第22話(後)
食事が済むと、姫奈は後片付けをした。
特にマグカップを念入りに洗った後、ふたり分のコーヒーを淹れた。
「スーパーのですけど、シュークリームと……ノンカフェインのコーヒーです」
個別梱包されたシュークリームとマグカップをふたつずつ持ち、キッチンからリビングに向かった。
晶はテーブルで、ノートと電卓を広げていた。
「何してるんですか?」
「今日の売上を帳簿につけてるんだよ」
「へー」
店側の控えのレシートを順にめくりながら、電卓を叩いていた。
晶の経営者らしい一面を、姫奈は珍しく見たような気がした。
「こういうのって、どこで習うんですか?」
「いや……習うというか、こういう記録は嫌でもつけるもんだ」
お前って時々変な質問するよな、と晶は半眼の視線を向けた。
姫奈は、猫のイラストが描かれたマグカップを晶に渡した。
晶がシュークリームにかぶりついている間に、ノートのページをパラパラとめくった。
毎日の収入と支出が事細かに記載されていた。几帳面だと一瞬思ったが、見ている内に店の記録としてはごく当たり前なのだと理解した。
「うちって、ぶっちゃけどうなんですか?」
「赤字に決まってるだろ!」
ふと気になって訊ねるが、晶からふたつ返事で即答された。
その口振りから、僅差ではなく圧倒的なのだと察した。
「んー。割とお客さん入っているんですけどねぇ」
「コーヒーの原価なんて微々たるものだから、たとえ二百円でも利益率は良い方なんだよ。割と数も撒いてるし、売上自体はまだマシなんだ。ただ……あんな狭い店でも、場所代が高すぎる。席の数が全然割りに合わない」
「よく分かりませんけど、結構難しそうなんですね」
「もっと回転率を上げたところで、黒字化はそもそも現実的じゃないな。結局のところ、まともに黒字営業するなら、まずは広いとこに移って席の数を確保。そして、コーヒーの値段を上げるか、コーヒー以外にも甘いものや軽食を売っていくしかない」
黒字化がなぜ非現実的なのか、姫奈には分からなかった。しかし、黒字化の具体的なビジョンを説明され、根本的に変える必要があるのだとは理解した。
「まあ、所詮は道楽でやってる店だから、どうでもいいんだけどな……。お前だって心配しなくてもいいぞ。バイト代だって、ちゃんと払ってるだろ?」
「それはそうですけど……」
おそらく、晶の資産からしてみれば赤字の額など大したことはないのだろう。
それは分かるが、姫奈はどこか腑に落ちなかった。
現在の店で黒字化が不可能なのだとしても――赤字の額を少しでも減らしたいと思った。
「そうだ。来週、進路面談があるんですよ」
経営に関する聞き慣れない言葉を聞いていると、ふと思い出した。
二年生以降の文理選択が主な内容だが、その選択すら未だに決まっていなかった。
「中卒の挙げ句にこの歳で人生セミリタイアしてる私に、その手の相談は止めておけ」
晶は気だるそうな瞳を向けた。
確かに、姫奈にしてみれば全く参考にならない人生を送っているだろう。
しかし、中卒とはいえ経営のノウハウが身に付いているのが凄いと思った。
「頭良いんだろ? 大学に行ける環境なら、とりあえず行っておいて損は無いんじゃないか? その分、将来の選択肢は増えてくるだろ――知らんけど」
実体験が無い以上、晶は想像で語っているようだった。姫奈もまた、同じようなことを漠然と想像していた。
その一方で、損は無くても必ずしも得はあるのかと疑問だった。結局のところ、時間は必ず浪費するのだ。
――本当に大学進学が正しいのだろうか。
決して、進路から逃げているわけでは無い。純粋にそんな疑問を持つこともあった。
「失礼な質問かもしれませんけど……学校行かなくて後悔したことあります?」
だからこそ、進学そのものへのデメリットが何かあるのか知りたかった。
「うーん……。そう言われてすぐ出てこないあたり、無いんだろうなぁ。親友みたいな奴らも不自由しなかったし」
「なるほど。交友関係というのもあるんですね」
晶にとっての麗美と結月のような存在だろう。
さほど長い付き合いでもないが、八雲ぐらいしか浮かばないため、姫奈は少し落ち込んだ。
確かに、学校以外で交友関係を築くのは困難である。大学で得られる分を放棄するのはデメリットとも言える。
――そう理解はするが、さほど重要な問題では無いと姫奈は思った。
「あっ。でも、可愛い制服は着てみたかったな」
晶はそう言い、姫奈をじっと見つめた。
姫奈は一瞬意図が分からなかったが、ねだっているような視線だった。
「貸しませんからね!」
もしかすると――もしかする可能性は充分にあるが――十も歳の離れた女性が自分より制服を着こなすと、姫奈は大きなショックを受けると思った。




