第24話
姫奈の進路面談は無事に終わった。
アルバイトの経験から経営学に興味を持ったと担任教師に伝えると、異論なく汲んでくれた。中間試験の結果からも、これからの邁進を期待された。
それから数日後――その日の放課後はアルバイトを休み、都心のショッピングモールへ繰り出していた。
ショッピングモール一階のカフェに入ると、空閑八雲が対面テーブルに座っていた。
「八雲、お待たせ」
姫奈は入り口のカウンターでアイスコーヒーを受け取り、八雲の正面に座った。
広い店内は夕方にも関わらず、学生や社会人で混んでいた。本当は水出しアイスコーヒーを飲みたかったが、売り切れていた。どこも同じなんだな、と姫奈は思った。
「やっぱり、他のお店のこと気になるものなの?」
店内をキョロキョロ見渡していると、八雲は笑った。
「うん。商売柄、どうしても気になって」
店の内装や雰囲気、居心地のよさ、店員の接客態度、そして商品の味まで――姫奈はどうしてもEPITAPHと比較していた。なお、客席の数以外は互角だと判定を下した。
「なんだかプロ意識高いね」
「そんなことないよ……」
姫奈は苦笑した。
今日こうして呼び出したのは、姫奈からだった。建前上は、買い物に付き合って欲しいという体だった。
しかし、今日の本当の目的は以前訊ねられた――天羽晶について答えるためだった。
「あのね、八雲――」
姫奈は念のため周囲に聞き耳を立てられていないことを確かめると、順を追って話した。
あの日、客船ターミナルの広場で出会ったこと。正体を知らずに二ヶ月間過ごしてきたこと。だから、今さら正体を知っても実感が湧かないこと。それでも、そんな晶に憧れてアルバイトを続けていること。
この成行きの過程は、全て嘘偽りの無い事実だった。
しかし、晶が心身ともに深い傷を負っていること、そして自分があの店でアルバイトを続ける本当の目的は伏せておいた。
晶は怪我で引退、ファンへの都合で死亡扱いになっていると、これも『事実』のみを伝えた。
「なるほど……。なんとなく分かったよ。なんか、凄いことになってんだね」
この説明で、八雲はなんとか納得したようだった。
姫奈はさらに、両手を合わせて頭を下げた。
「今のところ順調にいってるの! だからね、お願い!」
「ああ――うん。分かってるって。誰にも言わないよ。ウチとしても、芸能人にはあんまり興味無いし」
確かに八雲がそういうことに興味が無いことも、にわかに熱中しないことも、姫奈がよく知っていた。
自分と違い最低限の世間事情を知っていたから、晶の件で純粋に驚いただけだと思った。
「姫奈ちゃんがアルバイト始めてから良いように変わってるのは、ウチ知ってるから……。だから、これからも姫奈ちゃんのこと応援してるね」
「ありがとう、八雲」
姫奈は思わずテーブルの上で八雲の両手を握り、泣くジェスチャーを見せた。
「それじゃあ、この話は終わりにしたいんだけど――そうだ、わたし文理選択は文系にしたよ。バイトしてたら、経営に興味出てきてね」
早々に話題を変えるべく、姫奈は近況を話した。
言葉は嘘ではなかった。これもまた、確かな事実だった。
「いつかは、わたしも何かのお店を持てたらいいなって……」
その願望はゼロでは無かった。しかし、嘘ではないが本心でも無いので、姫奈の良心は少し痛んだ。
高校卒業後もあの店でアルバイトを続けたいこと。そして、専門学校という進路に少し揺らいだこと。
そのふたつは先日の進路面談でも然り、まだ誰にも言えなかった。
「へー。結構先まで見えてるんだね。ウチは、昔の偉い人の思想や歴史に興味が出てきたから文系ってだけで……それを勉強して何になりたいかなんて、まだわかんないよ」
八雲も文系だと知り、姫奈は喜んだ。偶然が重なった。
そいえば以前に難しそうな本を読んでいたな、と思い出した。そのせいか、本が似合うイメージが姫奈にはあった。
「文学部って……作家とか?」
「あー、うん。それは無いんじゃないかな」
よく知らないままイメージだけを挙げると八雲に笑われ、恥ずかしかった。
「……買い物行こうか。もう夏だし、服欲しくて」
建前として誘ったとはいえ、姫奈が夏服を探しているのは本当だった。
アイスコーヒーを飲み干すと、席を立った。
「どんなの欲しいの?」
「半端丈っていうのかな……クロップドパンツってやつ? 夏らしい白で。まあ、サイズ的にあるのか分からないけど」
「高身長ならではの悩みですなぁ。ウチも一度でいいから、そういうこと言ってみたいよ」
「えー。全然良いことないよ。わたしだって出来るのなら、可愛い服着てみたいもん」
ショッピングモール内をエスカレーターで上がり、アパレルショップを何軒か見て回った。
しかし、姫奈に合うサイズのパンツはやはりどこにも無かった。試着が出来ないのであまり利用したくはなかったが、インターネットの通信販売を頼ろうと思った。
とはいえ、せっかく足を運んだのでこのまま帰るには惜しく、代わりにトップスを見た。
「ねえ、これどうかな?」
リネン生地の涼しげなブラウスが、姫奈の目に留まった。
フレア袖のバックボタンであり、これ一枚で様になると雑誌に書いてあったのを思い出した。
「うん。いいんじゃないかな。それだと着せ痩せして見えそうだし」
「ちょっと! わたし、言うほど太ってないよ!」
「いやー。そうじゃなくてね……。姫奈ちゃんの場合、ボディラインがね……」
八雲に言葉を濁され、姫奈は首を傾げた。
姫奈は色違いのふたつを手に取った。
「白と青、どっちがいいかな?」
ファッション初心者らしく、手持ちのトップスは白色が多かった。そのため、そろそろ白黒以外にも挑戦してみたいと思っていた。
二色を八雲の前に突き出すと、八雲は笑った。
「心配しなくても、青色似合ってるよ。夏だし、爽やかでいいじゃん」
「あ、ありがとう……」
無意識に青色を推していたのだろうか。八雲に見透かされていたようで、姫奈は恥ずかしかった。
ブラウスをレジに持っていこうとしたところ、小さな一角だがサンダルが並べられているのが見えた。
その中の、ひとつ。アイボリーのハイヒールサンダルが目を引いた。
かかとから伸びたレースのアンクルストラップを、足首に巻きつけるものであり――なんとなく、晶に似合いそうだと思った。
「これも買おうっと」
「えっ。だいぶ厚底だけど、いいの?」
「可愛いからいいの!」
厚底だから小柄な晶に似合うと思ったが、その事も晶へのプレゼントだという事も黙っておいた。
「あー。いいなー。ウチも夏休みは短期バイト入れなきゃ」
「そうだね。服にコスメに美容室に、お小遣いだけじゃ全然足りないよね」
二点のレジを済ませると、八雲が羨ましそうにショップバッグを眺めていた。
姫奈は割とアルバイトに時間を使っているお陰で、同世代と比べても懐が暖かかった。余裕のある学生生活を送れていると自覚はあった。
「わー。月末から、水着のセールだってさ」
モール内の柱に貼ってあるポスターを、八雲は指差した。八雲の瞳は、なんだか子供のように輝いていた。
「ねぇ、姫奈ちゃん。もうちょっと暑くなったらさ、ウチとプールか海に行かない?」
八雲はそう提案するが、姫奈はポスターのビキニを見て、戸惑った。
最後に泳いだのは小学校の授業であった。学校指定の水着を最後に、プライベートで水着を買ったことも着たことも無かった。
心身共に成長した現在、誰に見られるにしろ、水着を着るのが単純に恥ずかしかった。
「えー。わたし、泳げないよ」
「ウチだってあんまり泳げないけど、別にガチで泳ぐわけじゃないから。浮き輪とかで遊ぼうよ」
別の理由で断ろうとしたが、八雲に通じなかった。
「ウチも行ったことないからさ……お互い初めて同士だと、逆に超楽しめるんじゃないかなって」
八雲のその言葉が、姫奈に少し響いた。
高校に入学して以降、様々な変化を楽しんできた。その経験があるからこそ、何にでも前向きに挑戦したい気持ちが芽生えていた。
「……まあ、考えてみるよ」
八雲の言う通り、初めての経験は失敗も含めて楽しめるかもしれない。
「ほんと!? それじゃあ、セール始まったら一緒に買いに来ようね!」
「え……。う、うん」
行くと明確な返事をしたつもりではなかったが、八雲にはそう伝わっているようだった。
姫奈は苦笑しながらも、水着について調べておこうと思った。
「夏休みじゃ間に合わないなぁ……。よし、土日に日雇いのバイト入れてみる!」
中学生時代も含め、八雲が未だかつてないやる気を出しているように見えた。




