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胸を張って歩ける日まで  作者: 未田
第12章『揺れる水影』
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第30話

 七月の終わり、八雲とナイトプールへ行く日となった。


 十八時頃――まだ陽は明るいが、ホテルへと向かった。

 眼鏡をつけてプールに入れないので、あらかじめ外してきた。眼鏡無しの外出は慣れないせいか、姫奈にとってなんだか変な感じだった。八雲には、今日はコンタクトレンズだと言っておいた。

 唯一心配していた入場の際の年齢確認は、特に身分証の提示を求められることなく通過出来た。

 姫奈は青い花柄のオフショルダータイプのトップス、ネイビーのボトムスの水着に着替えた。そして、髪をまとめ上げた。

 隣の八雲も一緒に購入した水色のクロスワイヤービキニと、青い花柄のボトムスの水着だった。


「それ、いい感じだね」

「いいでしょ? 百均で買ったんだ」


 八雲はいつも通りのお団子ヘアーに、サングラスを乗せていた。カジュアルな雰囲気が、さらに引き立てられているようだった。


「あっ、ケータイの防水ケースの準備忘れたや」


 八雲の首からぶら下がっている――ネックストラップの防水ケースを見て、姫奈は存在を思い出した。


「大丈夫だよ。今日はウチが撮るから。それじゃあ、行こうか」


 八雲に手を引かれ、ロッカールームから出た。

 以前の台風で痛い目を見ているので、姫奈はウォータープルーフのファンデーション等、濡れても落ちにくい化粧をしてきた。最後に鏡で確認をしたかったが、その余裕は無かった。

 しかし、屋外のプールサイドに出た途端、姫奈の心配はどこかに消え去った。


「わぁ……」


 思わず声が漏れてしまうぐらい、綺麗な景色だった。

 夕陽に照らされた中――木々と優しい光に囲まれたプールは、なんだか郷愁的だった。プールサイドに並んだサマーベッドやレイチェア、そして成人女性しか居ない客層は、とても落ち着いた雰囲気だった。

 都心なのに、まるで遠くのリゾート地に来たかのようだった。


「ありがとう八雲! 来てよかったよ!」


 姫奈は胸の前で腕を小さく振りながら、興奮を抑えられなかった。


「あはは……。まだ早いって。とりあえず、あそこで撮ろうか」


 八雲が指をさした先には、開いた貝殻の大きなオブジェがあった。

 女性がふたり並んで座って、係員が携帯電話で写真を撮っていた。実際の使用方法を見て、あれがフォトスポットなのだと姫奈は理解した。


「うん!」


 姫奈は写真を撮られるのが恥ずかしく苦手であったが、現在は楽しまなければ勿体ないとの気持ちだった。

 少しだけ順番を待ち、八雲は携帯電話を係員に渡した。ふたりで貝殻に腰掛けた。

 アルバイトでの接客と違い、カメラ相手に笑顔を作るのは難しかった。ぎこちないながらも、姫奈は現在の気持ちの昂りのままに笑って見せた。


 その後、プールに入った。

 姫奈はともかく、八雲でも充分に足のつく深さだった。

 陽が暮れてきても、外はまだ暑かった。水中に潜ったり泳いだりはせずとも、プール内に立っているだけでも涼しかった。

 ホテル側が用意したものだろう。プール上には浮き輪をはじめとする遊具が無作為に置かれていたため、それで遊んだ。


 陽が沈み暗くなると、一度上がり飲食コーナーへ向かった。

 姫奈はグレープフルーツジュースを注文した。


「ウチはこれで」


 八雲が指差して注文したものに姫奈は驚いたが、店員が目の前に居るため騒がずに平静を装った。


「ちょっと――それ、お酒だよ?」

「まあまあ。こんなの、どうせジュースと同じだって」


 それぞれドリンクを受け取り、プールサイドのサマーベッドへと向かった。

 八雲が注文したのは、フローズンストロベリーマルガリータと呼ばれるものだった。小さなグラスにピンク色のシャーベットが盛られ、苺とカットライムが添えられていた。見た目はとても可愛らしかった。

 姫奈はお酒の種類を知らないが、メニューのアルコール類に位置したものなので、本来は自分達が飲めないものだとは理解した。

 とはいえ、ここにも年齢を偽って入場していることを思うと、八雲を叱れなかった。

 並んだサマーベッドにそれぞれ寝そべり、八雲が写真を撮った。


「うーん……。確かにお酒だね」


 一口飲んだ八雲は苦笑した。

 さっきまでジュースと同じだと言っていた余裕は消え、姫奈は察した。


「姫奈ちゃんもどう?」

「えー。一口だけだよ?」


 姫奈としても味に全く興味が無いわけではなかったので、グラスを受け取り一口飲んだ。生まれて初めてアルコールを口にした。

 見た目通り、苺の味と糖類の甘さを感じ、確かにジュースのようだと思った。しかし、その奥にある苦味が徐々に口内へと広がった。

 ブラックコーヒーや炭酸水をよく飲むため苦味には強いと思っていたが、それらよりも遥かに不快な苦味だった。


「うん……。普通に不味いね、これ」


 姫奈はグラスを返し、率直な感想を述べた。


「だよねー。大人はこんなのが美味しいんだね。ウチらも味覚が変わるのかな」

「どうだろ。酔っ払うと気持ちよくなるみたいだし、無理して飲んでるのかも」


 あと五年で二十歳になったところで、好んで飲む姿が姫奈には想像できなかった。

 自分で注文しておきながら八雲はほとんど飲めなかったので、結局は大半を姫奈が飲んだ。

 飲んだ直後もしばらくしてからも酔いや吐き気に警戒したが、それらに襲われることは無かった。


 二十時を過ぎた頃、姫奈は浮き輪に深く腰掛けプールにプカプカと浮かんでいた。

 暗い空。暗い水。そして、それらを照らすほのかな光。まるで、幻想的な世界に居るかのようだった。

 浮遊感も相まって――もしかすると酩酊感もあるのかもしれないが、どこか現実味が薄れていた。


 姫奈はぼんやりとした頭で、来て良かったと改めて思った。

 プールと最初に聞いた時は場違いだと思い、水着で肌を晒すことにも抵抗があった。

 しかし、親友と一緒だと、どちらも楽しかった。

 まだ夏休みは始まったばかりだが、さっそく女子高生らしい夏の思い出を作れた。

 それに――晶の心配していたナンパ問題など無かった。あの人は一体どういうイメージを持っているんだろうと、姫奈は微笑した。


「姫奈ちゃん」


 八雲がプール内を歩いて近づき、姫奈の座る浮き輪にしがみついた。


「大丈夫? 酔ってない?」

「うん。たぶん大丈夫。でも――もうあんなのオーダーしちゃダメだからね」


 反省しているようだが、姫奈は念のため釘を刺しておいた。

 視界の隅で、立ち去るグループが見えた。営業時間は二十一時までだと思い出し、名残惜しくなった。


「八雲……。来年も、また来ようね。ていうか、帰りたくないな」


 あまりにも居心地が良すぎた。

 本当に夢の世界にでも居るようだった。

 青い光に照らされた水の影が反射し、八雲の顔に映っていた。ゆらゆらと揺れていた。

 少し濡れているせいか、親友の顔がなんだか色っぽく見えた。


 その映像も――そして、これから先の行為も、幻想的だった。夢の中のワンシーンのようだった。


 コツン、と。額に何かが軽く当たった。

 それが八雲の頭に乗っていたサングラスだと分かった時には、唇に一瞬、何かが触れていた。

 おそらく、周りの客は気づいていないだろう。

 姫奈自身、それがどんな感触だったのか分からなかった。


 それぐらいさり気ない、自然なキスだった。


「ウチはね、姫奈ちゃんのことが好きだよ」


 揺れる水影の奥で――中学生からの親友は、優しく微笑んだ。


「……」


 やはり、現実味が無かった。これは夢だと、姫奈は思いたかった。

 しかし――キスの後の『好き』が何を意味するのか、頭は理解していた。



   *



 シャワーを浴び、水着から着替え、モノレールに乗って帰路についた。


 地元の駅で八雲と別れた。

 それまでの間――不自然なぐらい、どちらも『キスと告白』に関しては触れなかった。今日は楽しかったね、と笑いあっただけだった。

 初めて口にしたアルコールに酔っているのかと疑ったが、違った。姫奈も八雲も、どちらもいたって素面だった。


 帰宅後しばらくして、携帯電話がメッセージアプリ受信の通知音を鳴らした。

 相手が八雲であると、姫奈は見なくても分かった。

 携帯電話の画面を恐る恐る見てみると、写真が何枚も送られていた。八雲からのメッセージ自体は一言も無かった。

 写真を眺め、今日の思い出を振り返った。

 貝殻に並んで座った時から、どれも自分が自然に笑えていることが意外だった。

 きっと、それぐらい楽しかったのだろう。

 ――しかし、写真を見てもその感情は再び湧かなかった。


『ありがとう』


 姫奈は一言だけ返信すると、ベッドに倒れ込んだ。

 既読マークを確認することなく、枕に顔を埋めながら、携帯電話の電源ボタンを押した。

次回 第13章『元の関係』

八雲からの気持ちに姫奈は困惑していた。ひとりで悩んでいても仕方ないため、ある人物に相談する。

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