閑話「オリキャラ・サブタイ設定 シタン・教隕・その他」
・無宝無惜
守るような宝も無く、名誉だとかの惜しむものも無い。
あるいはそうであるかのように振る舞う様子。
有り体に言えばヤケクソとか開き直り。
ユナカイ→愉快な
どちらかと言えば愉快犯なのは「いつき」の方。「いつき」が異変に加担してる動機は縊り鬼が冷遇されてるからだが、別に義によって立っているとか是非曲直庁に反省を促すとか大層なものじゃなく、「暇のついでに性悪を満たす言い訳にできるじゃん」程度の認識。(閑話で説明するタイミングがこの後に余り無さそうなのと、本編で鍵を握る要素ってわけでも無いのでひとまずここで動機を開陳)
正邪のあれは愉快犯とかよりも人生かけた生き様な気がする。
紛い鬼→どっちも種族に「鬼」とあるが正統な鬼ではない。
・降天湧地
降って湧いた。突然現れたのをインパクト盛った表現。
ヒノリカ→光の
巨人→文字通りに天を衝く人型非実体。偶像を持たない「ねひりん」様。我執のメガストラクチャー。
・瀑礫隕泗
滝に流される礫と、目からこぼれる落涙。急速に落ちたり降ったり下したりする例え。
カナシイ→甲斐なし
神→ピンチをちょっと紛らしただけで勝敗にそれほど影響しなかった神様と、勿体つけて乱入しといて何もせずに退場した神様。
10.大戸囷 之覃 (おおとのくら・シタン)
・悠々漠処
落ち着きがあり、目的を持ったり焦ったりする様子も無く、故に立ち位置が定かでないor全くない有様。
怪しいというより、立場や相手を選ばない公平中立の人であるとか、あるいは考えなしの大バカ。ハッキリとどっちつかず。
クビサラ→クサビラ(茸)
・外見イメージ
多分そこそこ神様っぽい格好。あるいは外の世界と出入りしてるので小洒落てるかも。
多分見た目の威厳はあまり無く親しみやすい雰囲気。ほぼ常に笑顔。
脳内代理アバターは「突撃! パッパラ隊」のシルヴィー。
・経歴
種族はクサビラ神。キノコの神様。
外の世界と幻想郷とを旅行感覚で行き来してるが、ここ何十年は全国的な信仰不足もあってか、何となく幻想郷に居る事の方が多い。幻想郷は相性と住心地が良いらしい。「海がなくて大きな湖がある土地だからかも」との事。
幻想郷では角が立たない程度に浅く広く、菌糸のように足場を固めており、妖怪の山以外にも仮の宿がピンからキリまであちこちにある自由人。
前々から守矢の二柱とは交流があり、提携して新ビジネスのキノコ栽培に協力。更にコネ作りの過程で知り合っていた「ねひりん」から、山での集会を許可してもらうよう口添えを頼まれたのを機に、守矢に「ねひりん」を紹介した。
他者から見ると非常に大らかな性格で、不届きな扱いを受けても怒りも困りもせず、相手がマジギレしててもマイペース。本質としては、何にも期待せず執着もしていないある種の中道。
「ねひりん教」との関係は大体パトロン。外の世界に信仰残せてる神様が別の教えに入る理由もない。
「ねひりん」の教義が後ろ向きながらどん底の人を少しマシにするやり口なので、自分の能力に似てるかもと思ったシタンが、「『ねひりん』人気の煽りで効能が近い自分の信仰も増やせたらラッキー」程度の狙いでやってる。
穏やかで大した欲も無いが、かわせる厄介はかわして、いただけるものはいただけるだけ持っていく「良い性格」してる面がある。泥仕合ウエルカムの安定志向。
・「禍福をナラす程度の能力」
よりぶっちゃけた表現をすれば、「どん底をギリ回避させる程度の能力」。こっちが本来の能力でキノコは後天的なもの。
幸福も不幸も抑制する力を持ち、時と場所と場合によっては、運気気質、天地の流れすら引き止める。
ある時期、餓死確実な人々を能力でギリギリ生かす事に成功。それ以来、キノコに絡めた信仰がドカッと入るようになってキノコを操るのも得意になった。
それからは楽ができそうなら横着して、時に強引なほどのキノコプッシュで解決しようとする。贈答品はキノコばっかりだしご飯も三食キノコが付いてくる。
ご利益は幸福の酔いを冷ましたり不幸の底で投げやりになる事を防いだりといった厄除け、及び土地や方位から来る禍福の偏りを整える方位除けなど。
気勢も戦力も大きく有利だった魔理沙・文が「ちょっとした不幸」で逃げた天子を見失ったり流れ弾に見舞われたりしたのも、霊夢が放った後の針が間欠泉に吹き上げられて霊夢達を襲ったのも、天子が突然舞い込んだ厄介を自力で払おうと再起する程度に持ち直したり他所の弾幕が流れ込んでも全く問題にならずに済んだのも能力。
クサビラ神の居処である屋敷で貧乏神の不幸を夕方の日常系テレビ番組での小さな事件程度に抑制したのも、紫苑が一発逆転の気運漂わせて全てをドン底に突き落としかねなかったのを紫苑限定の極大不幸で帳消しにしたのも能力。
ただし、どんな形で幸不幸が抑制されるかは能力の管轄外。今回こういった結果になったのは全てその場の成り行き。
・その他
クサビラ神の逸話を読んで「飢饉を救済するにしてはキノコは低カロリーすぎないか。食べ過ぎるとリスクもあるし」と思ったのをきっかけに設定を膨らませた。
囷→菌 之→芝 覃→蕈
この命名法則で名字を大戸耳(茸)にしていたら読みが「おおとのじ」で元ネタに一層絡められそうだったけど、男女一対の神の一方に寄せるのは片手落ちな気がしたのでやめた。
11.三千久辺 教隕 (みちくべ・きょういん)
・前光配尊
後光が最前面で輝き、本来照らされるべき対象が光の引き立て役に回っている。
台無しな事、あってはならない事、あり得るはずのない矛盾した事。
あるいは謙虚や遠慮が過ぎて損をしている人。
アベコベ→あべこべ(『べ』と『べ』が入れ替わってる)
・経歴(一部)
種族は自称・信霊。
「ねひりん教」という、デタラメのおとぎ話と今が惨めな人たちの言い訳とを短絡的に結びつけただけの宗教もどきが、哲学も道徳も無い無知で身勝手な信仰を募らせて、依代も無しに形を得た存在。
本来ならそうなる事はあり得ないかもしれないし、ましてや聖を相手取るような力なんて得られないかもしれない。
しかしオカルトボール騒ぎから続く噂が具現化する現象がここに一役買っている。
本気で「ねひりん」に救いを求めてる層の信者は言うに及ばず。
まず、「ねひりん様」のおとぎ話からして伝統的な神話と所々食い違うので、話半分で聞く者は「あり得ない話」とすぐに認定する。けったいな歴史トンデモ新事実。そもそも何をどう信仰すれば良いのかすら明文化されていないし、逸話通りなら信者になるという事はご先祖様が“かわいそうな連中”で自分はその血と醜態を受け継いでると認めるようなもので、一般論としてイメージが悪い。
次に「ねひりん教」を具体的に説明するのは「ねひりん様」の逸話だけであり、教祖だから敬うべき存在だとかそんな教義は一切ない。教祖という神輿をどっかの誰かが突然担ぎ出して、その内に信者達がファクトチェックもせずに「そういうものなんだな」と前に倣って今の形が出来上がった。大抵の信者は寄りかかる相手を求めているので都合も良かった。
部外者には噂同然の与太話で、信者達には他の神仏よりもずっと「俺の・私の役に立ちそう」な宗教という温度差。そして「ねひりん教」が知れ渡る以前から「教祖は実在する」という了解が既にあった事で、具体的な一個人の形で「ねひりん教」の象徴が出来上がった。
行動原理の殆どは、信者の期待に唯唯諾諾と応じる事。
教祖として振る舞っているのも、信者たちがトップという責任を教隕に丸投げしつつ下支え(あっても無くてもいいものまで含めて)する事で「教祖はわしが育てた」とふんぞり返る事ができるから。
正邪に同調しているタイプの革命派も大半が、志を持つ自分に酔っているか、信者からの敬愛であるとかの美味しいトコだけを丸かじりしたい者たち。むしろ無意識に、自分たちが日頃しているようなやっかみを浴びる事になる指導者などという地位は余計なお荷物と思っている節さえある。心底困窮してお綺麗な人格のままでは居られなかった者たちが信者になるので仕方のない事。
・「光の巨人を降ろす程度の能力」
信者達の「ねひりん様」への漠然としたイメージの最大公約数として、教隕自身とは直接関係の無いねひりん信仰の捌け口のようなものとして、教隕経由で信仰が光の巨人を形作る。(教義に『教祖だから血筋が濃い』みたいな特別な設定はこれっぽっちも無く、教隕は言わばねひりん信仰の広告塔のような立ち位置)
具体的に「ねひりん様」に何が出来るかなんて共通認識も無いため明確な能力を持たず、明日を考える余裕もない手合の「とにかくなんか少しはマシになるんだろう」といういい加減で全身全霊な祈りが原動力であるため、分かりやすいセンセーショナルな機能は持たないがとにかく馬力が高い。不幸な人の世の中への恨み節くらいエネルギー溢れてるし、誰にも労りもされずむしろ追い打ちされてそれでも自己責任で生き抜いた人の価値観くらい頑丈。
人型でさえあれば複数体呼べるし、一部分だけ出現させる事も出来るし、巨人と言いつつサイズも自由自在。
擬似的な六本腕になったり光る増毛キャンペーンしたりパンチだけ発射したり細かな部位を繋ぎ合わせて気鋼闘衣っぽくしたり腰から長い胴と足を生やしてケンタウロスごっこができたりする。
・その他
そもそも「ねひりん教」がどうやって誕生したのかとかはもう少し後で。
シタンの経歴を一部修正。
「ビスネジ」で守矢が「シタンのツテから『ねひりん』と繋がってた」と書いたのに、こっちでは「シタンが守矢神社の紹介で『ねひりん』に協力した」と書いてしまったので訂正。




