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胸を張って歩ける日まで  作者: 未田
第13章『元の関係』
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第32話

 八月になった。

 エアコンのタイマーが切れて蒸し暑くなった自室で、姫奈は目を覚ました。

 ベッドに寝たまま枕元の携帯電話を見ると、時刻は朝の七時だった。カーテンの隙間から、強そうな日差しが漏れていた。

 時刻を確かめたついでに、メッセージアプリを開いた。空閑八雲との会話を見た。


『ありがとう』


 八雲から送られた写真の後、自分が送ったメッセージが最後だった。既読マークはついていた。

 ナイトプールへ遊びに行ってもう一週間になるが――あれからお互い、電話も含め何の会話も交わしていなかった。


「……」


 姫奈は、携帯電話を持った腕を脱力気味にパタンと下げた。

 せっかくの夏休みだというのに、気分は浮かなかった。


 現在でも、水影に照らされて微笑んでいる八雲の顔を思い出す。あの時の言葉を、忘れるはずがなかった。

 八雲のことは姫奈も好きだった――友達として。

 心許せる仲であったが、キスをするような仲ではないと思っていた。このすれ違いに、一週間ずっと悶々としていた。

 素直な気持ちをを伝えられたところで、姫奈には応えることは出来なかった。ただ、八雲からの好意が苦しかった。

 この苦しみを解消するには、八雲と友達に――『元の関係』に戻るしかない。

 戻りたい。

 しかし、それは自身の一方的な都合なのだ。

 交わることのない互いの気持ちを、どうすればいいんだろう。そう悩み続けるが、一向に答えは出なかった。

 しばらくぼんやりとした後、アルバイトに行こうとベッドから起き上がった。



   *



 まだ朝の八時半だというのに日差しは容赦なく照りつけ、セミはうるさく鳴いていた。

 日傘をさしながらアルバイト先に向かうと――降りたシャッターの下に、紙切れが挟まっていた。

 夏祭りの案内状だった。

 隣街――姫奈の地元の神社で、毎年八月末に夏祭りが行われていた。そこでの屋台の出店に関する内容だった。

 わざわざ隣街のカフェにまで声をかけるなんて、よっぽどヤバいんだろうな……。姫奈はそう呆れる一方で、去年のことを思い出した。

 去年、塾の夏期講習の帰りに八雲と立ち寄ったのだった。


「……」


 楽しかった思い出なのに、現在はなんだか胸の奥がズキンと痛んだ。紙を破り捨てたい気分だったが、晶に見せないといけないのでそうはいかなかった。

 姫奈は鍵でシャッターを上げ、扉を開けた。メッセージボードと向日葵の鉢を表に出した。

 麗美に持ってきて貰った向日葵は枯れることなくすくすくと育ち、大きな黄色い花を咲かせていた。

 太陽を目指して伸びているような健気さが――姫奈には眩しかった。


 店を開けて一時間ほどすると、朝食の入ったコンビニ袋を持った晶が現れた。

 カウンター席の客の後ろを通り、スタッフルームに入った。姫奈は急冷アイスコーヒーを一杯淹れ、差し入れた。

 客が出ていき一段落ついたところで、晶が顔を出した。


「なんだこれ?」

「来たら、シャッターに挟んでありました」


 キッチンに置いていた夏祭りの案内状を、晶は手に取った。


「ふーん……」


 紙切れの内容と、洗い物をしている姫奈を交互に眺めた。


「どうした? いつものお前なら『晶さん、うちも出しましょうよ!』ってなるはずだろ?」


 わざわざ声真似までされたことに姫奈は不快だったが、確かに晶の言う通りだった。

 気分が沈んでいなければ――そして、思い出の無い夏祭りでなら、きっとそのような提案をしていただろう。


「夏祭りの露店でコーヒー出すのは、流石にどうかと思いますよ」


 しかし、姫奈は本音を話せなかった。適当に誤魔化した。

 あくまでも自分と親友の問題であるため、晶には関わって欲しくなかった。知られたくなかった。


「私だってそう思う。大体、暑いし人いっぱいだし、どうも夏祭りは好かん」


 もし提案しても晶さんなら文句を言うだろうな――思っていた内容に近いものが返ってきたため、姫奈は失笑した。


「でもな、姫奈――最近、お前変だぞ? なんか元気が無いというか……。何かあったのか?」


 晶は隻眼を姫奈に真っ直ぐ向けた。

 言葉通り、心配した――何かに怯えるような瞳であるため、姫奈には辛かった。

 夏祭りの件に限った話ではない。ここ最近の落ち込みを、晶に見透かされていた。


「何も無いですよ……。ちょっと夏バテ気味なだけです」


 苦笑するが、ぎこちない自覚はあった。きっと嘘だとバレただろうなと思った。


「そうか。なら、私だってそれ以上は訊かない。――別に、私じゃなくたっていい。その手のことはひとりで抱え込んでもどうにもならないから、誰かに話すのがラクだぞ?」


 晶はそう言い残すと、案内状を丸め、ゴミ箱に捨てた。そして、備品確認だろう――倉庫も兼ねているスタッフルームに消えた。


「……」


 気遣われていること。誰にも話せないこと。

 そのどちらも、姫奈は苦しかった。



   *



 その日の夜。

 日割り計画分の宿題を片付けると、姫奈はベッドに横になった。


 ――その手のことはひとりで抱え込んでもどうにもならないから、誰かに話すのがラクだぞ。


 晶から差し出された手を掴みたかった。しかし、掴めなかった。

 いっそ、晶さんに話してしまおうか……。

 現在になってそう思ったが、首を横に振った。

 晶を巻き込みたくない気持ちは確かにある。だが、それ以上に――泣き虫で傷つきやすい彼女に――たとえ自分の苦しみでも、少しでも負担を掛けたくなかったのだ。

 あの心配した瞳を思い出し、姫奈はそれに気づいた。


 とはいえ、誰かに話したかった。晶の言う通り、ひとりで抱えるのはとても辛かった。

 携帯電話の電話帳を開き、適当にスクロールした。

 恋愛相談になるのかな……。

 姫奈は話せる相手を探すが、見つからなかった。学校のクラスメイトの連絡先は多いが、どれも特別仲が良いわけではなく、かつ毎日のように顔を合わせるので、この手の相談を持ちかけるのは気が引けた。

 仲の良い友達、親友と呼べる存在は八雲ひとりしか居ないことに、改めて気づいた。

 もし学校で告白されたのなら、きっと八雲に相談していたんだろうなと思った。


 五十音順に並んだ電話帳の終わり際――ある人物の名前が目に入った。

 自分より年上であり、恋人が居る身であり、そして何よりほとんど面識の無い人物であった。どうして連絡先が入っているのか不思議だったが、条件としては最も相談しやすい相手だった。

 通話ボタンに指が伸びる。しかし、いきなりの電話では話し辛いので――それに、夜とはいえ多忙そうであり電話に応じられないと思ったので、メッセージアプリを開いた。


『こんばんは。晶さんの店の姫奈です』


 会話履歴の無い真っ新な画面に、そのメッセージから切り出した。

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