樹形図バイアスと言うのがあるよという話。人の思考は人それぞれ。故に、人によっては、成長出来ない技術がある。
最近わたくし事ふりがなは、とあるゲームをしててですね。
話題の某FPSのバトル・ロワイアルなんですが、その体験から、樹形図バイアスというのがあって、それが人の思考に強烈に作用しているという事を、発見しましたよという話になります。
戦術上で、どうにも噛み合わない人がいますと、まぁ、どんな競技分野でもままある事なのですが、その人が、何を考えてるのか、私にはさっぱり解らない。
全ての疑問は、そこから始まりました。
何故、同じ競技をしていて、噛み合わない人は存在するのか?
噛み合わない人の参考にしている動画を見て、ようやく、まぁ噛み合わない理由は、今回だいたいこうなのかなと推測することが出来ました。
その人は、個人レベルのダメージレース(ダメージ競争)を頂点にした、樹形図の動画を熱心に見てたんです。
FPSを知らない人が読むとなんのこっちゃという話なので、よくある話に置き換えると、例えばノルマです。
人はノルマ達成のために、倫理に反する行為に手を染めます。
これは、樹形図の頂点をノルマの達成にしているから、という論理になります。
周りからみれば、何故、そこまで倫理に反する行為に、手を染められるのかは解りません。
しかして本人からすれば、目的達成のために、倫理に反するのは、当然の行為だったりします。
まま現実や倫理に反する事があっても、何となく自分の信じたロジックツリー(樹形図)を採用してしまう。
これが人の特性なのかなと、私は考えます。
私は、間違ったロジックツリーを使い続けないために、というか、より良いロジックツリー(樹形図)を採用するために、無矛盾かつ、より多くの関連した技術を網羅したロジックツリーを、模索し直しす事があります。
しかし、多くの人は、そもそも自身のロジックツリーをはっきりさせない、というか、ロジックツリーの概念そのものを知らなかったりします。
故にというか、仮にロジックツリー自体を知っていても、より良いロジックツリーを模索したりはしませんし、かつ、人は改良もしていない自身のロジックツリーを、他の人のロジックツリーより優れている、最上位の思考として考えたりします。
ここまで読むと、もしも樹形図バイアスというのがあるのなら、バイアスとして強力すぎるのではないか?と考える人もいるでしょう。
まぁ、それは一旦置いておきます。
そして、私は提唱します。
自身のロジックツリー内にない技術は、一生成長しません。
何故なら、技術概念が、自身の中で確立さえ出来ないから。
逆に、ロジックツリーがきちんとしていれば、新しい技術に気づく事が出来ます。
これは結構、実体験がありまして、この人はいつ成長するんだろうと放置すると、関連技術の中でも、割と中核的な技術のハズなのに、何故か成長しないまま放置される、という技術郡があったりします。
意識しなければ、経験の出来ない、概念的に割と複雑で高度な技術郡です。
人は何をするにしても、何も考えずに練習して、ある程度まで上手くはなります。
しかし、それだけでは手に入らない技術が、数多く存在するのです。
分野によっては、という話ですが。
つまり、こうなります。
civなどのゲームで見るような技術ツリーは実在する。
そして、技術ツリーは、その人の持つロジックツリーに付帯する。
読者の中に、努力したのに、手に入らない技術は無かったでしょうか?
私の経験には、そのような技術がたくさんあります。
今思い返して、その技術をどうすれば手に入れられるのか?
私には想像もつきませんが、メタ的な視点からすれば、その理由はロジックツリーが完成していないから、となります。
しかし、一部の技術の取得は、その人のもつロジックツリー全体を覆す事があります。
戦略の話でよくある話でして、たった一つの戦術が、既存の戦略全体を変えてしまうという事が、このロジックツリーでも起こり得るのです。
これは、基本的に戦略家より戦術家の方が強い、という人類の歴史と一緒でして、強力な一つの技術や権威の前に、あなたの正しかったハズのロジックツリーは簡単に吹き飛びます。
なにが言いたいかというと、より取得の簡単な、かつ、強力な技術郡を中心に、人のロジックツリーは組まれやすいという事です。
しかも、やっかいなことには、それが短期的、中期的には、より効果的でもある事が多いのです。
もちろん、遅かれ早かれ、取得の容易な技術郡だけでは、技術は頭打ちになります。
しかし、一度簡易な技術で組まれて、凝り固まった最上位と信じるロジックツリーを、間違っている物だと指摘された時に、果たしてあなたは手放す事が出来るでしょうか?
しかも技術は、経験を繰り返さなければ、醸成されません。
ロジックツリーを新たに組み直すにしても、上位の技術の経験は0からになるのです。
あなたのロジックツリーは根本から間違ってると言われたら、そりゃ、人と人はぶつかるよね、という話でして、それは、人の思考の基礎となりえるロジックツリーの重要性を示唆しています。
これら話には、一定の反論が成立するでしょう。
例えばロジックツリーなんてものは、そもそも無くて、技術も全て独立して存在するという反論です。
ロジックツリーは意識しなければ、人によって、より曖昧になるとは、私は認めます。
しかして、冒頭の話に戻りますと、ロジックツリーが仮に存在しないのならば、何故私と技術的に噛み合わない人は、異なったロジックツリーを学習していて、その行動を、異なったロジックツリーでは、説明できたのでしょうか?
そして、高度な技術とは、技術の上に技術が成立するという、技術の連なる物です。
その証左は、現代科学です。
技術がそれぞれ独立していて、ロジックツリーがそもそもないという事は、むしろ想像する方が難しいでしょう。
しかし、技術が独立して存在するという発想自体は非常に容易でして、多くの人が、ロジックツリーを組み直さないで、新たな技術を取得しようとします。
結論として言いますと、ロジックツリーの外側である技術取得自体は可能です。
しかし、ロジックツリーがないために、技術をコピーが出来ても、新しい技術を産み出す土壌がありません。
そして、コピーしただけの技術は、根底となるロジックツリーがないために、基礎的な知識に欠けます。
工学に似た話なんですが、思考や競技でもそれは変わりませんよ、という話みたいになりましたね。
そして、恐らく、ロジックツリーによるバイアスは、思想の面でも変わらない物なのです。
旧いロジックツリーと新しいロジックツリーの比較をして、より多くの物を網羅している側にシフトさせる。
ロジックツリーの頂点を入れ換えてみる。
本質的な人の成長とは、そのような物なのかもしれません。
書き上げた後で気づきました。
技術を開拓できないとは書きましたが、本来取得できないハズの新しい技術を中心にロジックツリーが組上がるケースがあります。
基礎技術を無視して、一気に上の技術の取得を目指しても物になる場合もあるでしょう。