第一話③ 第一村人【サブロー】登場
「ひっ!」
「あー、ごめんー。怖がらせる気はなかったんだよー」
いきなりの登場に驚いたが、見た感じ、純朴そうな田舎の男子に思えた。
薄汚れたヨレヨレのシャツに、汚れで茶色くなった黒ズボン、つば広の帽子をかぶり、いかにも絵画から出てきた農民といった様子だった。年齢は二十歳前後くらいだろうか。常に微笑で糸目になっている目元とワンテンポ遅い喋り方が、いかにも温厚そうな雰囲気を醸し出している。
もし彼が悪人だとしたら、この世に善人なんていないだろう。そう思わせるほどに人畜無害な善い人オーラを放つ人物だった。
「いやー、なんか声がしたから来たら、知らない人がいてさー。一生懸命に頑張ってるみたいだから、終わるのを待ってたんだよー」
「え、いつから?」
「なんか『響けなんちゃら~』とかいう辺りだよー」
しのぶは一気に顔が熱くなった。つまり魔法の練習を最初から見ていたらしい。
「いえ、あれはその、ただ魔法が使えるかなって試しただけで……」
「魔法なんて使えるのは一部のエリートだけだよー」
「ふ、ふーん。そうなんだ……」
思いがけず有益な情報が知れた。この一件で、しのぶはこれから先、この世界に変な期待を抱かずにすんだ。
「それよりー、君はどっから来たんだいー? ずいぶん珍しい服を着てるけどー」
「それがわからなくて。気づいたらこの森にいて、私も困ってたの」
「うーん。なんか知らないけど、うち来るー?」
「え、いいの?」
「いーよー。うちは部屋が余ってるし、好きなだけいたらいいさー」
見知らぬ男の家にホイホイ行くなんて、現実世界なら抵抗すべき事案だろう。しかし異世界でようやく会った人だから、しのぶはこの好意に甘えるしかなかった。
× × ×
青年はサブローといい、この森の近くにある「ウマミ牧場」の三男坊だった。
実際、サブローの後について少し歩くと、すぐに森を抜けて、広大な牧草地が広がっていた。なだらかな丘陵はあるが基本的には見渡す限り平地で、山の影も何も見えない平坦な土地柄だった。
歩きながら、しのぶはサブローと雑談していた。
「いやねー、なんか牛たちが集まってるなーと思ったら声がしてさー。誰かいるのかと思ったら、女の子が一生懸命何か叫んでたから驚いたよー」
「とんだ失礼を……」
「まあ牛たちはビックリしたみたいだけどねー。ところで、しのぶは何歳ー?」
「来月で二十三歳よ」
「そっかー、じゃあジロー兄さんと同い年だなー」
「サブローは何歳なの?」
「オイラは十八だよー。うちは兄弟みんな五歳ずつ離れてるんだー」
「へえ。じゃあ一番上のお兄さんは二十八?」
「そーそー。一つ下のシローは五歳差の十三歳で、二つ下のゴローは十歳差の八歳ー」
「え、何人兄弟がいるの?」
「全員男の五人だよー。しのぶは姉弟いるのかー?」
「うちは一人っ子。だから五人も兄弟がいるなんて、想像つかないわ」
「そっかー。みんないい奴だよー」
こんな何の変哲もない会話をするのは何時ぶりだろう。しのぶはふと思った。だだっ広い牧草地を歩いたり夕暮れを眺めたりするなんて、最後にしたのは何時だろう。
いつもだったら何の生産性もないといって切り捨てるような時間が、この上なく新鮮に思えた。
サブローと共に歩くこと数十分。思った以上に牧草地は広大で、ところどころに建物がある。母屋までの道は遠いが、合間合間でサブローが牧場内を紹介してくれた。
「あれは牛舎でー、向こうに見えるのが鶏舎ー。あっちにあるのは、豚舎と羊舎だよー」
「すごい! サブローの家って大金持ちなのね」
「そんなことないさー。ただ色々な動物を飼ってるってだけだよー」
どうやら元の世界で飼育できる生物は、ほぼ飼育しているようだ。チーズやソーセージの話も出ていたし、食生活も現代とさほど変わらないらしい。
まさか食の不自由がないだけで、これほど安心するとは。それだけで大きな安心感を得ることに、しのぶは我ながら驚いていた。
獣舎を抜けると、母屋が見えてきた。しかし母屋の手前に、まったく人気がないアパートのような建物がある。
「あれは住み込みの使用人の宿舎だよー」
「へえ。何人住み込みで働いてるの?」
「今はいないんだー」
「ふーん」
なんとなくサブローの笑顔が陰ったような気がした。気にはなったが些細なことだと思い、しのぶはそれ以上追求しなかった。