表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無知な令嬢に罪があるのなら真実を明らかにしましょう  作者: NALI


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

67/74

第67話 仮面の真実



 仮面を落としたセリーヌを伴い、私はレオと共に回廊を歩いた。


 舞踏会の音楽は扉の向こうで遠ざかり、冷たい夜気が静かに肌を撫でていく。足元の大理石は月明かりを反射して鈍く光り、ヒールと革靴が響かせる小さな音だけが、三人の呼吸を繋いでいた。


 セリーヌは仮面をつけていない素顔を俯かせ、頬を真っ赤に染めている。揺れる栗色の髪が顔を隠すように肩へと流れ、震える吐息が夜の冷気に白く溶けた。


(……余計な注目を浴びさせてしまった。私が間違えなければ、こんなことには)


 心の中で舌打ちする。だが表情には出さない。王子が動揺を見せれば、彼女の羞恥はさらに深くなるだろう。


「……お送りいたしましょう」


 低く告げると、すぐ隣で歩いていたレオが一歩前へ出る。


「馬車まで僕もご一緒します。殿下、セリーヌ嬢」


 真っ直ぐな声。セリーヌは驚いたように顔を上げたが、すぐに視線を逸らした。


「……ありがとうございます、殿下。そして……レオポルド様」


 その声は小さく震えていた。だが耳を澄ませば、確かな安堵と……ときめきが混ざっているのがわかる。

 抱き寄せたのは私だった。だが、いま彼女の胸を高鳴らせているのは、隣で真摯に手を差し伸べるこの少年の方なのかもしれない。


 セリーヌは立ち止まり、裾をつまんで深く頭を下げた。


「レオポルド様……会場前ではろくにお礼も申し上げられず……失礼いたしました」


 侯爵家の娘が伯爵家の子息に頭を下げるなど、本来なら考えられぬこと。だが彼女は、礼を欠くまいと素直にその身を折っていた。


 レオは慌てて手を伸ばす。


「頭をお上げください。私は伯爵家の人間です。……それに、ここは回廊です。人に見られれば噂になってしまいます。今、セリーヌ嬢は仮面をつけていませんから」


 諭すような声音。その言葉にセリーヌはさらに頬を赤らめた。


 レオは少し困った顔をして、ちらりと私へ視線を送る。


「殿下、後ほど詳しくご説明いたしますが……姉上も私も、今日はセリーヌ嬢とご縁があったようです」


「……縁?」


 問い返すと、セリーヌがはっと顔を上げた。


「仮面……そうでした。会場に落としたまま……」


 その言葉に、胸がざわついた。


(仮面……。あれは本来、クロエに贈ったものだ。なぜ彼女がつけていた? クロエは気に入らなかったのか……いや、私の名を伏せて送ったから、受け取ってもつけてくれなかったのか?)


 考えを巡らせていると、レオがすぐに言った。


「僕が探して姉に返しておきます。ですから、どうかお気になさらず」


 セリーヌはその言葉にわずかに安堵し、レオを見つめる。


「クロエ様に……謝らなければ。お借りした仮面を……失くしてしまったのです」


 クロエの名が口にされた瞬間、心臓が跳ねて止まったかのようだった。


(やはり……クロエの仮面…… どういうことだ……?)


 耳鳴りがして、遠くで鳴る夜警の鐘の音すら霞む。喉の奥は焼けるように熱く、冷たい風が肺に入り込んでも呼吸が整わない。


 レオが切なげに微笑み、静かに告げた。


「姉とは学園でまたお会いできるでしょう。そのときに声をかけていただけるだけで十分です」


 セリーヌはその言葉に小さく頷いた。


 やがて、校門へと辿り着いた。広い敷地の奥に侯爵家の馬車が待ち、月光に銀の紋章が浮かび上がっている。御者が扉を開け、灯火が小さく揺れていた。


「こちらへ」

 レオが一歩前に出て、恭しく扉を開き手を差し出す。

 セリーヌは少し迷ったのち、その手を取って馬車に乗り込んだ。


 その直前、彼女は私を真っ直ぐに見つめる。


「……殿下。一曲しか踊れませんでしたけれど……夢のようでした。本当は……」


 そこまで言って、言葉を飲み込む。


沈黙のあと、別の言葉を選んだ。


「今日の日を、忘れないでしょう」


 気品に満ちた微笑み。だが、その瞳の奥には、未練の影がかすかに揺れていた。


 返す言葉を探す間もなく、私は黙礼をした。


 馬車の扉が閉まる音。

 視線を影の一人へ送る。


「カイル。護衛として同行せよ」


「はっ」


 どこに潜んでいたのか、気配を殺していた青年が音もなく馬車に寄り添う。

 セリーヌはその存在に気づかぬまま、蹄の音と車輪の軋みを残して闇へと消えていった。


 残されたのは私とレオだけ。

 静まり返った夜の校庭に、二人の呼吸と風の音だけが残る。


「……クロエの名を出していたな。どういうことだ」


 抑えきれぬ苛立ちが声に滲む。


 レオは真剣な眼差しを向け、慎重に言葉を選んだ。


「姉上が、セリーヌ嬢に姉上がつけていた仮面を貸したのです。入場前に壊れてしまったと聞いて……」


(……そういうことか。だから、あの仮面をつけていたのはセリーヌだった。私は――間違えて彼女を選んでしまったというわけだ)


 喉の奥が苦くなる。


「……レオ。お前と彼女の縁とは?」


「姉が仮面を取りに行っている間に、ミア嬢とセリーヌ嬢が口論していたので止めに入っただけですが……」


 少し考え込み、思い出したように言葉を継ぐ。


「そういえば……セリーヌ・ド・アルヴェール。あの方は幼い頃、アベル様の婚約者候補でした。しかし三歳の時に病に倒れ、候補から外れ……領地で療養していたはずです」


「アベルの……婚約者候補だった?……」


 私は息を呑んだ。だから前世で見た記憶がなかったのか。療養のため、社交の場に姿を見せられなかったからだ。


 それでも――


(クロエが……あの仮面をつけてくれていたのか)


「クロエは……あの仮面をつけていたのか」

 つい零れた言葉に、レオが目を見開いた。


「……殿下。あの仮面は、殿下からだったのですか?」


「あぁ……。お前にだけでも伝えておけばよかった」


 レオは唇を噛みしめ、そして小さく頷いた。


「では……殿下は本当は」


 その続きを口にできずにいるレオに、私は苦笑を返した。


「そうだ。私はクロエにダンスを申し込んだつもりだった。……冷静になれば、仮面だけで判断するなど、愚かにもほどがある」


 情けなさが喉に絡みつく。

 だが、次に落とされた言葉はさらに重かった。


「殿下……狙われたのは、セリーヌ嬢ではありません」


「……なんだと?」


「標的は……姉上、クロエです」


 全身から血が引いた。冷たい風が骨に染み込む一方で、胸の奥では燃えるような熱が広がる。


(クロエが……狙われていた……! あの仮面が目印になって……?)


 拳を強く握りしめ、奥歯を噛み締める。


「……詳細は別室で聞く。来い、レオ」


 月明かりの下、並んで歩き出した私たちの影が、石畳の上に長く伸びていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ