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生存競争の宇宙で  作者: ブンイチ
9/21

第五話   オルート

 

 目の前には、完全に陽が落ちた夜空が広がっていた。


 一瞬、重力から解き放たれたような浮遊感を感じる。だがそれはまさしく一瞬のことで、すぐに重力にえり首を掴まれたロウは、受け身を取ることもできずに後頭部から落下して、ぐえっ、と声を出した。


 なんか俺最近吹っ飛ばされて地面にぶつかってばっかだな、と、全身の痛みを誤魔化すように考えた。


「うーっし、今日はここまで」

「あ、ありがとうございました」


 ロウが軍に入隊して、三ヶ月がたっていた。

 その間ロウたちはミッドスターから出ることはなく、ひたすら訓練の日々を送っている。自分たちから願い出た居残り訓練も続いており、多忙らしい教官たちがつき合えない時でも、五人で互いを相手に訓練を行っていた。


「ロウくん、立てる?」

「なんとか」

 施術によって活性化させられた魔力は、宿主の体を内部から作り変えていくという。地獄のような訓練によって、自分が常人とはかけ離れた力をつけていくのは、日ごとに実感できる。だが教官たちによる訓練はそれに合わせて容赦なく過酷さを増していくため、一向に楽にはなっていなかった。

「ちょっとはそれの扱いにも慣れたか?」


 ジェインが言ったそれ、というのは、吹っ飛ばされた際にロウの手から離れて地面に転がっている、魔力を動力とした自動小銃のことである。

 火薬も弾丸も使われておらず、内蔵された魔力を使って、魔力の弾を、通常の銃器とは比較にならない威力で飛ばすのだ。使い方自体は、通常と同じように安全装置を外して引き金を引くだけなので、一般人でも撃つことはできる。威力に比例した反動に耐えられれば、の話だが。


 サイズは閉所でも問題なく取り回せる程度のもので、通常銃器と比較すると、その特性や外見はアサルトライフルや短機関銃に近い。だが新兵をはじめとする神返り未満の戦闘要員の装備として広く普及しているため、単に機関銃と言えば、たいていの場合はこれのことを指す。


「一応は……。でも、どうもあんまり向いてないような気もするんですよね」

「ま、それはしょうがねえ。そういう量産型の魔力内蔵式の銃じゃ、有効打を与えられる敵にも限度があるが、それでもお前らはまだ当分の間はそれも使って戦う方が強いからな。自分にあったスタイルで戦いたいんだったら、とっととそのレベルを卒業できるよう頑張んな」

「はい!」


 この三ヵ月の間行ってきた訓練の内容は、フィジカルトレーニングや白兵戦技術、銃器の扱いといった基礎的なものから、広大な敷地内に存在する森の中でのサバイバル術、及びそこに生息する獣との実戦形式での戦闘など、多岐にわたる。


 それらをこなす中で、自分がどんどん強くなっていくという実感は確かに存在したが、同時に、それでもまだ自分は、兵士としてのスタートラインにすら立っていない、という自覚もあった。オブリオやアヤミとの差は中々縮まっている気がせず、教官たちに至っては、いまだ雲の上どころか、大気圏の遥か先と言ったところだろう。


 もうそろそろ、他所の惑星に行って活動することになるかもしれない、という噂も、ここの所、訓練兵たちの間でささやかれている。

 より上を目指さなければ、という思いを、ロウは新たにしていた。


「んじゃ、今日も俺の家で飯食うか?」

「よっしゃあ、ゴチになります!」

「今日めっちゃハードだったし出前とりましょう、なんか高いやつ!」


 ロウがそんなことを考えていると、ジェインの言葉に反応して、シャルカとスウェンが子供のようにはしゃぎだす。


 オブリオによって居残り訓練に参加するか、もう自分につきまとうのをやめるか選ぶよう言われたシャルカは、当初のロウたちの予想を裏切り、いまだに訓練に参加し続けていた。

 腰巾着気質な言動は抜けきらないが、意外にも居残り訓練の厳しさに対して泣き言や文句を言わない根性を見せ、今ではロウたち五人の中における、お調子者その二としてのポジションに収まっている。


 三人の教官の中でも、ジェインは特に気前がいいのをいいことに、あれが食べたいどうせならどこかの店に行きたいとねだる二人の後を、ロウ、オブリオ、アヤミが呆れた目をして続く。


 そんな風景が、この三ヵ月の間で、既に見慣れたものとなっていた。






 ◆◆◆






「にしてもドア開ける時、この前みたいなことが起こんないかってヒヤヒヤしましたよ」


 デリバリーした料理を口に運びながら、ロウはジェインに向かってそう言った。


「ああ、あれびっくりしたよなあ。ドア開けたら半裸の女の人がお出迎えって」

「だあからアレはあいつが悪いんだって言ってんだろ! 朝家出る時に起きたら帰れって言っといたのに、驚かせたかったとか言って明かりまで消して待ってやがって……」


 ジェイン・リグヘットは、その外見や言動から受ける印象を裏切らない女性遍歴の持ち主だった。


 以前同じように五人でジェインの家を訪ねた時、ドアを開けた途端に当時の恋人だという女性が、あられもない格好でジェインに向かって抱きついてきたのである。

 その際、普段常に余裕のある態度を見せる教官が、珍しく教え子たちの前で慌てた様子を見せることになったのだが、当然ロウたちにとっては、目のやり場に困ってそれどころではなかった。


「今日はあの人いなかったんですね」

「つうかあいつとはもう切れたよ」

「えっ」


 スウェンはごく軽い冗談のつもりで言ったのだが、それ以上にあっさりと返されたジェインの答えに、場がかすかに緊張した。


「えっと、それは、この前のことが関係して……」

「違え、違え、単にお互いもういいだろ、ってなっただけであいつも普通に納得ずくだ」

「ええ? でもあの人凄いジェインさんのこと好きみたいでしたけど」

「教官って女性関係派手な割に、その手のトラブルほとんどないって聞きましたけど、コツでもあるんですか?」


 既にプライベートではスウェンはジェインのことを名前で呼び、ロウも他の二人の教官と区別する必要がある場合はジェイン教官、と呼ぶほどには親しい関係になっていた。


「まあそうだな、付き合ってる間は不誠実な真似はしない、ってのは大前提にした上で、後で揉める必要がなさそうな相手だけ選ぶ、ってことだな。あいつも、あの時しか会ったことないお前らには頭軽そうに見えただろうが、あれで可愛げも、したたかでサッパリしたところも両方ある、いい女だったんだよ」

「はーー」

「ま、そんなこと言っても経験もないお前らには難しいわな」

「ぶっ!」


 それまでの表情から一転、急に意地の悪い顔になって言ったジェインの一言に、ロウとスウェンはそろって吹き出した。

 そしてそれに更に反応したのは、輪をかけて悪い表情を浮かべたシャルカだった。


「おっと、待ってくださいよジェインさん。童貞なのはこいつらだけで、俺は普通に付き合ったこともナニの経験もあります」

「勝手に決めつけてんじゃねえッ!」

「ったく、童貞は息まで童貞臭くてしょうがねえなあ。なあオブリオ」


 食って掛かるスウェンを軽くいなし、オブリオに水を向けるシャルカだったが、当のオブリオは目の前の何もない空間を見つめながら、黙ってジュースに口をつけている。


「あ、オブリオ! お前もしたことないんだろ!」

「それがどうした? 女性関係の有無で何か不都合なことがあるのか」


 それに対して今度はスウェンが反応し、それに対するオブリオの答えは落ち着いたものだったが、いつもよりわずかに早口のようにも思えた。

 ロウはそれを呆れたような、自身も落ち着かないような気持ちでながめていたが、ジェインが同じく黙っていたもう一人の人物に視線を向けたのに気づくと、猛烈に嫌な予感に襲われた。


「で、アヤミ。お前はどうなんだ?」

「教官ッ! セクハラですよッ!」

「軍隊のような閉鎖的な組織でそのような問題が黙認されるのは悪しき習慣だと考えますッ!」

「あ、あはは」


 案の定な発言をするジェインと、顔を赤くしながら引きつった笑いを浮かべるアヤミとの間に、オブリオと二人して割って入った。こういう時、全く悪びれない教官の軽薄げな容姿が、やたらと憎たらしくなる。


「何だ? いつもネタにしてるから非処女だと困るってか?」


 思わず拳を握る。教官とはいえ反射的に手を出しそうになったが、間違いなくハエが止まった程度にも効かないだろう。そのうえ、手を出してしまえば暗にその下品極まる発言を認めてしまうようでもあり、どうにか自分を抑えようとする。


 それでもその拳の行き先を求めてしまうのを抑えられないロウに向けて、更なる言葉の爆弾を放ってきたのは、いつの間にやらスウェンと取っ組み合いに発展していたシャルカだった。


「真面目ぶってんじゃねえぞてめえっ! アヤミ! こいつも硬派ぶってるけどな、お前がいない所では、アヤミは経験があるのかないのかって話を――――グエッ!」

「お前とスウェンが勝手に盛り上がってるのを止める気力もわかないから適当に相槌打ってただけだろ誤解されるようなこと言うんじゃねえッ!」

「おいロウ、俺まで盛り上がってたみたいに言うなよ! アヤミ、こいつが一人で勝手に熱くなってただけだからなッ?」

「お前らも参加してたことには変わんねえだろッ!」

「……アヤミさん。今更なことだが、本当にこんな集団のお守役を任せてしまい、申し訳ない。代表して謝罪する」

「あ、あはは、気にしてないよ。それに私、ずっと戦闘の訓練したり、他のお稽古したり、社交パーティーに出たりの生活だったから、そういうお付き合いとかは……」

「だってよ。よかったな聞いてたかお前ら。それとも経験のある年上のお姉さんにリードされて、っていう方が好きだったか? まあなんにせよ、実戦に出る前に悔いが残らないよう童貞は捨てといた方がいいぞ。なんなら俺が店連れてってやろうか? まあアヤミが頑張って一人で面倒見るっていうなら」

「教官ッ! ハラスメントはお止めくださいッ!」






 ◆◆◆






「で、女と言えばだけどよ」

「まだ下ネタ続けるんですか……?」


 料理や家具をひっくり返すような騒ぎがしばらく続いた後、ようやく落ち着いた後のジェインの第一声に、ロウは思わず呆れた声を出す。

 元々訓練で疲れ果てていたというのに、おふざけとはいえ乱闘めいた真似をして、体のあちこちが痛い。


「まあこれは真面目な話も含むから聞け。ていうかお前のための話だ。軍人になった以上、多少なりとも知っとかなきゃならない相手、炳下のな」


 ロウはわずかに姿勢を正した。


 炳下。

 すなわち、イルミナス連邦帝国皇帝。


 かつては詳しいことは何も知らない他国の支配者であり、今は一定以上の忠誠を捧げる対象でなければならない相手。


「ま、そんな堅苦しい話するわけじゃないから変に緊張すんな」

「あ、それなら、聞いておきたいことがあるんですけど」


 気にはなっていたものの、重要なことでもないので後回しにしていたこと。


炳下(へいか)っていう字、なんで普通の陛下とは違うんですか?」

「スウェン、答えられるか?」

「うぇっ! え、えっと、なんででしたっけ……?」

「おい、セリウス生まれのロウはともかく、なんで君が答えられないんだ」

「いや、学校で習った気はするけど、忘れちゃって……」

「君は相変わらず、自分が既に公人であるという自覚がまるで足りてないようだな……!」

「アヤミ、説明してやれ」


 ジェインに言われて、ロウと首をすくめるスウェンの二人に向けて、アヤミが小さく笑いながら、炳という字を書いて見せる。


「共通言語に使われている字が、元はイルミナス建国より更に昔に存在した国家で使われていたものだってことは知ってるよね。その国家はイルミナスという国の基になったいくつかの国家の内の一つで、イルミナスはその思想を受け継いでる部分も結構あるの」


 炳という字は、光り輝くさま、また明らかなさまを表す。そして古代の思想において、丙という字は「ひのえ」とも読み、それ自体が〝陽〟と〝火〟の二つの属性を表すとする考えがあった。また丙本来の意味は台を表し、これらのことから、丙に火偏をつけた炳を太陽、そこから更に転じて、〝恒星の如き人〟とされたイルミナスの初代皇帝、及びその玉座を表すようになった。


 そして、一般的な君主に対して用いる『陛下』は、階段の下の意であり、かつては臣下が(きざはし)の下にいる侍臣を通して、君主に上奏したことに由来する尊称である。それと同じようにして、イルミナスでは皇帝のことを(玉座を意味する)炳の下、炳下と尊称するようになったのだった。


「なるほど……」

「で、だ。お勉強はそこまでにして、炳下について、お前ら、どういう印象だ?」

「もんのすっごい美人ですよね」

「あと胸がヤバい。デカい」

「君たち……ッ!」


 少し真面目な話になったかと思った途端の不真面目二人の発言に、オブリオがひたいに青筋を浮かべながら立ち上がる。どうも本気で怒っているらしい。ロウが伝え聞く限り、当代の皇帝とは、まさしくイルミナスの国家理念を体現するような存在であるらしいから、オブリオは純粋に敬慕しているのかもしれない。


「いや、だって、どうしたって目が行くだろあの大きさはっ」


 拳を握って詰め寄るオブリオをなだめようとするシャルカの隣で、スウェンは首をひねっている。


「俺は流石に、あそこまで大きいとな。爆乳と言える大きさの、更に先にいってて……」

「馬ッ鹿お前、それがいいんだろうが! あの爆乳と奇乳の境界線上に、危ういバランスで立ちながら、それでなおあろうことか全く形が崩れていないあの奇跡の造形が! ていうか奇乳の側に一歩はみ出ちゃってない? ってなる絶妙な塩梅が――――グエッ!」

「……そんなにデカいの?」


 したたかにこめかみを打ち抜かれるシャルカは無視しつつも、ロウは好奇心に負けて聞いてしまった。


「あ、ロウまだ映像でも見たことないの? すっごいぞー、たとえタイプじゃなかったとしても、あの美貌とスタイルは一度は見とくべきだって」

「俺実際に見たことあるんだけどな」


 思わず前へ身を乗り出してしまったロウに、ジェインが同じようにして距離を詰める。


「炳下が気をつけ、のポーズみたいに腕を体に密着させた体勢でいるだろ? その姿を真後ろから見るだろ? すると腕の横から、横乳が見えるんだよ。しかも割と余裕で」


 その時、ロウの自制心は、視線がアヤミの方へと向こうとするのを防ごうとして、半歩及ばなかった。

 アヤミのそれも、世間一般では十二分に大きいと評されるべきサイズではあるが、それでもその横乳が腕からはみ出るには至らない。そんなアヤミの胸を、頭の中で膨張させていき、真後ろからも見える大きさというのを想像してみる。


「ぅぉぉ……っ」


 思わず感嘆の息が口からもれたのと同時に、アヤミと目が合った。


「ちがっ、ごめん、いやその、そうじゃなくてっ」

「はいはい、もう、怒ってないから、そんなおびえながら謝らないの」


 我ながら最低すぎると、ひたすら恐縮するが、確かにアヤミの目は怒っているというよりひたすら呆れている風で、それが尚更申し訳がない。


「しかも炳下はどうしても真っ先に胸に目が行くが、尻も負けないくらいヤベえんだぞ。どぉん、と出ていながらきゅっ、と引き締まってつん、と上を向いててな。骨格からして違う、ってやつだ。脚もびっくりするほど長いし腰付きなんか……」

「教官、もうこの話やめません……?」

「なんだよ、せっかく俺が炳下のことをよく知らないお前のために、身近な連中からの声を聞くことで、親近感を持たせてやろうとしてんのに」

「本当ですか? 単に猥談したいだけじゃないんですか?」

(わー)った、(わー)った。じゃあ内面の話な。どういう性格ってイメージだ?」


 今度はすぐには意見が上がらず、スウェンも顔に青あざをつくったシャルカも、首をひねっている。


「直接会ったことがないしなんとも……、とにかく凄い人、って感じですね。あと優しい」

「僕もお会いしたことはありませんが……、僭越ながら、煌祖に並ぶ、あるいはそれ以上の、イルミナスの歴史上でも最高の皇帝だと思っています」

「そんなに凄いんだ? まだ若いんだよね」

「凄い方だよ。六歳で即位して、その歳でイルミナスどころか、血の千年紀で大混乱の人類社会全体をまとめ上げて、勝利に導いたんだから」

「……六歳? 実力相応主義のイルミナスで?」


 思わず耳を疑い、アヤミをまじまじと見つめてしまう。


「流石に即位の前後には色々とあったがな。だがまあ、その即位が間違いじゃなかったって、直後に世界中に認めさせたんだよ。そうして獣から宇宙の覇権をもぎ取った後も、血の千年紀の爪痕が深く残った人類社会を引っ張って建て直し、今の史上有数の安定した時代を築いたんだ。お前らの世代にはわかりにくいだろうが、千年紀の前は、今より大分獣に押されてたんだぞ」

「炳下の内面の話であれば、僕もお聞きしたいです。炳下の偉業は、生まれ持った才能はもちろんですが、それ以上にご自身の地位に伴う義務や責任に対し、誰よりも真摯であるが故だと、思っているのですが」

「そうだなあ」


 これまでとは一転して、自ら話を深いものにしようとするオブリオ。それに対しジェインは、自分の前に置かれていた酒に口をつけながら、視線を上に向けた。


「実際のとこ俺もあの方の内面について、物知り顔で語れるような立場じゃないんだが。まあ、お前の考える炳下像と、大きく違うような方ではないさ。自分への厳しさ、っていう点では、お前も相当なもんだ。それこそ炳下とそう変わらないくらいにな。だがお前は自身を厳しく(いまし)めようとするあまり、時に自ら視野を狭くしてしまう。自覚はあるだろうがな」

「……はい」

「炳下にはそれがない。常に与えられた選択肢の中からベストか、それに近いものを選ぶことができ、同時にいざという時の選択肢を増やすための努力を、常日頃から惜しまない方だ。それが上に立つ者の義務だと理解し、実践している」

「上に立つ者の義務、かぁ……」


 その時、シャルカが、ぽつりとつぶやいた。ロウが横目で見やると、シャルカは遠くを見るような目をしながら、自分の前にある飲み物に手を伸ばしていた。


「あと炳下って言うと……スティクマ大将とのコンビ、っていうイメージですかね」

「あー、ディオレさんなあ」

「! ディオレ・スティクマ大将と、お知り合いだったのですか」

「教官と親友だったんだよ、あの人。それで俺もよく世話になった」


 ディオレ・スティクマ。


 その名は、やはりロウにはほとんど聞き覚えのないものだった。だがオブリオの食いつきぶりを見るに、その人物もやはり相当なビッグネームであることはうかがえた。


「ロウはスティクマ大将のことも知らない?」

「知らな、ああ、いや、なんか聞いたこともある、ような……?」


 セリウスにいたころは、イルミナスの軍人の名などほとんど聞いたことはないはずだが、記憶の底を漁ってみれば、その名は例外的に覚えがあるような気がしてくる。


「炳下の治世を常にそのすぐそばで支えて、腹心中の腹心とされていた方だ。親代わりとして炳下を教育して育て上げたのがこの人なんだとか、そもそも炳下がたった六歳で即位したのも、ディオレさんの尽力によるものだとか言われているくらいのな。そして何より、あの人は、強かった。それはもう、ハチャメチャのメチャクチャにな」

「血の千年紀におけるイルミナスの英雄と言えば、ディオレ、ヴィクトア、グラッドリー、クリス。この四人だけど、ディオレ・スティクマ大将は、その四人の中でさえ別格、って言われるくらいの人だよ」

「グラッドさんと比べても……!?」

「上には上がいて、その上には更に上がいる世界だぜ、この宇宙は」


 ジェインがそう、ロウにというよりも、自らがしみじみと感じ入るように言うと、オブリオがそれに続けて呟いた。


「そしてその頂点に、絶対的に立つ人物こそ、ディオレ・スティクマ、だった。三年前までは」


 視線でその言葉の意味を問いかけるロウに答えたのは、やはりジェインだった。


「ディオレさんはもういない。三年前、オルートで起こった事件で行方不明になって、それっきりだ」


 オルート。


 今度は、その固有名詞がロウの記憶を明確に刺激した。


「オルート……? 三年前……、あ、その事件は知ってます」

「だろうな。セリウスではイルミナス以上に報道されててもおかしくねえ」


 お前らはちゃんと覚えてるか、とロウ以外の教え子たちを見るジェイン。お前ら、と言いつつ、その視線は完全にスウェンに向けられているが。


「え、っと、オルートって星で、惑星中の獣たちがいきなり狂暴化して、暴れだした事件、でしたよね?」

「これが言えなかったら流石に殴ってるとこだったぞ」


 首をすくめるスウェンを見ながら、ロウは当時人類社会全体を揺るがしたその事件について、覚えている限りのことを、記憶の底から掘り起こそうとしていた。


 今しがたスウェンが口にしたように、およそ三年前、イルミナス領アルゴ星系第四惑星オルートは、惑星中の獣の大半が突如として狂暴化し、互いに殺し合うという、前代未聞の異常事態に見舞われた。


 惑星に駐屯していたイルミナスの軍が鎮圧に当たったが、甚大な被害を受け、失敗。地下に避難していた民間人を残して、軍の生き残りはオルートから脱出した。そしてそれから数日後、ミッドスターからの増援によって、オルートは奪還された。


 だがその時には既に、惑星の地下の各所に存在する避難地区の一つに獣が侵入し、内部に隠れていた十万人を超える民間人が、成す術もなく殺戮された後だった。


「当時のセリウスでは、それはもう連日のようにそのことばっかり報道されてて、ちょっと異様な雰囲気でした」

「一つの惑星を守る駐屯軍が、その惑星上における人類の生存圏ごと壊滅して、十万を超す民間人が死亡。更には互いに殺し合った獣たちもその数を激減させて、生態系そのものが崩壊。極めつけに、そんなことが起こった原因は全くの不明ときた。イルミナスの歴史に残るレベルの不祥事だからな。血の千年紀からこっち、セリウスはイルミナスに差を広げられる一方だったから、ここぞとばかりにイルミナスを叩きまくってたよ」


 そう言うジェインの表情は、当時のことを思い出してうんざり、という以上に深刻なものだった。オブリオが、続きを求めるように口を開く。


「イルミナス国内でも、相当大きな問題になっていました」

「ああ、炳下も教官も諸々の対応に追われて、一戦闘要員に過ぎない俺までその余波でてんてこまいになるくらい、国中おおわらわだったよ。……一応、実際に戦った人たちの名誉のために言っときたいんだがな。オルートにいた軍は、事件が起こる直前まで、隣の惑星で起こってた別の件に対処してて、最初から大きく消耗してたんだ。そしてその状態でも、もうこれ以上は無理だ、ってなるギリギリのところまで、惑星に残って戦っていた」

「……はい」

「まあもちろん、だからと言って、軍にも、民間にも、獣にも、惑星そのものにまで、これだけの被害を出したことの責任は、国として逃れようがないんだがな」

「……あの事件の一番の問題は、そもそもどうしてそんなことが起こったのかが、今も全くわからないままだというところに、最終的には行きつくと思うのですが」


 ジェインの言葉を受けて、そう言ったのはアヤミだった。

 話が真面目になるほどスウェンとシャルカの口数が減り、オブリオとアヤミのそれが増えるのはいつものことである。


「そうだな。万が一にもまた同じことが起こらないようにするためという意味でも、それが一番重要だ。……その点、上はどうも、公式発表で言うほど、何もわかってないってわけじゃないようにも思えるんだが……」


 疑念がぽろりと、ジェインの口からこぼれ落ちた。ジェインの言う〝上〟には、戦闘要員のトップであるグラッドリーも含まれているのだろう。師弟としてどれほど親密に接していても、話してもらえない軍の機密に当たることは、当然山ほどあるはずだった。


 思案顔でいたジェインは、好奇心を含んだ視線が自身に集まるのにすぐに気づいて、さっさと話題を元に戻した。


「今のはお前らに聞かせることじゃなかったな、忘れろ。で、事件が起きた当時、オルートにはディオレさんを始めとする、ミッドスターから来た部隊もいたんだよ。さっきも言った、隣の惑星で起きた別の事件に対処するための増援としてな。そして駐屯軍とともにオルートで起きた事件を鎮圧するために戦って、行方不明。死体は見つかってない」

「ディオレ・スティクマっていう名前は、確かに当時聞いたことがある気がします。炳下と一緒に、宇宙の諸悪の根源みたいな扱いだった気がしますけど」

「セリウスじゃ基本的にそんな扱いだったよ。強いってだけじゃなく、国内外への影響力も炳下に次いで大きい人だったから、その分な。皇帝として炳下が、その武力としてディオレさんがいる限り、イルミナスは、いや人の世は盤石、なんて言われるくらいの、最高のコンビだったんだけどな」


 めっちゃ厳しいけどめっちゃ頼りになる人だったし、とつぶやくジェインの横顔から、名をあげた二者への敬愛の念を、ロウは感じ取った。


 ここまでジェインたちから聞いての皇帝とディオレの印象は、とにもかくにも凄い人たち、というのが正直なところだったが、そんなジェインの様子を見ていると、それはもう、よほどに凄い人たちだったのだろう、と思えてくる。

 そんなジェインの横顔を見ながら、スウェンが口を開いた。


「同じく千年紀の英雄である、クリス・バセット大将も一緒に亡くなられたんですよね。こっちは死体も見つかって。千年紀の英雄二人が一度にいなくなったっていう意味でも、当時は大騒ぎでしたよね」

「クリスさんなあ、あの人も優しい顔して、とんでもない人だったよ。部隊全体の戦力を消耗していたとはいえ、あの二人がいて壊滅とか、当時のオルートの状況がどんなだったのかは、正直想像もできねえな」

「オルートって、今はどうなってるんでしたっけ」

「人も獣も、どうにか復興してるよ。特に獣どもはたくましいもんだ」


 そう言ったジェインは、せっかくだから後学のために聞け、と続けて、説明を始めた。


 オルートで起きた事件において、イルミナスは確かに甚大な被害を受けたが、互いに無益な殺し合いを演じさせられた獣たちが受けた被害は、その比ではなかった。


 獣たちを狂暴化させた謎の現象は時間とともに自然消滅していき、数日後の奪還作戦の際には、ほとんどその影響は消え去っていたという。だがその時には既に、オルートの獣たちはその数を激減させ、その生態系は、完膚なきまでに崩壊していたのである。

 事態は終息したものの、そのまま獣たちは死に絶えるか、そうでなくとも先細りしていき、オルートは人類がその全てを支配することになるかとも思われた。


 だが、そうはならなかった。


 この宇宙において最も恐ろしいものは、危機に瀕した生命が見せる、驚異的な力だという言葉がある。

 オルートの獣たちが見せた強さ、したたかさは、まさしくそれを証明するものだった。


「こんな実験を聞いたことないか? 人間の研究所内に、実際に自然界に存在するものと全く同じ環境の森を作り、実際と同じ種類の獣を放った。そしてしばらく観察して、実際の森と同じように生態系が維持されるのを確認した後、外来種に当たる、別の地域に生息する獣を放った。するとその獣が特定の獣を狩り尽くしてしまい、それが引き金となって生態系がドミノ式に崩れ、最終的には全ての獣が死に絶えてしまった。しかし、実際にモデルとなった森に同じ獣を放っても、同じことは起きなかった」


 外来の獣が特定の獣を狩り尽くしてしまう前に、その危険を察した他の獣たちが、外来種を残らず駆逐してしまったのである。


「この生存競争の宇宙で、実際の自然界に生きる獣どもは、どいつもこいつも強く、賢く、したたかだ。種全体が危機にさらされるほどに、そうなっていく。オルートの獣たちが見せたのは、まさにその極限だった」


 激減した数は、外部から補う他ない。

 他惑星で住処を失った獣などが、新天地を求めて、大挙してオルートに流入してきた。山ほどの外来種が押し寄せてきたのである。だがオルート在来の獣たちは、自らが持つ能力をフルに活かして、それぞれの形で彼らと折り合いをつけていった。


 ある者は力で己の居場所を守り、ある者は自らの生態や肉体を変質させてまで、新たな環境に適応した。

 そうして以前とは全くの別物として急速に再構築されていく生態系の中で、自らの立ち位置を確保していったのである。


 その試練は、惑星の主と称される強大極まる獣から、およそ戦闘力など持たない非力な獣にまで、それに伴う無数の摩擦とともに、等しく訪れた。

 そしてその試練を乗り越えたものだけが、今日、かの惑星で生き残っている。


 およそ三年が経った現在では、獣たちはかつての七割ほどにまで、その数を増やしている。しかし急速な再生には、同時に多くの混乱や衝突が伴った。

 元来、自然環境が豊かで穏やかな分、縄張り争いも激しかった惑星である。現在においても、日々惑星中で、大きなものから小さなものまで、無数の争いが起きている。


 それを、以前以上に規模を増した駐屯軍と、それを統括する新指揮官の手腕によって、可能な限り無用な拡大を抑えているというのが、惑星オルートの現状であった。


「激動の惑星ですね……」


 自分がセリウスで機械的に働いている間も、イルミナスで訓練にはげんでいる間にも、違う星系の違う惑星では、常に激しい変化が巻き起こっている。感慨めいたものを、ロウは感じた。


「まあオルートで起こったことは、相当特殊な例じゃあるが、この宇宙では、常にどこかで同じくらいに事態が激動している。そして、お前らがその中に放り込まれるようになるのも、そう先の話じゃねえ。いつその時が来てもいいように、覚悟は決めておけ」


 ジェインはそう、教官の顔で言って、話を締めくくった。






 ◆◆◆






「俺だってなぁ、頑張ってるんだよ。なのにお前らは腰巾着だ金魚の糞だってよお」

「思ってない、思ってないから」

「シャルカ、それくらいにしろ。明日に酔いを残す気か」


 その後もしばらく、ロウたちは他愛のない話を続けていたが、次第にシャルカが周囲にからみだしていた。その前には、空になった酒の容器。

 なお、イルミナスでは酒は二十歳からなので、ロウたちはお茶やジュースである。


「嘘つきやがれお前らよぉ、お前らン中で俺が一番年上なのにお前ら一度も敬おうとしないでよお。俺のこと根性なしの駄目な奴だと思ってんだろお前らよぉ」

「根性なしだとは思ってないから離せって。駄目な奴だとは常に思ってるけど」

「嘘つきやがれっ! 俺なんてよお、今まで何かが長続きしたことなんて一回もなくて」

「あーもう鬱陶しいな!」


 まとわりついてくるシャルカをロウは引きはがそうとするが、執拗にしがみついてきて離れようとしない。


「鬱陶しいかあ、そうだろうなぁ。オブリオもよお、俺みたいなのに付きまとわれてさぞや迷惑だったんだろ?」

「…………」

「シャルカさん、長続きしたことなんてない、って言うけど、この三ヶ月間、居残ってのものも含めて、訓練頑張ってきたでしょ?」

「そうだぞ、正直俺は、どうせすぐにもう無理、って言って止めると思ってたけど」

「それは、よお。俺は、親父たちに、ああ、そうか、俺……」


 アヤミの言い聞かせるような優しい言葉に、本音を混ぜつつ便乗すると、シャルカはどこか安心したように大人しくなり、やがて眠ってしまった。


「彼の家と僕の家は、以前から付き合いがあってな」


 それを見ながら、オブリオがぽつりと口を開いた。


「彼の兄弟は進んだ分野こそ違えど、上も下も優秀な人物だと聞いている。だが彼自身はどの方面にも今一つ芽が出ず、長い間くすぶっていたらしい。だが親に紹介された職に就くことに反発して、半ば家出のような勢いで入隊したそうだ」

「あー、なんか目に浮かぶな。それで、なんでお前はそんなことを知ってるんだ?」

「ご両親から、迷惑にならない範囲で面倒を見てくれないかと頼まれてな。戦場で足を引っ張るようなら、迷わず見捨てて構わないからと」

「過保護なんだか厳しいんだか……」

「彼が居残り訓練に付いてこれないようなら、その時点で見捨てられたのだがな」


 やがて場はお開きとなり、ジェインに今日は泊まっていくよう、シャルカを客用の寝室に運ぶように言われ、オブリオはシャルカの、どこか安らいだような寝顔を見た。


 そしてお姫様抱っこも気色悪いと、片腕でぞんざいにその体を担ぎ上げた。






 ◆◆◆






「オルートへ増援の要請か」

『そちらで何かあったのか』


 その日、グラッドリーは職務を終えて自宅へと戻った後、緊急の通信を受けた。

 それに応じてグラッドリーの他に通信越しに顔をそろえたのは、イルミナスの軍事においていずれも重要な責務を負う、三人の人物。


 その内の一人、この通信を要請してきた相手に疑問を投げかけた男は、実戦要員のトップであるグラッドリーと並んで、軍の最高位にある人物、ライナス・マガリッジだった。


 四〇歳前後の外見を持つ彼は、統帥権、軍令権を預かる立場として、軍の戦略決定において最高の権限を有する身である。この場の四人の中で唯一神返りではないが、若い頃には前線の一兵士として獣との戦いに明け暮れた経験を持ち、その眼光の鋭さはグラッドリーにも劣っていない。


『何かがあったわけじゃない。だが、遠からず何かが起こると見ている』


 二人に対しそう答えたのは、ミッドスターから遠く離れた別星系に駐屯している軍の指揮官である、ウェンディード・ワルフィール。


 外見は二〇代後半、軍の序列においては二人の下位に位置するが、階級においては三人とも同じ大将である。黒髪に黒眼の隻眼の男で、顔の右半分を威圧的に覆う眼帯に注目せずとも、その歴戦の強者の風格を見て取るのは難しくない。くぐってきた修羅場の質と量が、表情と物腰に表れる戦闘的な緊張感となって、見る者に迫ってくるような男である。


 そして一軍の指揮官として、イルミナス随一の人材と称されることもある彼が、およそ三年前から駐屯している惑星の名こそ、アルゴ星系第四惑星、オルートであった。


『貴方がそう言うのであれば、相応の根拠があるのでしょうね』

『御意にございます、炳下』


 軍人然、戦闘者然とした男たちの間に、場違いなほどに(つや)やかで、透明感のある声が響く。

 それに対するウェンディードの答えが示すように、その美しい声の主こそは、軍の最高位にある三者に対し、明確に上位に位置する唯一の存在、イルミナス連邦帝国皇帝その人であった。


 辺境の要地を預かるウェンディードから、皇帝、そして軍の最高位にあるライナスとグラッドリーへと、急を要するという通信を受け、彼らはそれぞれ居城と自邸から、こうして通信画面を通して顔をそろえていたのだ。


『私はこのオルートに、何か大きな不穏の種が埋められつつあるように思うのです』


 オルートで起こる戦闘の数が、この三日ほど増加している、とウェンディードは言った。


 無論、それ自体は、何も不自然なことではない。

 そうした数には波があるものであり、それを逸脱するほどの増加というわけでもない。だがウェンディードは、この戦闘数の増加に、わずかな違和感を覚えた。正確には、それらの戦闘が起きるに至った背景に、である。


 彼はある理由から、昨日から今日にかけて、部下たちの多数に通常の業務を停止させてまで、自身が預かるオルートに関するあらゆるデータを、徹底的に検討分析させていた。特に軍事面においては自らが陣頭に立って各種のデータと向き合い、その結果として、前述の違和感を覚えるに至ったのである。


 獣が戦闘を起こすのには、偶発的なものであれ必然的なものであれ、〝原因〟が存在する。そしてその原因のそのまた原因、とさかのぼっていくと、普段であれば戦闘を回避してもおかしくない状況に置かれた獣が、自ら交戦に及ぶといったような、妙に好戦性が増しており、しかもその原因がわからない、という事例が、少なくない数見られたのである。


 無論、そうしたごく細かな事象を、全て把握することなど不可能である。イルミナスは戦闘の原因となり得る情報の監視、収集、分析に力を注いでおり、ウェンディードが掌握するオルートにおけるそれは、その中でも特に細密なものだが、それにも限界はある。


 だがそれでも、現在オルートに、軍が把握できていない、何らかの不利益となる要素が存在している可能性は高いと、隻眼の男は言い切った。


「オルートの獣たちに影響を及ぼしている何らかの要素、か」


 そこまで説明を受けた時点で、グラッドリーもライナスも皇帝も、ウェンディードの判断を支持する姿勢も、その逆の姿勢も見せなかった。話を一度区切りはしたが、彼の説明がまだ終わっていないことは明らかだったからである。


『ウェンディード、ある理由から、オルートのあらゆるデータを分析させた、と言ったな。その理由とは?』


 ライナスの言葉にウェンディードはうなずくと、一人の男の画像を映し出した。


『二日前に、オルートの森の中で不審な行動をしていたとして拘束した男、ランドン・ヘイウッドです。五年ほど前まで隣接する星系に暮らしていましたが、家族に暴行を加えて失踪していたことがわかっています。顔、名前に覚えはありますでしょうか』


 三人が一様に否定するのを確認し、ウェンディードは続ける。


『先立ってシルベーラ大将にも問い合わせましたが、答えは同様でした。過去にも犯罪歴はありますが軽度の傷害であり、今回に関しても凶悪犯罪に関与しているとは証明できないため、現状ではこの男に拷問を行うことはできません』


 イルミナスでは、非常時における拷問の実行を正式に認めているが、そのための条件は厳しく定められている。


『尋問に対し現在まで黙秘を続けていますが、私はこのランドンが、先の戦闘の増加に、間接的にでも関係していると考えています』

「根拠は」

『この男に従軍歴はありませんが魔力の行使を可能としており、拘束された付近で回収された、ごく新しい魔力の残滓(ざんし)も、本人の物と一致しました。失踪後に行使可能となったものと思われます』


 魔力を行使できるようにするための強化技術は、国家によって厳重に管理されている。まれに、その手術を行うことなく行使できるようになる者も存在するが、そうした者も、まず間違いなく国によって早期に把握された。

 そのような事実と合わせて考えれば、確かにランドンというその男が、善良な一般市民ではないことは確実であろう。


『そして――――』


 ウェンディードが一拍、間を開けた。

 次に発する言葉を強調するためだったが、それまで平静に話を聞いていた三人に衝撃を与えるのに、強いてそんなことをする必要はなかった。


『私はこの男が、現在問題視されている、例の組織とも関係していると考えています』

「――――何」

『例の地下組織と?』


 グラッドリーとライナスの声が、緊迫を孕んだ。言葉こそ発さなかったが、皇帝もまた同様の心境であることは疑いない。

 ウェンディードが口にしたのは、イルミナス首脳部にとって、現在最大の懸念事項の一つであると言ってもいいことだったからである。


 近年イルミナスでは、単独の犯罪者やテロリストなど、本来であればじきに治安維持組織によって確保されて然るべき者たちの一部が、突如捜査線上から消えるという事態が報告されるようになっていた。

 まるで、大きな力を持つ何者かに(かくま)われたかのように。


 とは言えそれらは、最も古い事例と考えられる十年以上昔のものから、極めて低い頻度で散発的に起きていたものであり、これまでそれらは根を同じくする案件であるとは考えられていなかった。


 しかしイルミナスだけではなく――――中には事件そのものが公にされていないことも多いが――――セリウスやベネヴァレートでも、同様の事態が起こっていること。そして消えた者たちはいずれも、高い凶悪性や異常性と、有用な能力とをあわせ持っている点で共通していることが、ハインズ・シルベーラによって指摘された。


 そしてそれを受けた皇帝の命により、各諜報機関が極秘に調査を進めた結果、これらの犯罪者を匿う、地下組織の存在が浮かび上がったのである。


 この組織は、少数の例とはいえ、治安維持組織に先んじて対象に接触し、自組織に吸収していると考えられること。そしてその際に巧妙に自らの痕跡を消していることから、その存在は極めて大きく、危険なものであると見られているが、具体的な規模や構成員といった詳細は、依然として判明していない。


 反国家、反社会的な目的を持つ要注意組織として、イルミナスの各情報機関から、現在最も厳重にマークされている存在である。


『私はかの組織に吸収されたと考えられている者の内幾人かのことを、直接知っています。そしてそれ以外の者についても詳細に経歴を調べた結果として断言したく思いますが、この組織は、政治的信条のために暴力を行使するテロリスト集団などではなく、より危険な、暴力そのものを目的とし、志向する者たちです』


 同組織をそのように分析した者は、ウェンディードが初めてではない。だが彼の持つイルミナスでも有数の密度を誇る戦歴は、その説に確かな重みを加えるには十分なものだった。


「拘束したランドン・ヘイウッドも、その同類だと?」

『故郷の惑星に人をやり調べさせたところ、幼いころは近所の犬や鳥を石で打ち殺すなど猟奇性が目立ち、長じてからも癇癪(かんしゃく)の強さが抜けず、周囲と暴力沙汰のトラブルを繰り返していたようです。しかしそんな男が今、不気味なほどの大人しさで、黙って尋問に耐えています。奴は解放される契機となる、何かを待っている。それが私の見解です』

『つまり』


 皇帝の美しい声が、ウェンディードの語る所を要略した。


『ランドン・ヘイウッドは乱を望む地下組織の一員であり、オルートにおける戦闘の増加は、彼らが獣たちに何らかの影響を与えた結果だと、貴方は考えているのですね?』

『御意。三年前の件と合わせて、この地には豊穣な惑星という以外の何かがあると、私は考えています』

『自信の程は?』

『確実、とは申せません。現在惑星内に他に不審な人物がいないか、捜索はさせていますが、それもいまだ見つかっておりません。しかし、この推測が現実のものとなる確率と、その時に予想される脅威の大きさを考えれば、戦力の増強は必要である、ということは、我が戦歴にかけて具申致します』


 ウェンディードは残された左目で、皇帝の声に増して美しい瞳をはっきりと見据え、断言した。

 そしてその言葉を最後に、しばし、四人の間に考慮を意味する沈黙が流れる。


 ウェンディードの主張は、ここ数日のオルートにおける戦闘の増加と、以前から危険視されていた地下組織の存在を、前者と同時期に拘束された、後者と同様の性質を持つと考えられる男によって結び付けることで成り立っている。


 ランドンと組織が繋がっているという、物証や自白には期待ができない。である以上、焦点となるのは、現在オルートの獣たちに対し好ましくない影響を与える要素が存在する、ランドンが組織の一員である、という二点に関するウェンディードの分析の信憑性だった。


 これらの分析には、少なからずウェンディード自身の直観――――経験に裏打ちされた、当人にも言語化できないほどの細密さでの判断力――――に()る所があるのは間違いないだろう。


 直観は、根拠の無い、あるいは極めて薄い山勘とは、明確に別のものではある。

 だが個人個人の経験によって導き出される、その当人だからこそ下せる判断でもあり、客観とは相反する部分があることも確かなものである。


 だがそれでも、豊富な経験と確かな判断力を持つ者が、可能な限りの情報を収集し吟味したうえで、なお決め難い決断に対し、己の直観を頼りとして出した結論であるのなら、それは十分に信頼のおけるものであると、彼らは考えていた。


 ウェンディードはいまだ四〇代と、大将としては若年であるが、入隊以来、常に最も激戦区とされる地を往来してきた。その戦場における経験は、量においては平均的な同年輩の倍近くにも及び、質においてはグラッドリーと比べても遜色がない。


 そしてその判断力は、戦歴相応以上のものであるというのが、イルミナス軍のトップに立つ、三者からの評価だった。


『結構』


 皇帝はそう簡潔に己の意を示し、グラッドリーとライナスもうなずいた。


『増援は如何ほど?』

『部下の中堅どころも連れて、神返りを七、八人、できれば十人ほど』


 むう、とうなりながら、グラッドリーはライナスと目を合わせた。


 こういう時の彼は不機嫌な猛獣めいても見え、彼の教え子になって日の浅い者たちなどは、その姿に緊張せずにはいられない。当然、今のグラッドリーにライナスを威嚇する意思などなく、その共通の悩みの種は、この首都星ミッドスターに残しておくべき戦力のことだった。


 グラッドリーを含め、このミッドスターに所属する戦力は、他のイルミナス領内の惑星における、大規模な変事に備えるために存在する。グラッドリーも、ハルドもジェインも本来の役割は新兵の教官ではなくそちらであり、初日を除いて常に教官役は三人の内一人が担当していたのも、残る二人を待機状態にしておくためだった。


 実際、彼らが緊急の救援要請を受けて、他の惑星へと星系を越えて急行したことは、この三ヶ月の間だけでも度々あった。その場合、事が済めば、同じようにしてすぐにでもミッドスターへと帰ってくる。だが今回のように、あらかじめ予測された危機に備えるために該当の惑星へと向かう場合は、事情が異なる。


 実際に予測された事態が起こり、それが終息する、あるいはその予測自体が杞憂だったと判断されるまでは、ミッドスターに戻ることはできない。

 当然、その他の惑星で更なる異変が起こった際に即応できる戦力は、その間低下せざるを得ない。


『ここの所あちこち立て込んでいる。このミッドスターに残しておくべき戦力のことも考えると、それだけの数を長期間行かせるのは難しい……』

『しかしそれなりのまとまった戦力を寄越してくれなければ、増援としての意味がない』

「わかってる。少し待て」


 グラッドリーは腕を組み、ライナスとの協議を開始した。






 ◆◆◆






「それで、お前が自らハルドとジェインを連れて行くことにしたのか」

「ああ、明日の内には向かう。そのために今、ハルドに全員に通達させている」


 通信を終えた後、グラッドリーは偶然自宅を訪れたハインズ・シルベーラと、互いに向かい合って話をしていた。


 そしてそれに先立って、グラッドリーは自らがハルドとジェイン、神返りではない中堅の戦闘員、そして現在訓練中の新兵たちを連れてオルートへ向かうことを、ウェンディードに約束していた。


 要請よりも大分少ないが、最高戦力であるグラッドリーを含み、連れて行く部下も、その多くを長年の付き合いであり能力も気質も知り抜いた者で固めているため、集団としての完成度は高い。

 ウェンディードにも、急な要求をしているのは自分だという自覚があり、妥協案として、それを受け入れていた。グラッドリー個人に対する信頼も、その理由の一つだっただろう。


「それで、お前たちが抜けて、残る戦力は足りるのか」

「いつ戻って来られるかわからないことを考えれば、正直これでも不安がないわけじゃあない」

「ハイリスクな手というべきだな」

「ウェンディードが、その必要ありと断言した訳だからな。無視はできねえ。三年前のこともあるしな」


 グラッドリーの手は、ごく自然にテーブル上の皿と口の間とを往復しており、ハインズもそれを気にする様子はない。

 二人はこうして、頻繁に話をする。それは他愛もない話もあれば、今のように国家としての機密を含むような話もあった。


「しかし、訓練兵たちはどう扱うつもりだ。鍛え始めてからどれほどになる?」

「三ヶ月だな。予定ではこれから仕上げの段階に入るつもりだったんだが、オルートでそれをすることになるな。もしそれすらできない内にデカい事態が起こるようなら、あいつらは待機させる。どうにか間に合えば、それが奴らの初陣だ」

「起こるとすれば、ウェンディードがその兆候を()ぎ取った重大な異変か。過酷な初陣となりそうだな」

「ま、俺やお前の初陣より酷いことには、そうそうならねえだろうさ」

「あの頃と同列に語るな。今はもっと、若い連中を大切に育てるという選択肢も取り得る時代なのだからな」


 つい先刻まで頭を悩ませていたこともあり、グラッドリーは深刻な空気をやや茶化そうとしたのだが、ハインズはそれを(とが)めた。友人の猟犬を思わせる視線に、黒い猛獣のような男は肩をすくめる。


「分かってるよ、当然だろ。だが、今回はそれは中々難しいんだ」

「ああ、別にお前たちや炳下の判断を疑っている訳ではない」


 この判断を下した人々への、ハインズの信頼は根強い。それは確かな過去の実績に(もと)づくものだった。だが、常にベストを選択することは不可能なのが人間であり、ベストな手を尽くしてもなお、時に犠牲を出すことを避けられないのがこの世界である。

 彼はそのことをよく知り、だからこそ、自分のような役割が重要なのだと知っていた。


「訓練兵たちへの追加の手術も、やはり先になりそうか」

「ああ、実戦の前に手術して手早く強化、って訳にはいかないからな」


 強化技術の手術は、段階的に、複数回に分けて行うべきものだが、グラッドリーはその時期を、慎重に判断しようとしていた。

 手術は対象の力を飛躍的に高め得るが、肉体及び精神への負担も大きい。大一番を控えているからといって安易に追加の手術を行えば、十中八九逆効果にしかならないというのが、グラッドリー及び、イルミナスの見解だった。


 加えて、ロウたちが既に受けている手術は、内に眠る魔力を使えるようにするための、最も単純かつ基礎的なものである。

 そしてそれ以降の手術は、『魔力活性化』、『機械化』、『獣化』という三つの系統の中で更に細分化する多様な選択肢の中から、対象の個性や素質に合わせる形で、慎重に行われるべきものなのである。


 手術のタイミングを誤れば、対象に合わせられるべき強化処置が、逆に対象の肉体や精神を引きずる事態にもなり得る。

 可能な限り大切に育てようと思えばこそ、二度目の手術は早くとも一度実戦を挟み、その中で各々の適性を詳細に計ってから行うべきだと、グラッドリーは考えていた。


「それにしても、オルートか……」


 ハインズがぽつりと、つぶやくように発した声は、無数の感情によって、複雑に構成されていた。


 オルート。かつて惨劇が起こった地。


「皮肉といえば皮肉だな。過去にあの惑星で起きた事件のせいで、今あそこに送る戦力について悩む羽目になってやがる」


 そう笑うグラッドの言葉にも、皮肉を口にすることで、心の中にある何かから目を逸らそうとしているかのような響きがあった。


 両者はそれからしばし、沈黙を共有し。


「ディオレやクリスが生きていれば……か?」


 どちらからともなく、誰に言うでもなくそう口にし、再び沈黙した。


「……ああ、それで、ロウのことだけどな」


 やがて、ハインズがサーベラスの名で動いていた際にセリウスで拾い、グラッドリーがこの三ヵ月の間、自ら鍛え上げた少年へと、話は移った。


「やっぱり中々のもんだったよ。まだ何ができるわけでもねえが、根性と向上心は見上げたもんだ。同世代の連中とつるんでるが、それ以外の人間関係も良好だしな」

「そうか」

「心配か? 会って話くらいしていくか?」

「グラッド」


 静かだが、迷いのない声がさえぎった。


「俺はセリウスで彼と妹を救ったが、それは職務の延長線上の行為だ。その後いくらか世話を焼いたのは、ちょっとした感傷で、結局の所は自分のためだ。彼はもう自分の意思と責任で道を選択した。俺は彼の保護者ではなく、お前が今の彼の師だろう。出しゃばるつもりはない」

「そうかよ」


 ハインズは視線を、窓の外へと移した。


「らしくもない真似だったとは思っている。あまり茶化すな」


 グラッドリーも表情を改め、皿へと伸ばす手を一時的に止める。


「次に会うとしたら、互いに軍人として、ってわけだ」

「ああ、そのためには」


 惑星オルートがその舞台となるにせよ、ならないにせよ、ロウも、訓練兵たちはみな、試練の時を迎えねばならないだろう。果たして何人が、それを乗り越えられるか。


 窓の外では、時ならぬ大粒の雨が降り始めていた。






 ◆◆◆






 翌日、その日も訓練へと向かうためにジェインの邸宅で目を覚ましたロウたちは、魔力式端末に、訓練兵全員へ向けられた通信文が届いているのに気がついた。


 その内容は、争乱の気配がする惑星オルートへと、教官たちについていく形で、期間未定で赴任を命じる(むね)が、まず告げられていた。そして、煩雑(はんざつ)な事務的手続きはいらない代わりに、今日の正午にはこの星を発つこと、そして、転属願いを午前の間まで受け付けていることが記されていた。


 読み終わったロウたちは、互いに顔を見合わせる。遂にこの時が来た、という思いが、それぞれ微妙に異なる感情を介して、表情に表れていた。

 急といえばあまりに急な話だったが、それがこのミッドスター所属の戦闘要員でいるということなのだとは、既に承知していた。


 教官たちなどは、緊急の救援要請があれば、たとえ就寝中だったとしても、それから五分以内に出発の用意を終えることが義務付けられ、実際にはまず一分以内には出発するのが常識なのだという。


 転属願いを受け付ける、というのは、恐らく最後の警告なのだろう。

 訓練兵となった後も、教官たちは繰り返しこれ以降もここでやっていく意思を確認し続け、この三ヵ月の間に、実際に三人が他の惑星へと転属していった。


 いずれもロウたちよりもそれなりに年長であり、去るのに際し、後ろめたさを感じさせない、いっそ堂々と達観したかのような姿が印象的だった。

 彼らはいずれも、才能や根性が足りないから脱落したのではなく、自らの器を見極めて冷静な判断を下したのであり、故に何ら恥じる必要がないのだと、グラッドリーは言った。


 通信の末尾には、今日の午前中は自由に過ごしてよいとも記されていた。悔いの残らないよう過ごせ、ということなのだろう。

 ロウはガラヴァリスへと会いに行った。


 そして、その日の正午、全ての準備を終えて、教官たちの前に整列していた。


 前日までと変わらない数の教え子たちを前に、グラッドリーは多くを語らなかった。


 そして、ロウたち一六人の訓練兵は、大規模な動乱が予測されている地、惑星オルートへと旅立ったのである。


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