第22話(前)
次の土曜日。
姫奈は朝からスーパーで夕飯の買い物を済まし、その足でアルバイトに向かった。
冷凍保存の必要なものは店の冷蔵庫になんとか収まったものの、店の材料を圧迫したので晶に怒られた。
三本目の水出しアイスコーヒーのボトルが無ければ、少しだけ余裕があった。
「よし。今日は先に上がっていいぞ。片付けは私がやっておく」
十七時頃、晶にそう言われた。
水出しアイスコーヒーの仕込みを晶に教え、姫奈は晶のマンションへと向かった。
住人不在の部屋にひとりで居るのは落ち着かなかったが、姫奈は慣れない料理を始めた。
以前来た時、炊飯器の存在を確認していた。しかし、米は探しても見つからなかった。仕方なく、持参した半合分の米を研ぎ、炊飯器のスイッチを押した。
包丁、まな板、フライパン等、最低限の調理器具は揃っていたので安心した。
今日こうしてハンバーグを作るにあたり、事前に練習は行っていなかった。その代わり、インターネットで調べたレシピを、何度も頭の中でシミュレートしてきた。
それに重ねながら、姫奈は生まれて初めてのハンバーグ作りに手を付けた。
氷水の上から二重に置いたボウルに挽き肉を出し、食塩を振ってよくこねた。さらに炒った玉ねぎ等のつなぎを加え、再度こねた。冷たい肉塊を長時間触り、手が少しかじかんだ。
適量のタネを手に取り、両手を往復させて空気を抜いた。そして形を整え、中央を指先で軽く押し、くぼみを作った。
プレーンのタネとチーズ入りのタネを、それぞれ二個ずつ用意した。
四つのタネを冷蔵庫で冷やしている間、玉ねぎと油揚げの味噌汁を作った。
「帰ったぞ」
「お疲れさまです」
十八時三十分頃、晶が帰宅した。
そのタイミングで、姫奈はフライパンに火をかけハンバーグのタネを焼いた。片面を焼き終え裏返すと、水を加え蓋をし、蒸し焼きにした。
「いい匂いだな」
晶はキッチンカウンターを覗くことなく、リビングのテーブルを片付けて待っていた。
緊張している姫奈にとっては、ありがたい気遣いに感じた。
「あ――」
再度裏返そうと四つのハンバーグを眺めると、ある事に気づいた。
「どうした?」
「どれがチーズ入りだったか、ど忘れしました」
「お前なぁ……」
外観だけでは区別できなかった。とはいえ確率としては二分の一なので、どちらかに偏ることは無いだろうと姫奈は思った。
ハンバーグを焼いている間に炊けた白米をよそおうとしたが、茶碗がひとつも無かった。
「晶さん。もしかして、自分のお茶碗すら無いんですか?」
「まあ……使わないからな」
炊飯器はあるのにどういうことだろうと、姫奈は思った。
仕方なく大皿をふたつ取り出し、ハンバーグプレートにすることにした。
白米を盛り、ハンバーグを二個ずつ適当に乗せた。フライパンに残った肉汁にウスターソースとケチャップを加えハンバーグソースを作り、かけた。
さらにキッチンペーパーでフライパンを拭き取り、目玉焼きを作ってハンバーグの上に乗せた。
最後にブロッコリーとミニトマトを添え、完成した。
味噌汁をよそう器も無かったので、以前購入した猫と犬のイラストがそれぞれ描いてあるマグカップを使用した。
そして、料理をリビングのテーブルに運んだ。
「なんでマグカップなんだよ」
「そう思うなら、お椀買ってください」
姫奈としても、折角のマグカップの初めてを、みそ汁で使いたくはなかった。
「まあ、見てくれは悪くないか……ちょっと焦げてるが」
「そこは多めに見てください。ささっ、食べましょう」
箸は一膳しかなかったので、姫奈はそれと一緒に置かれていたコンビニのプラスチックスプーンだった。
テーブルにふたりで向かい合い、手を合わせた。
広いリビングにはテレビや音楽再生機は無く、物静かな食事だった。
「おっ、チーズ入りだ……。ていうか、チーズ多いな。アホほど入ってるじゃないか」
晶が箸で割ったハンバーグから、大量のチーズがこぼれた。
傍から見るとハンバーグとチーズ、どちらがメインなのか分からないと姫奈は思った。
「まあ割とジューシーでふっくら焼けてるし、味は悪くないか……。ご飯硬っ。ちゃんと三十分ぐらい浸けたか?」
「慌てて炊飯器のスイッチ入れましたけど――うちじゃいつも、これぐらいなんです!」
姫奈は適当に誤魔化すが、白米を口に運ぶと、確かに硬い食感だった。
前方で晶がマグカップを一口すすり、呆れた目を向けてきた。
「お前、味の素使ったか? たぶん出汁が無いから、変な味なんだが」
「あっ……」
晶に指摘され、出汁の要素を入れ忘れた――そもそも準備していなかったことに、姫奈は気づいた。
念のため味噌汁飲んでみると、想定していた味には程遠かった。
「まったく……ダメダメだな」
晶が呆れるのも無理はなかった。
ハンバーグばかりに気を取られ、白米と味噌汁が疎かになった結果だった。料理に慣れないのにこうして出しゃばったため、何も言い訳出来なかった。
付け焼き刃では成果が得られなかったと反省していると――晶の医療用眼帯とは反対の瞳から、涙が流れた。
「ええっ、泣くほどですか!?」
それほどまでに酷い出来だったのかと、姫奈は慌てた。
「バカ……。こんなに不味いご飯でも、美味いんだよ。誰かに作って貰って一緒に食べるのが、嬉しいんだよ」
晶はぼろぼろと溢れる涙を拭おうともせず、真っ直ぐ姫奈を見据えていた。
それは心からの感謝の意だと、姫奈は感じた。
そう。晶は妙に家庭料理にこだわっていた。姫奈には理解し難いが、他人の温もりのようなものを料理に求めていた。
それを与えられたのなら――よかったと、姫奈は少し安心した。
「わたし、また晶さんにご飯作りますから! わたしでよかったら、これからも一緒に食べますから!」
そして、これで終わりにはしたくはないとも思った。
「いや。お前はもっと料理の練習をしろ」
「うっ――が、頑張ります」
だが、涙を拭っている晶から冷静に返された。
「こっちもチーズじゃないか……」
箸で割ったハンバーグから再度チーズが流れ、晶はぽつりと漏らした。
泣いてることもあり、本当に悲しんでいるのかと姫奈は一瞬思った。
しかし、少しの間を置いて、晶はおかしそうに笑った。
「あはははは」
姫奈もそれに釣られて笑った。
料理の出来は良くなかったが、楽しい食事だった。
「おい、姫奈。チーズ二個はしんどいから、そっちの普通のやつ食べたい」
いつの間にか泣き止んだ晶は、小さな口を開けた。
「えーっと……晶さん?」
「はへはへろ」
晶はいたって真顔だった。
姫奈としては恥ずかしかったが、間違えた自分に非があるため仕方ないと諦めた。
自身の皿を持ち、晶の隣まで近づいた。
「あ、あーん……」
プラスチックスプーンにまだ手をつけていないプレーンハンバーグを一口分乗せ、晶の口まで慎重に運んだ。
晶はスプーンごとパクリと咥え、よく噛んで食べた。
「誰かに食べさせて貰うと、なぜだか美味しい」
そして、本当に美味しそうに――無邪気な子供のように笑った。
姫奈はその笑顔が嬉しかった。作った甲斐があったと、改めて思った。
「もう文句は無しですからね!」
結局、一個分のハンバーグを姫奈の手で食べさせた。小柄な身体ということもあり、おねだりをする小動物のように可愛かった。
自分が先に使ったスプーンで食べさせたことに、後になって気づいた。
晶は気にしていない様子だったが、姫奈は恥ずかしくて俯いた。




