能力が欲しい?」
ですよね。三人目にも聞きますよね。
本山は「へっ?」と間の抜けた声を出すも、面接中だったということを思い出したのか真剣な表情になった。そして即座に答えた。
「異性を惹きつける魅力が欲しいです」
甲斐田は今まで聞いた中で一番自分勝手な答えだなと思いつつも、本山の外見を見て、そう答えたくなるのもわかった。本山は確かに垢抜けない雰囲気がある。ニキビの多い肌に硬そうな髪の毛。眉毛を整えている様子もない。
「なるほど。それはどうして?」
古田は両手を組んで顎の下に当てながら尋ねた。
「ご覧の通り僕はパッとしない外見をしています。性格も内気なので、学生時代は友達を作るのに苦労しました。でも、世の中には見た目がイケている、もしくは人を惹きつける愛嬌のようなものを生まれながら持ち合わせている人間もいます。
そのような人達の方が異性との出会いも多く、人生経験も豊富になるように思うんです。もし神様が僕に異性を惹きつける魅力を授けてくださったら、僕はいろいろな女性と付き合い自分の人生経験を深め、より豊かにしたいと思います!」
肝心の面接中はどの質問に対しても言葉少なだったくせに、本山は古田の雑談で一番の熱弁をふるった。
「なるほど。君の気持ちはよくわかる。僕も昔から肥満体質だし汗っかきだし周り、特に女子からは嫌がられたよ。思春期にあれはツライよねぇ〜」
古田は本山を労わるように言う。「はい。本当に辛いです」と項垂れる本山に古田が「でも、頑張って生きていこうね」と言った。それなりに恋愛を経験してきた甲斐田は蚊帳の外にいるような気分になった。
◇
「はい。では以上で面接は終了です。結果は一週間以内にメールでお知らせします。お疲れ様でした」
甲斐田の言葉を聞いて向かいに座っていた女性が「ありがとうございました」と言う。豊田花苗は転職組だった。「自分の可能性を広げたい」とか「私にしかできない仕事を」とか、いかにもありがちな言葉を面接中に連発していた。甲斐田は豊田に対する印象は特に何もなかった。
「失礼します」と言って席から立ち上がる豊田に古田が声をかける。
「あぁ君。ちょっと最後に雑談いいかい?」
忘れてた! 甲斐田は心の中で叫ぶ。豊田は立ち上がったまま数秒固まった後、「はい。大丈夫です」と再び席についた。
「もし神様が一つだけ能力を授けると言ったなら、どんな能力が欲しい?」
うん。安定の質問。と甲斐田は軽く頷く。豊田は全く困惑する素振りを見せなかった。これが社会人経験者の落ち着きだろうか。豊田はゆっくり口を開いた。
「指を鳴らすと料理ができる能力が欲しいです」
豊田を少し見直しかけていた甲斐田は、そんな自分を恥じた。マジック的な能力が欲しいなんて小学生並じゃん!
「なるほど。それはどうして?」
古田は馬鹿にするような素振りを見せず尋ねた。さすが部長。
「私、疲れちゃうと生活がとてもいい加減になってしまうんです。特に食生活が。それで体調にも影響が出たりして……だから、指鳴らすだけでバランスの良い食事が現れたら食生活はバッチリになって他のことにも余裕を持って過ごせるかな、と思ったので」
理由も小学生並に「だって楽しいから」とかだったらどうしようかと思っていた甲斐田は、まぁまぁ納得のいく豊田の主張になぜだかほっとしていた。
「確かに食生活は大事だよね。っていっても一汁三菜みたいな理想的な食事は用意できないよね〜。冷凍食品とか宅配弁当が充実している時代でよかったよね〜」
古田が笑いながらそう言うのに対して豊田は「本当そうです。昭和初期に生まれていたら私、生きていけません!」と答える。それを聞いて古田は「わはは! 僕も同じだ!」と意気投合する。そんな二人を見ながら甲斐田は「早く終わんないかなぁ〜」と思っていた。
◇
「はい。では以上で面接は終了です。結果は一週間以内にメールでお知らせします。お疲れ様でした」
甲斐田の面接終了の言葉を聞いて向かいに座っていた男性が静かに息を吐いた。原野良は障害者雇用枠で募集してきた二十代後半の男性だった。以前の職場で適応障害を発症し退職していた。
休職期間を経ての面接だったので、さぞかし緊張していたのだろう。時々、声が裏返っていた。自分にも他人にも嘘をつけない真面目な人間なのだろう。甲斐田がそんなことを思っていると横から古田の声がした。
「あぁ君。ちょっと最後に雑談いいかい?」
そうだ最後にこの儀式があるんだったと甲斐田は思う。原野が警戒心をあらわにする。でも、古田はそんなことおかまいなしに、いつも通り尋ねた。
「もし神様が一つだけ能力を授けると言ったなら、どんな能力が欲しい?」
原野は「え?」と戸惑い気味に首を傾げる。きっと頭の中は混乱しているだろうに「そうですね……」と考え始めた。しばらくの沈黙の後、原野は言葉を発した。
「語彙力が欲しいです」
消え入りそうな声だった。神様に授けてもらわなくても本とかたくさん読めば語彙力ってつくんじゃないの? 甲斐田はそう思った自分の意地悪さを密かに恥じた。
「なるほど。それはどうして?」
古田は興味深そうに体を前のめりにしている。
「ぼ、僕は自分の気持ちを伝えることが苦手だし、他人の気持ちに寄り添った言葉もなかなか思いつきません。だから、語彙力があったら自分にも他人にも納得のいく言葉で話せるんじゃないかと思ったんです」
予想よりも奥深い理由に甲斐田は感心していた。小さな声で「ほぉ」と言っていた。
「なるほど。君は思いやりがあるんだね。他人だけではなく自分にも優しくしてあげてね」
古田は慈悲深い眼差しを原野に向けた。
◇
「という訳で今回は『勇気』と答えた宮原さんと、『語彙力』と答えた原野さんを採用しようと思います」
古田は床に跪いて報告をした。
「そなたの考えに賛成じゃ。宮原さんと原野さんの答えは自分の欲求を満たすためだけのものではなく、きちんと他人のことも捉えておる。そこを評価したのだろう?」
「さようでございます」
「それならよいであろう」
「ありがとうございます」
古田が跪いたまま深々と頭を下げると神様は天から降り注いだ光とともに消えていった。
読んでいただき、ありがとうございました。