第67話(後)
「……そろそろ四時だろ、たぶん」
携帯電話を触っていると、晶がむくりと上半身を起こした。
晶の言葉通り、携帯電話の時計は午後四時過ぎだった。アラームやバイブレーションの動作は無いのにどうやって起きたんだろうと、姫奈は疑問だった。
「おはようございます……」
「よし。風呂入るぞ。服脱がせてくれ」
「は、はぁ……」
ぼんやりと眠たげな表情で、晶は両腕を上げた。
姫奈は幼い子供の世話をするように、晶の衣服を一枚ずつ脱がせ、最後に医療用眼帯を外した。
「ああ、そうだ。たぶんガチの温泉だから、外しておけ。変色するかもしれないからな」
晶は右手の指輪を外し、テーブルに置いた。姫奈もその隣に並べて置いた。
「タオル巻いてください!」
まだ明るいところでの裸体は見慣れていないので、姫奈は恥ずかしかった。
部屋にバスタオルの控えと浴衣が備え付けられていたので、それらを引っ張り出した。
「すぐそこに風呂あるんだから、別に巻かなくてもいいだろ。先に行ってるぞ」
しかし、晶は全裸のままバルコニーへと出た。
姫奈は呆れつつも自身も入浴の準備をし、バスタオルを身体に巻いて後に続いた。
「わぁ……」
夕陽が海に沈む景色は、普段の日常で何度も見てきた。
見晴らしがいいからか、バルコニーの柵越しに見えるそれは地元に比べ、とても美しかった。
バルコニーに裸体で出ることは、誰かの目が無いか不安なところもあったが、吹き飛ぶぐらい圧巻の景色だった。
だが、それも一瞬。あまりの寒さに身体だけでなく歯もガタガタと震え、姫奈は桶で風呂湯を浴びた後、慌てて湯船に入った。晶と並んで座った。
実際の温度は分からないが、身体が冷えたからか、最初はとても熱く感じた。
「気持ちいいですねぇ」
暖かい湯に、首から上に触れる乾いた空気。そして、開放感のある頭上の空。眩しい夕陽。
晶の部屋の風呂とはまた違った心地よさがあった。
「温泉なんて久々だ。たまには、こういうのもいいな」
「そうですね。また連れてきてください」
しばらくの間、ふたり並んで湯船に浸かっていた。
ふと、姫奈の肩に晶の頭がもたれ掛かった。
姫奈は隣に振り向き、晶と見つめ合った後、キスをした。
「次来るにしても、露天風呂付きの個室にしような」
晶から、湯船の中で太ももを触られた。
「やっぱりこういうお風呂って、こういうことなんですね……」
「バカ言うな。大浴場で知らない誰かと一緒に入るのが抵抗ある人とか、足腰が悪くて移動な困難な人とか、考えてみろ」
「それでも?」
「私の偏見かもしれないが、大半の利用者はこういうことだな」
姫奈は再び晶と唇を重ね、舌を絡めた。
そして、晶の肩を掴むと抱き寄せ、背後から身体を重ねた。
腕の中の存在が、ただ愛おしかった。
「晶さん。大好きです」
「私もだ。お前が欲しい」
静寂の空の下、バシャバシャと湯船を乱す音が響いた。
ふたり共のぼせるまで、露天風呂を満喫した。
*
「ぷはぁー。最高に美味いな!」
風呂から上がり、晶は浴衣を少しはだけさせながらも、部屋の冷蔵庫から缶ビールを取り出していた。
姫奈も、冷えたジュースを飲んだ。のぼせた身体にはとても美味しかった。
時刻は午後五時頃だった。姫奈はふと思い出し、テレビをつけた。
「これに結月さん出演してるんですよ」
舌や耳など芸能人の感覚が一流かどうかを、様々なもので比較して見極める番組だった。
丁度始まったところで、まずは概要が説明されていた。
「あー。いつぞやにワインでやったアレか」
「あれからすぐ、麗美さんがねじ込んだみたいです」
「ふーん。私達も現役の頃に出ればよかったのにな」
冒頭の出演者紹介で、アイドルグループが居た。
「三人とも一流だったんですか? 誰か足引っ張ったりしません?」
「誰とは言わんが、それはあったかもな」
「あははは……」
ふたりで番組を観た。
ハラハラ見守りながらも、結月は順調に正解を選び続けた。
舌が必要なものは見た目だけで判断し、晶もまた結月と同じ回答だった。
午後六時半になると予定通り、夕食が運ばれてきた。
海鮮の会席料理であり、姫奈の目でも豪華だと分かった。
魚介類の今まで味わったことの無い美味しさに、姫奈は感動した。晶も満足そうに酒が進んでいた。
結局、結月と晶は全問を正解した。
姫奈は晶に拍手を贈り、結月にはおめでとうございますとメッセージを送った。
番組が終わる頃に旅館の従業員がやって来て、食事の片付けと、そして布団を敷いてくれた。
時刻は午後九時過ぎだったが、姫奈は二日近く寝ていないところに満腹になったため、強烈な眠気に襲われた。布団を見ると、今すぐ入ってしまいたいと思った。
「わたし、先に歯磨いてきます」
だが、まだ寝るわけにはいかない。
折角の特別な夜を、晶と楽しみたい気持ちがあった。姫奈はなんとか眠気を堪えながら、歯ブラシを動かした。
洗面室から戻ると、ふたつ並んだ布団の上に、晶が倒れ込んでいた。
「晶さん? まだ寝る時間じゃないですよ? 起きてくださいよ!」
姫奈は慌てて晶を揺するり、挙げ句に浴衣の上から胸に触れるが、晶は全く反応しなかった。
とても満足そうな表情で、寝息を立てていた。
ふと、窓辺の小さなテーブルを見ると、わざわざフロントから取り寄せた酒の瓶が空になっていた。食事後も飲んでいたが、まさか全部飲みきってしまうと姫奈は思わなかった。
やっぱり、昼間に酒難のお守りを買っておくべきだった……。
最後に、酒への憎しみを込めながら――姫奈もまた、意識が遠退いた。




