第77話(後)
「どどど、どうしましょう!?」
狭い部屋にふたりきりになったところで、抑えていたものを開放した。
壁が薄いため小声になるが、それでも頭は混乱していた。
「バカ。落ち着け」
「落ち着けませんよ! 一応はマスコミなんですから、晶さんを狙ってきた線だってあるわけですし……いつもみたいに、追い返しますか!?」
これまでの様子から、普通に考えれば『有名な地域情報誌がこの店を取材に訪れた』と捉えられる。姫奈は一瞬その意味に驚き、喜んだ。
しかし、地域情報誌の記者とはいえ、入店から現在までそういう素振りを見せなかったとはいえ――晶絡みの警戒心が再び強くなった。悪い方の可能性が拭い切れなかった。
いっそ店の扉に『マスコミ関係者の入店お断り』の張り紙を掲示したいぐらいだった。
「シロかクロかなんて、私にも分からん。そもそも、この名刺自体が偽物の可能性だって有り得る。……そういうの疑い出すと、キリが無いんだよ」
「それじゃあ、どうしてこんな有名な雑誌がウチに取材に来てるんですか!?」
「ウチが最高の店だからに決まってるだろ!」
落ち着けと言わんばかりに、姫奈は晶から両肩を掴まれた。
「私とお前でここまでやってきたんだ! どこから聞きつけたか分からんが、こうして認められたんだ!」
女性から、これ以上無いぐらいの言葉で褒められたことを思い出した。
一定の発言力を持っている人間から、評価されたのだった。
「しっかりしろ! お前はもっと、自信を持っていいんだよ!」
晶の隻眼から、力強い眼差しを向けられた。
自信。
この言葉が、姫奈にはなんだか懐かしく聞こえた。まるで、ずっと忘れていたようだった。
――自信って、何かに成功したからこそ付いてくると思うんです。
晶と出会った時の、かつての台詞を思い出した。
そう。自信を得るには、それに基づく確かな根拠が必要だった。
記者からの感想を思い出す。
こうして評価されたことは、この店で働く人間として、ひとりのバリスタとして――これ以上無い、充分すぎる根拠だった。
自信を得たからといって、すぐに何かが変わるわけではない。
自分を信じて、胸を張って、堂々と生きよう。わたしには、その資格があるんだ。
ただ、姫奈は少なくとも、そう思った。
「わかりました。晶さんはこの取材、受けてもいいんですね?」
一呼吸してようやく落ち着くと、晶にその旨を確かめた。
「ああ、構わない。というか、取材自体はあらかた済んでるだろ。良いように言ってくれてたしな」
「そうですね。それじゃあ、戻りましょうか」
晶と笑い合うと、姫奈はスタッフルームの扉を開けてキッチンへと戻った。
ふたりの姿と向き合うと、女性記者は席から立ち上がった。
「単刀直入に伺います。この店を載せさせて頂いても、よろしいでしょうか?」
やはり、雑誌掲載のための取材だった。
この店が有名な地域情報誌に取り上げられる。込み上げる喜びを噛み締めながら、姫奈は晶に目をやった。
「私がこの店の店主だ。掲載自体は構わない。さっき言ったみたいに、ベタ褒めで書いてくれ」
「はい。そのつもりです。ただ、念のため確認しますけど……」
記者は晶をじっと見た。
「この店って、良い意味で隠れ家みたいな感じなんですよね。掲載されると賑やかになる可能性がありますけど、構いませんか? それに、事情はさておき――マスターさんが大勢の人目に触れるかもしれません」
平穏が乱れることを彼女なりに危惧しているのだと、姫奈は理解した。
晶の正体にも気づいているようだった。それを含め心配してくれる気遣いが、有り難かった。
「ここ最近は充分に賑やかだから、構わんよ。それに――私はこいつの姉の澄川晶だ。何を勘違いしてるのか知らないが、ひとりのつまらない人間だ」
晶は不敵に笑い、頷いた。
記者はそれを確認すると、トートバッグから一枚の紙を取り出した。
「わかりました。それでは、こちらにサインをお願いします」
雑誌掲載の承諾書だった。姫奈は受け取り、晶とひとしきり目を通した。
店を雑誌で紹介すること。店の写真を掲載すること。記事の事前の確認、および修正申し出は受け付けないこと。
主にそれらの旨が書かれ、誤認を誘発する恐れのある文面や突っかかる点は、特に無かった。
晶は『天羽晶』と本名で署名し、返した。
「ちなみにですけど……どうやってこの店を知ったんですか?」
姫奈は気になっていたことを、承諾書を仕舞う記者に訊ねた。
「口コミですね。味も雰囲気も良い感じのカフェがあるって耳にしたんですけど……ネットを調べても全然引っかからないから、実在するのか確かめるしかないじゃないですか」
この店の評判が人から人へと移り、こうして記者の耳にまで入った。
それが嬉しい一方で、隠れ家というより都市伝説みたいになっていたんだなと、姫奈は苦笑した。
グルメサイトの登録も無ければ、店のウェブサイトやSNSアカウントも存在しなかった。少なくともEPITAPHである内は、それらとは今後も無縁だろう。
「ああ、そうだ。店の情報が全然無いことを忘れてました。営業時間と定休日、教えて貰えませんか?」
「朝八時半から夕方六時半まで。来月から第二と第四の日曜が休みだ」
「あれ? いつ決めたんですか?」
「たった今決めた」
そんな適当でいいのかなと、姫奈は呆れた。
営業時間はこれまで通りだが、平日ではなく繁忙日の日曜日を定休日にあてた。高校生の自分との時間を過ごすためだと、晶の意図を理解した。
「最後に、店員さんの写真を撮りたいんですけど……」
その言葉に、キッチンに並んでいた姫奈と晶は顔を合わせた。
「私はただのマスターだから、こいつひとりを撮ってやってくれ」
「まあ、そうなりますよね……」
マスターとは言いつつも、店頭に立つ時間は晶の方が遥かに多い。
それでも晶の写真は絶対に雑誌に載せられないので、姫奈はしぶしぶ従った。
「ちょっといいか? 写真撮るの、三十分待って貰えないか? 一杯ご馳走するぞ」
「ええ。構いませんけど……」
晶は携帯電話を取り出し、誰かと話した。
その通話から、約十五分後。店の前に自動車が停まる音が聞こえた。
「お待たせ! ウチのメイク部隊、連れてきたよ!」
「ええ!? 林藤麗美!?」
店の扉を開け颯爽と現れた麗美に、記者は驚いた。
どうすればこの短時間で移動できるのか姫奈は疑問に思うも、答えは永遠に出ない気がして、考えるのを止めた。
麗美の存在も、店の前のロケバスに連れて行かれるのも、何もかもが恥ずかしかった。
芸能事務所のプロメイクアーティスト三人掛かりから、姫奈は化粧を施された。たった十分のあくまでもナチュラルメイクだが、別人のようになったと鏡を見て思った。
「いいね、姫奈ちゃん。ばっちりじゃん!」
「もう好きにしてください……」
ロケバスから降りると、麗美と晶が反射板を持っていた。
二月にしては青空の広がった午後。明るい世界だった。
「それじゃあ、撮りますね」
姫奈は店の扉の前に立たされた。
反射板の光を受け、雑誌の記者からカメラを向けられ――自分の置かれている状況が、未だによく分からなかった。
緊張よりも、なんだか現実味が無かった。
しかし、これまで積み重ねてきたものが確かな手応えを与えた。
この店での経験を、ふと振り返る。
去年の春の日。
人生で大きな挫折を味わった。自分の価値が分からなかった。
自信を失くしていたところに、晶と出会った。
晶に憧れ、自信を取り戻すためにアルバイトを始めた。
晶と共にこの店を、そして自分自身を成長させ――現在こうしてカメラの前に立っていることが、成果としては充分だった。
認められた。報われた。
何物にも代え難いものを手に入れた。
これまでの経験が、自分の中に宿った大きなものが、姫奈の背筋を伸ばした。
そして俯き気味だった顔を上げ、眩しさの中――自然と笑みが漏れた。
聞こえたシャッター音と共に、喜びを噛み締めた。
そう。こうして、自分を信じられる確かな根拠を得た。
ようやく掴み取ったのだ。
恥や後ろめたさは無く、自分の価値を信じて――胸を張ってこの世界を歩ける日は、きっと遠くない。
「お疲れさん。いい笑顔だったぞ」
撮影が終わると、晶が片手を上げた。
「はい!」
姫奈は晶に近づき、ハイタッチをした。
パン、と。乾いた音が青空の下に響いた。
悴んだ手にじんわりと痛みが広がり、晶と笑いあった。
「よくやったな。お前は私の――」
次回 第29章『新しい季節へ』
自信を得た姫奈は、充実した日々を送る。




