第61話 時の記憶
クロエはそっと息を吸い込んでから言った。
「……私、一度、死んでるの」
静かな空気の中で、その言葉だけがぽつりと落ちた。
レオは、目を大きく見開いたまま、言葉を失っている。
「私、牢屋に入れられて……スパイ容疑をかけられて……処刑されたのかな……倒れてからの記憶が無いの……でも誰も助けに来なかった。誰にも会わせてもらえなかった。 あのときの寒さと、孤独と、悔しさと、怖さ……ずっと忘れられない」
クロエの声が震えていた。けれど、目だけはまっすぐにレオを見ていた。
「でも、また目が覚めて……2度目の人生を生きてるって気づいたの。 それだけは、どうしても伝えたかったの……レオに」
沈黙のなかで、レオの目に涙が浮かぶ。
「姉上……」
「嘘じゃないって思ってくれる?」
レオは首を横に振った。
「思わないよ。だって、僕も……なんとなく、知ってたから」
クロエの目が少し見開かれる。
「え?」
「夢だと思ってた。全部、ただの嫌な夢だったんだって。でも……たまに、現実と重なる。デジャヴみたいに」
レオは、袖でそっと目をぬぐう。
「姉上が牢に入れられる夢を見たんだ。ずっと姉上に会えなくて、……僕は無力で何もできなくて……。怖くて……たまらなかったんだ」
「……」
「だから、夢とは違う行動をしてみた。 姉上に言わなかったのは、本当に夢かもしれなかったし、信じてもらえないと思って……。 “姉上がまた死んじゃうかもしれません”なんて……誰にも言えなかった」
レオの声は震えていたが、芯があった。
「でも、マクシムには話した。彼だけは、笑わずに信じてくれたんだ」
クロエはレオの手をそっと握る。
その手は少しだけ震えていたけど、温かかった。
クロエは、しばらく黙っていた。
けれど、レオの手を握る力が少しだけ強くなる。
「……ありがとう。信じてくれて、話してくれて、ありがとう」
声がかすれた。でも、ちゃんと届いた。
レオは一つ、深く息をついて言う。
「じゃあ……答え合わせ、しよっか」
クロエはゆっくりうなずいた。
「うん」
2人は向かい合って、記憶の断片を一つずつ重ね合わせていった。
どうして誕生日の夜にルーカスと会ったことを覚えているのか。
なぜ初めて会うはずのマクシムに懐かしさを感じたのか。
ルディスの姿が消えて、モーリスが裏切っていたと知ったときの、妙な確信。
全てが、「一度経験したことだった」から。
レオは言った。
「時間が巻き戻ったことを証明するものなんて、ないかもしれない。でも……心が覚えてる」
クロエは頷く。
「うん。わたしも……そう思う。わたしたちは、きっと、またチャンスをもらったんだよね。あのときできなかったこと、変えられなかったことを……今度こそ、って」
そして、2人は顔を見合わせて、ほっと微笑み合った。
――真実は、確かめられた。
けれど、これで終わりではない。
「これから、どうする?」
レオの問いに、クロエは空を見上げた。
「……わたし、もう逃げない。あのときの自分に……もう一度会えた気がしたの。だから、今度はちゃんと、自分の意思で、戦うって決めた」
風が、木々の間をすり抜けていく。
2人の背には、少しだけ春の匂いが混じっていた。




