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胸を張って歩ける日まで  作者: 未田
第13章『元の関係』
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第31話

 澄川姫奈が空閑八雲と出会ったのは、現在から二年前――中学二年生の夏休みだった。


 特にやることの無かった姫奈は、学校の夏季補講授業に参加していた。

 成績が振るわなく強制参加の者、そして姫奈のように自主参加の者。教室に居た生徒は、境遇もクラスもバラバラだった。

 それに加え、蝉のうるさい鳴き声と学校中の部活動の音が聞こえ、姫奈に夏休みを実感させた。

 正午になり、その日の補講授業は終わった。


「澄川さん」


 帰宅しようと席を立った時、姫奈は背後から声をかけられた。

 振り返ると、おかっぱ頭の同級生が立っていた。


「空閑さん……だっけ?」


 姫奈はその人物を知っていた。校内に貼り出される成績上位者一覧で、一年生の時からずっと自身より上位に位置する、数少ない生徒のひとりだった。

 名前と顔こそ知っていたが、二年間クラスも違うので、こうして話すのは初めてだった。


「そそ。空閑さんだよ。ねぇ、一緒に帰ろうよ」


 初対面だというのに、八雲から屈託のない笑顔で誘われた。


「……うん。いいよ」


 姫奈としては突然の事で戸惑ったが、断る理由が見つからなかったので仕方なく諾った。

 昇降口で靴を履き替えると、八雲は自転車置き場に向かった。


「さあ、乗りなよ」


 八雲は自身の自転車に跨り、後部の荷台をパンパンと叩いた。


「え――バレたらマズくない?」

「大丈夫だって。もし先生に見つかって何か言われたら、ウチが無理やり乗せたことにすればいいからさ」


 姫奈は教師に見つかり内申に響くことを恐れたが、最悪八雲も道連れにするつもりで荷台に跨った。

 固くて広い荷台は、とても座り心地が悪かった。


「しっかり掴まっててね」


 八雲の腰に腕を回すと、八雲はペダルを踏んだ。

 ふたり乗りに慣れていないのか、とても遅いスピードで――そしてグラグラ揺れながら自転車は進んだ。

 やがて学校の喧騒が離れていくが、蝉の鳴き声と強い日差しはどこまでも続いていた。

 自転車を漕ぐ八雲は、汗が滝のように流れていた。姫奈は、なんだか申し訳なかった。


「澄川さんも補講に出てたんだね。びっくりしたよ」

「家でボーとしてるよりはマシかなって……。空閑さんこそ、別に出なくてもよかったんじゃない?」


 漕ぎながら喋る八雲に、姫奈は皮肉混じりに返した。

 八雲の成績の良さは、彼女よりやや後ろが定位置の姫奈自身が最も理解していた。どうして補講授業に出ていたのか、不思議で仕方なかった。


「ウチは、ほら――家に居ても暑いだけだから、涼みに来ただけ。でも正直、退屈じゃなかった?」

「うん。それはわたしも思った」


 苦笑する八雲に、姫奈は同意した。

 八雲ほどではないにしろ、姫奈の成績でも受ける必要は全く無い内容だった。元々は強制出席者用の授業なのだから、期待はしていなかったが。


「空閑さんは、どこの塾に行ってるの?」

「ウチは行ってないよ。学校終わってからまた授業聞くのが、なんかダルくて」

「へー。なんか意外」


 塾での勉強があるからこそ、その成績なのだと姫奈は思っていた。

 さっきからの会話から、八雲としても姫奈を自分と同等に扱っている節があった。こちらがそうであるように、八雲もまた姫奈をライバル視しているのかもしれない。

 それを踏まえて塾の事は隠しているのかもしれないと、姫奈は少し疑った。しかし、嘘を言っているようには聞こえなかった。


「澄川さんこそ、これから塾の夏期講習?」

「ううん。わたしも塾には行ってない。夏期講習には、ちょっと興味あるんだけどね」

「興味あるなら行けばいいじゃん」

「うーん……。ひとりだと、なんか行きづらくてさ」


 現在の姫奈には、友達と呼べる存在はひとりも居なかった。

 学校で孤独感を味わっているように、塾に通っても同じだと思っていた。


「それじゃあさ、ウチと一緒に行こうか」


 前を向いて自転車を漕いでいた八雲が、一瞬振り返った。


「さっき、ダルいって……」

「学校無い間ならいいよ。どうせ暇してるし」

「そうだとしても――わたしなんかとで、いいの?」


 出会ってまだ間もないのに話が随分飛躍し、姫奈は戸惑った。

 それに――学校の廊下で、八雲が友達と思われる人物達と話しているのを見たことがある。少なくとも自分と違って友達が居るのだから、彼女達と行けばいいのにと思った。


「変なこと訊くなぁ。澄川さんとだと、勉強捗りそうなんだけど……ウチとじゃ嫌?」


 警戒しているのが伝わったのだろうか。八雲は姫奈を諭すように苦笑した。


「ううん……。わたしだって、空閑さんとだと嬉しいよ」


 それは姫奈にとって本心だった。ライバル視しているとはいえ、一緒に塾に通えば成績は伸びると思った。

 蝉が甲高く鳴く中、自転車は歩くような速度で進んでいた。


「……今日も暑いね。昼食(おひる)の時間だけど、アイス食べようよ」


 八雲はそう言うと、道路脇のコンビニに入った。


「ちょっと――買い食いはダメだよ。先生に見つかったら、ヤバいって」


 ここまでは学校からさほど離れていない。時間としても、昼食を買いに来る教師と鉢合わせになる可能性は充分に考えられる。

 もし見つかれば自転車ふたり乗り以上に叱られると思い、姫奈は大げさに店の周辺を見渡した。


「大丈夫だって、バレないよ。澄川さんは心配性だなぁ。よし、ここはウチが奢ってあげるよ」

「そういう問題じゃないんだけど……」


 姫奈の心配を余所に、八雲はコンビニの店内へと入っていった。

 姫奈も仕方なく後に続くが――背徳感に胸打ってる部分があることを自覚していた。

 冷房の効いた店内はとても涼しく、汗が引いた。暑さであまり食欲が湧かないので、確かに何かアイスクリームを食べたい気分だった。


「あ――ごめん。奢るってドヤったのに、手持ちあんまり無かったや」


 八雲は小銭入れの中身を確かめたうえで、入口近くのアイスケースを漁った。


「これ半分こしよう」


 そして、ひとつの袋を取り出した。

 チョコレートコーヒー味のスムージーがチューブ型の容器に入ったものだった。繋がったチューブ二本を割り、ふたりで食べることで有名な商品であった。姫奈もその存在を知っていた。


「わたしが出すよ――自転車のお礼」


 姫奈の言う理由は適当だった。手持ちの無いと言っている八雲に出させることが、なんだか心苦しかったのだ。

 八雲からアイスクリームを取り上げ、素早くレジを済ませた。コンビニを出ると、入口近くに自転車と共に八雲が待っていた。


「ありがとう。これで澄川さんも共犯だね」

「今回だけだよ」


 えへへと笑う八雲に、姫奈は割ったチューブをひとつ渡した。

 チューブからスムージーを吸い上げた。乾いた喉が潤い、火照った身体は少しすっきりした。

 味自体は好みではなかったが、隣で嬉しそうに吸っている同級生を見ていると、なんだか美味しかった。


「ふぅ。生き返るね。……友達とはさ、こうやって買い食いするもんだよ?」

「そうなんだ……」


 姫奈にとって初めての買い食いだった。

 ひとりでならまだしも、同級生と一緒なので罪悪感は若干和らいだ。

 それどころか、なんだか誇らしげな気分だった。


「澄川さんさ、連絡先教えてよ」


 八雲はスカートのポケットから携帯電話を取り出した。


「ごめん。わたし、ケータイ持ってない」

「えっ、マジで? 今どき珍しいね」

「そうかな? まだ必要ないかなって……」


 確かに、教室内でもほとんどの生徒が携帯電話を所持していた。

 それでも姫奈が持たない主な理由は、携帯電話を使用する相手――友達が居ないことだった。

 八雲は学校鞄からボールペンとメモ用紙を取り出すと、チューブを口に咥えたまま書き殴った。


「これ、ウチの番号」

「あ、ありがとう……」


 姫奈は八雲からメモ用紙を受け取り、数字の羅列をぼんやりと眺めた。

 初めて受け取った、同級生の携帯電話番号だった。


「ケータイ無いなら、一旦帰って着替えようか。制服だと流石にマズいしね」

「どういうこと?」

「どこの塾行くか、すぐに相談しようよ。ウチのケータイで調べられるからさ。場所は、そうだなぁ……ランチも兼ねて」


 八雲は駅前のハンバーガー屋を挙げた。帰宅して私服に着替えて集合だと、姫奈は理解した。


「まあ。もうどこの塾も埋まってそうだから、あんまり期待しないでね」

「ううっ、そうかもね」


 既に夏休みは始まっているのだ。大きく出遅れていた。夏期講習の空席がどのくらい残っているのか、姫奈は不安になった。

 しかし、八雲は嬉しそうな表情をしていた。一緒に通えるならどこでもいいように、姫奈には見えた。


「それじゃあ、空閑さん。わたし、急いで着替えてくるね」

「――八雲でいいよ。めちゃめちゃ古い短歌に出てくる八雲。それがウチの名前」


 慌てて立ち去ろうとする姫奈に、八雲は声をかけた。

 空閑八雲。姫奈は初めてフルネームを知った。マイペースで掴みどころの無い、実に彼女らしい名前だと思った。


「ありがとう、八雲。わたしは姫奈。お姫様に、古い都の奈」


 自分の名前にコンプレックスがあったが、この時ばかりは分かりやすく説明した。

 言葉にしてみると、やはり恥ずかしかった。


「姫奈ちゃん。また後でね」


 名前を呼んでくれた友達に軽く手を振り、姫奈は強い日差しの中、走り出した。


「やくも……」


 初めて出来た友達が嬉しくて――改めて小さく呟いた。

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