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生存競争の宇宙で  作者: ブンイチ
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第三話   なりたい自分になるために

 

「全員集まってるな」


 ごく尋常な音量にもかかわらず、猛獣が至近でうなっているかのようなその声に、ロウは全身を緊張させた。


 イルミナス連邦帝国皇帝の居城。今、その広大な敷地内にある訓練場で、三〇人ほどの男女が整列し、教官役らしき三人の男性が、彼らを見据えていた。


 ロウは入隊後、最初に配属されるにあたって、惑星間あるいは恒星間を移動する必要はなかった。彼がまず配属されたのは、イルミナスの首都星であり、亡命後既に二ヶ月近くを過ごした惑星、ミッドスター。


 この星は、他の人類にとって主要な少数の惑星と同様、人類に対し敵対的かつ強力な獣が存在しない、人類の完全な支配下にある星である。

 大規模な戦闘が起こる可能性などというものはほとんど存在しないが、そこに所属する戦闘要員たちは、決して危険のない首都で安楽と暮らす腑抜けなどではない。イルミナス領内で獣との大規模な戦闘、あるいはその兆候が確認された際、即座に急行するために、常に待機状態にあることを義務付けられている、最精鋭たちである。


 無論、ロウはともに整列している三〇人余りと同様、実戦経験など皆無の、新兵未満の訓練兵である。それが将来的に、その精鋭の末端に名を連ねることが許されるかは、今から始まる訓練に耐えられるかにかかっているはずだった。


 わき上がる不安を押し殺す。

 全身を灼熱の流体が流れているような痛みと異物感が、既にほとんどなくなっていることは幸いだった。だがロウはこれまで戦闘訓練を受けたことなど全くない、ずぶの素人である。それがいきなりこのような場所に配属されたことには、困惑を隠せなかった。


 教官たちの前に整列する際、その姿を見て、訓練兵たちの間に控えめなざわめきが起こった。亡命の身のロウにはわからないが、高名な人物たちなのだろうか。


 三人の中でも先頭に立ち最も格上と見えるのは、一九〇センチはあろうかという黒い肌の偉丈夫で、外見の年齢は三〇前後といったところ。黒髪を刈り上げた、いかにも野性的かつ獰猛そうな顔つきだが、同時に奇妙に落ち着いた風格の持ち主でもあった。


 その後ろに立つのは、前の男よりも更に背が高く体格も大きい、二十半ばほどと見られる巨漢だった。いかつい輪郭に髪はボウズであり、鋭いというより目つきの悪い三白眼で見降ろされると、三人の中でも外見的な威圧感は最も強くなった。


 その隣では、歳の頃は巨漢と同じほどと見られる金髪の青年が、こちらは愛想よく笑って立っている。線が細く鋭角的な顔立ちで、他の二人とともにいるといかにも華奢(きゃしゃ)に見えたが、それでもその背は、一七八センチのロウよりも大分高いだろう。


 先頭に立つ、黒い偉丈夫が口を開いた。


「お前たちの教官を務めるグラッドリー・フーゲルだ。後ろのチンピラとチャラ男は、ハルド・ヘイビスとジェイン・リグヘット」

「教官、開口一番でそりゃないっすよ」


 ジェインと呼ばれた金髪の小声の抗議を、フーゲル教官は無視した。ハルドと呼ばれた巨漢は、むっすりと表情を変えないまま、訓練兵たちを見渡している。


「長ったらしい挨拶は俺もそうだがお前たちも嫌いだろうから、可能な限り手短にいこう。本来なら、今期の新兵候補はお前たちの他にもういくらかいたんだが、その中で明らかに直接戦闘要員には向かないと判断された連中は、今ここにはいない。今ここに立っているという時点で、お前たちは戦闘要員としてある程度の素質を認められているわけだ。最低限、ここでやっていける可能性がある、という程度の素質をな」


 これから自分たちに教練を施す教官という立場を差し引いても、グラッドリーには、ロウたち訓練兵に自ずから姿勢を正させ、心中で気合を入れ直させるような圧力があった。

 いやにくつろいだ様子を見せる、巨大な猛獣。それが、ロウが彼に抱いた第一印象だった。


「だが知っての通り、このミッドスターに所属するのは、他の惑星でデカい戦闘が起こった際に、迅速かつ強力な援軍を送るための精鋭ばかりだ。もちろん今のお前たちじゃ、そんな水準には全く達していないし、求めてもいない。そのお前たちが、何故一時的にとはいえここに配属されたかというと……」


 教官が次に話す内容を強調するように言葉を区切ると、訓練兵たちはみな決して聞き逃すまいと耳を澄ます。


「これから戦いの世界で生きていくお前たちに、遥か昔から受け継がれてきた、先人のありがたい言葉を教えてやろう。〝この世界では、本気で強くなろうと思えば、生きている限り、いくらでも上へ行ける〟」


 それぞれに含まれた意味を強調するように、やや細かく区切られた言葉が、ロウたちの耳から脳へと吸い込まれた。


「それがこの世界の、強さにおける原則だからだ。この言葉に含まれた深ーい意味は、これからお前たち自身に実感していってもらうとして。今は、強さは環境に大きく左右される、ってことだけ理解しろ。特に、お前たちみたいな新兵はな。たとえ今は同じ程度の力量だったとしても、このミッドスターで俺たちの下で鍛えられた奴と、比較的平穏な辺境惑星で鍛えられた奴とでは、半年後の力量ははっきりと分かれる。――――半年後も生きている限りは、な」


 最後に付け足された言葉が、脅しなどではないことは明白だった。

 言葉に含まれた意味を実感しろと、教官は言っていた。仮に実感ができない、あるいは足りないままに実戦へと挑めばどうなるのか。その想像は、教官の言葉を更に注意深く聞こうとすることを、ロウへと促した。


「要するにここは、危険を冒してでも本気で上を目指そうとする奴らの登竜門ってわけだ。そしてお前たちがここでやっていくのに必要なものは単純、根性さ。先に言った通り、今ここにいるという時点で、お前たちは最低限の素質が認められている。そして今のお前たちの肩書きは、首都付き戦闘要員の訓練兵の、そのまた候補生。要はひよっこ以下だ。そんなお前たちの、現状における個々人の戦闘技量の差なんて大して意味はない。本気で上に行こうって意思のある奴だけが、ここでのしごきについてこれる」


 適度な、あるいは過度な緊張感が、訓練兵候補生たちを包み始めていた。ロウも無論例外ではない。戦闘において、常に緊張感の適度なることを保つのが優れた戦士の資質であるとすれば、今の自分はどうなのであろうか。


「さて? つうわけで、今日の訓練、というより試験の内容だが」


 グラッドリーの、急な、妙に軽い語調への変化は、かえって訓練兵候補生たちの不安をあおった。

 だが教官は気に留める様子もなく、親指で訓練場のはしを指し示す。性別も判別できないような距離の先に、一人の人物が立っていた。


「条件は一つ。今日一日、俺たちが止めと言うまで、戦闘の意思を示し続けること。それで合格さ。なに、安心しろ、ここでやっていくのは自分には無理だと思ったら、すぐにでもあそこまで行って転属を願い出ればいい。それでもう、明日からはここの所属じゃなくなる。それが出世や転属先での扱いに響くようなことはない。とはいえ、一定の素質を認められてここにいるお前たちだ。それなりの数が残ってくれることを期待する」


 教官の言葉に不穏さを感じたのは、ロウだけではないようだった。ざわめきこそなかったものの、周囲の動揺が気配で伝わってくる。


「説明は以上だ。質問はやりながら受け付ける。では――――行くぞ?」


 困惑を無視してそう言い終わったグラッドリーが、口を閉じた。次の瞬間、ロウの目の前に、惑星ミッドスターの青空が広がった。


「え……」


 次いで背中と後頭部に強い衝撃を感じ、気がついた時には、ロウはごろごろと激しい勢いで地面を転がっていた。


「がっ――――ぐ、ぇッ」


 ようやく回転が止まり、辺りを見渡しながら立ち上がろうとした所で、今更のように、背中や後頭部などとは比較にならない、胸に受けた衝撃と激痛を自覚する。骨が砕けているのではないか。


 ロウ以外の訓練兵候補生たちも、同じように訓練場のあちこちに転がるか、ふらふらと立ち上がろうとするところだった。つい数秒前まで立っていた場所から、何者かに殴り飛ばされたらしい。

 何者かとは? 決まっている。教官は言った。試験開始だと。


「どこ見てんだアアッ?」


 今度は殴られる瞬間を知覚できた。ロウ自身の反応によるものではなく、殴打と同時にぶつけられた怒声のおかげであったが。

 顔がなくなってしまったのではないか、と思うほどの衝撃によって再び吹き飛び、グルグルと無様に転がってからようやく停止する。


 立ち上がらなければ、と頭の隅から声がしたが、尾を引く衝撃と痛みのせいでできなかった。そしてうずくまったその体が、サッカーボールのように蹴り飛ばされ、束の間の浮遊感の後、交通事故にでもあったかのような衝撃に出迎えられた。


「がッ――――」


 肺の中身を一息に吐き出して、満足に声もあげられない。疑問を浮かべる余裕すらなく、頭の中が痛みのみで埋められる。

 地に突っ伏して痙攣する姿は、子供にたわむれに踏みつぶされピクピクと震えるアリのようだった。それでも立ち上がろうとしたのは、そうしなければすぐにまた蹴り飛ばされると、本能が痛みをも上回る大声で危険を告げていたからだった。


 全身がグシャグシャになったのではと思うのに、不思議と立つための力もわいてきた。これが、強化技術の恩恵ということなのだろうか。頭の片隅でそんなことを考えながら、震える体を叱咤(しった)してどうにか立ち上がる。

 そこでようやく、訓練場で繰り広げられている、信じがたい光景が目に入った。


 約三〇人の候補生たちが、三つの人型をした嵐に、為す術もなく翻弄されている。


 殴られ、蹴られ、叩き伏せられる彼らは、まさしく嵐の中の木の葉も同然だった。嵐である三人の教官たちの姿は、距離を置くことでどうにか、木の葉の群れの間を駆け回る影として捉えられた。


「ボサッとしてんな」


 視界に映るその影が三つから二つになったと気づく間もなく背を蹴り飛ばされ、ロウも再び嵐の中に放り込まれた。ボールのようにバウンドし、停止するのを待たず殴り飛ばされる。

 今ロウは、セリウスで体験した、自分では知覚すらできない、圧倒的な何かのただ中にいる感覚を思い出していた。


「まりみたいに吹っ飛ぶばっかじゃなくかかってこいよ。教官が言ってただろ? 戦闘の意思を示せ。それが無理ならとっととリタイアしな」


 その言葉とともに、間断なく続くかと思われた嵐が、ふと止んだ。折れていないのが不思議な首を上に曲げれば、教官の一人であるジェインがこちらを見て、笑って手招きしていた。


 ここでリタイア、すなわち転属の意思を示せば、嵐の外へと放り出されて、この苦痛の連続から逃れられるだろう。そんな考えが浮かび――――自分でも驚くほど強く、それは嫌だ、と思った。


 小鹿のように痙攣する足をどうにか立たせて、拳を握る。小指と薬指がおかしな方向に曲がっているのに気づかずに行ったため、激痛が走った。左手で押し込んで無理矢理拳を作ると、早く早くと動作で急かしてくるジェイン目掛けて、駆け出した。


 触れられるわけがない。手痛く反撃を受けるだけ。

 心中に浮かぶも強引にねじ伏せたその予想が、裏切られることはなかった。ロウの拳はかすりもせず、代わりに強烈な衝撃を左ほほに受けながら、ジェインの声を聞いていた。


「動きはまんま素人だが、ビビらなかったのは高評価だな」






 ◆◆◆






 どれほど経っただろうか。


 半日ほども殴られ続け蹴られ続けているようにも思えるし、まだ十分程度しかたっていない、と言われれば不思議と納得しそうだった。


 必死に嵐にあらがう内に、ロウは、自分たちの中に明らかに動きの違う者が一人、まぎれていることに気がついていた。他の候補生はみなロウと同様、嵐に翻弄されるばかりであり、教官のいう戦闘の意思を示すことができるのは、彼らの側からその機会を与えられた時だけだった。

 しかしその赤い髪の男は、その機会を自ら作り出していたのだ。


 彼は殴り飛ばされてもすぐさま体勢を立て直し、別の候補生を攻撃しようとしていたハルドを背後から襲撃する。そしてハルドが振り返りもせずに繰り出した強烈な裏拳によって、後頭部を地面にしたたかに打ち付けられる。


 だがその後頭部を起点にして素早く起き上がると、すぐ目の前に迫っていたジェインの拳を、すんでの所で両腕でガードしていた。膂力の圧倒的な差はいかんともしがたく、ガードを真っ向から破られ、ロウのすぐ目の前を吹き飛んでいったが……。


「オラお前も少しはあいつを見習いなッ!」


 グラッドリーの拳が、ロウの鼻面をしたたかに打ち抜く。衝撃によってその場で縦に一回転した後、そのままの勢いで地面に後頭部を打ち付けた時――――ロウの中で、何かが爆発した。


 周囲の光景と音が、急激に停滞する。

 目には、殴られてもダメージなどないかのようにすぐさま起き上がる赤い髪の残像。

 耳には、自分は彼より明らかに劣ると告げるグラッドリーの言葉。


 歯を食いしばる。己の中に、何か力強いものを感じる。

 夢中に、貪欲にそれに手を伸ばした。

 全身に力がみなぎり、棒のようになっていたはずの両腕が動いて、地面を掴んでいた。回転の勢いの余波をも利用して、逆さになっていた体を回転させる。流れるように起き上がったその目の前に、グラッドリーの無防備な背中があった。血がにじむほど拳を握りしめて、地を(しか)と踏みしめ、右腕を振り抜き。


 あごで爆発した衝撃によって、ロウは天高く吹き飛んでいた。軽く数十回転はしてから、固い大地と数秒ぶりに再会する。


「――――ッ!」


 今度こそ、声一つ出すことは出来なかった。

 体がバラバラになった。ロウは本気でそう思ったし、事実大の字に倒れた体は指一本動かすこともかなわなかった。先程までとは比べ物にならないほどの焼けるような痛みが脳を埋め尽くし、意識を焼き切ろうとしている。


「よーし、そこまで!」


 グラッドリーの声が響いて、訓練場に吹き荒れ続けた嵐は止んだ。嘘のような静けさを感じた。


「いい負けん気だった。大事にしろよ」


 グラッドリーはそう告げると、振り返ることもなく、ロウの横を通り過ぎる。首すら満足に動かせないためよくわからないが、他の候補生たちも同じように倒れて起き上がれずにいるらしい。


「痛いか? 動けないか?」


 出来ることといえば、うめき声を上げるくらいしかない候補生たちの上に、グラッドリーの声が落ちる。


「痛いのも、さっきまではまがりなりにも動けてたのが今はピクリともしないのも、原因は魔力にある。己の中に流れる魔力を感じ取れ」


 魔力。

 強化技術によってロウが得た、超常の力の源。


「お前たちがさっきまでどれだけボロボロにされても動けていたのは、お前たち自身の魔力のおかげだ。魔力にはただ体を流れているだけで、身体機能全般を強化し、負傷を高速で癒やしていく効果がある。だが今、お前たちの体は、俺たちが最後の打撃とともに打ち込んだ、〝俺たちの〟魔力によってむしばまれている。敵対的な意思と共に相手の体に侵入した魔力は、その体を内側から破壊していこうとする。そして侵入者である俺たちの魔力を迎撃するために、お前たち自身の魔力が、負傷の回復という役目を離れたせいで、本来の負傷の重さが今、お前たちにのしかかっているわけだ」


 ロウは今にも途切れそうになる意識を奮い立たせ、どうにか教官の言葉を頭の中で整理しようと試みる。


 ロウの内に流れる魔力が、殴られたそばから体を回復してくれていたおかげで、ロウは先程まで、どれだけ痛めつけられても動くことができていた?

 だが最後にグラッドリーにあごをしたたかに殴られた際に、グラッドリーの魔力がロウの体内へと侵入し、体を内側から破壊しようとしている?

 そしてロウ自身の魔力がその迎撃に回されたために、回復の効果がなくなって、今自分は動けずにいる?


「魔力は増やそうと思って増やせるものじゃない。だから扱い方を覚えろ。今この瞬間もお前たちの体の中では、俺たちの魔力をお前たちのそれが駆逐しようと、健気に頑張っている。その感覚を掴んでコントロールしろ」


 痛みで所々聞き逃しそうになりながらも、ロウは目を閉じ、己の体の内に意識を集中させる。

 先程全身を満たし、グラッドリーに対して反撃を行わせた爆発的な力、それこそがロウの体内に流れる魔力であることは疑いようがなかった。あの感覚を、もう一度掴もうとする。グラッドリーの言葉が、それを助けた。


「魔力が全身を血のように流れているのを意識しろ。それから痛みの発生源を探せ。全身が痛いだろうが、その痛みの大本になっている部分がある」


 ……あった。

 最後にグラッドリーにしたたかに殴られたあごだ。意識すると余計に痛くなった。砕けているとしか思えない。


「そこで今、俺たちとお前たちの魔力がせめぎ合おうとしている。全身の魔力をかき集めて、そこへ応援を送ってやれ。流体の魔力を、そこへ集めるイメージだ。血のように一方向である必要はない」


 ロウはイメージする。

 四肢の先から順に、先程感じた力を上へ上へと集めていくように……すると熱く煮えたぎるような無形の奔流が、はっきりと意識できるようになってきた。それをあごへと……


「うぐ……ッ!」


 集めた途端、痛みが燃えるように膨れ上がった。魔力とともに全身の痛みまでそこへ集中したかのようだった。

 感覚的に理解する。応援の魔力が送られたことで、そこで行われる攻防が、それまでのこちらの一方的な劣勢から、ようやく対等のせめぎ合いになったのだ。まるで二頭の猛牛が角を激しく繰り返し激突させているかのような、内側から割れんばかりの痛みにどうにか耐え忍ぶ。


「そのせめぎ合いに勝てば、お前たちの魔力が相手の魔力を駆逐して、身体機能の急速な回復を促す本来の役割に戻る。立てるようになった奴から飯休憩に入れ。食堂はあっちの青い屋根の建物だ。無理にでも詰め込んで、適度に腹ごなしもしとけ。一時間後に再びここに集合。整列する必要はない」


 今日一日、という教官の言葉をロウは覚えていたため、ある程度覚悟はしていたが、やはりこれで終わりではないらしい。

 そもそも今は何時なのだろう。飯休憩ということは昼頃だろうか。


 そんなことを考えて気を紛らわせようとしていると、途端に集めた魔力が分散しようとするのを感じ、慌てて意識を戻す。せめぎ合いに勝つには、集中が不可欠らしい。しかし当然、意識すればするほど痛みにさいなまれるのであって、ロウは思わず心の中で閉口した。


 その時、背を向けて去ろうとしていたグラッドリーが、ああっ、と何かを思い出したように振り返った。


「転属願いは常時受け付けているから安心しろ」


 そう言うと教官は、今度こそハルドとジェインとともに去っていってしまった。






 ◆◆◆






 一五分後、ロウがふらつきながら立ち上がった時、最早周囲に人影は存在しなかった。


 動けるようになるのが誰よりも遅かったという事実に対し、感じた危機感は小さくない。視線をもう少し遠方に投ずれば、転属願いを受け付ける人物の姿が恐らく目に入るのだろうが、ロウは強いて視線と足を青い屋根へと向けた。


 ロウが軍に入った理由は、一つは経済的なものであり、今一つは、守りたい者を守れるようになるための力を手に入れるためだった。

 それを思えば、ここミッドスターであの化け物のような教官たちに鍛えられることは、確かにその目的と合致する。しかし戦闘技術は素人同然の自分が、なにもいきなり最精鋭への道を歩もうとする必要はないはずなのに、何故かロウは、転属を願いでる気にはなれなかったのである。


 体を引きずるようにして建物へとたどりつき、開け放たれた食堂の扉を通る際、一人の人物とすれ違った。

 ロウと同年代と見られる、赤い髪の青年。青年と称するべきであるように、ロウには思えた。それは彼が先程の訓練で、一人明らかに違う動きを見せていた男だったからだろうか。


 足を引きずることも、背筋を曲げることもなく歩き去るその後姿を、ロウはしばらく食堂の前で立ち止まって見つめていたが、やがてそんな奇異な自分の姿に気がついた。


(どうもおかしいな、今日の俺)


 自分でもそう思い首をかしげながら、遠ざかる後姿から視線を切り、食堂内へと足を踏み入れた。


 青年が恐らく一番に立ち上がり、ロウが最後だったのなら、食堂内にはそれ以外の全員がいるはずだった。だが三〇人余りいたはずの同期たちは、一目見てわかるほどに数を減らしていた。


(残ってるのは……二〇人くらいか?)


 清潔で広大な食堂は、約二〇人を収容してなお十分な空きがあった。配膳を受け取ったロウは、セリウスでそうしていたように、自然と空いたテーブルに座ろうとして、ハッと思い直した。

 自分は入隊を決意した時に、これまでの他人との深い関わりを避ける生き方とは決別したはずだったではないか。


 幸い、人見知りする性質というわけではない。ロウは食堂内を見渡し、二〇代と思われる姿が多い中、比較的近くの席に同年代の男女の姿を見つけると、意を決して声をかけた。


「ここいいかな?」


 二つ返事の了承をもらい、男の隣に腰を下ろす。


「俺、ロウ・ジェイムストーン。今年で一七歳。よろしく」

「じゃあ私の方がお姉さんだね。アヤミ・シロサキ。一八歳だよ」

「俺はスウェン・テンディア。一七。よろしくな」


 二人も元々の知り合いというわけではなく、つい今しがた出会った仲だという。


 アヤミは背まで伸ばした美しい黒髪に黒い柔和な瞳が印象的で、気品と落ち着きのある雰囲気の持ち主だった。一六五センチほどの体はしなやかな曲線を描き、特に胸のふくらみは大きい。それらが穏やかな表情と合わさって、話しているだけでどこか相手を安心させる包容力を感じさせる。


 スウェンはロウよりやや背が低く、童顔に邪気のない笑顔を浮かべている。茶色の髪に、それよりやや明るい茶色の瞳の快活そうな男で、アヤミとは対照的に、遊びたい盛りの中型犬のような落ち着きのなさがある。だがロウにはそれがむしろ裏表がなさそうな、気持ちの良さを感じさせた。


「にしてもキッツイだろうとは思ってたけど、これほどとはなあ。……ていうか美味いなこれ」


 そのスウェンはぼやきながら鶏肉を口に運んでいる。その左手はほほを無意識のうちにさすっていたが、ふと気づいたというように声を上げた。


「あれ、顔の腫れ引いてる? さっきまでパンパンだったのに」


 そう言ってぺたぺたと両手で自分の顔を確認するスウェン。言われてみると、痛みこそ全身に根強く残って今も体をさいなんでいるものの、完全に砕けたと思ったあごは、既に噛むのに支障がない程度には回復しているらしい。


 考えてみれば、あれだけボロボロにされれば、たとえあごが無事でも口の中は傷だらけになり、胃も食事を受け付けなくなりそうなものだが、トレイに乗った皿はみるみるうちに空になっていく。

 スウェンも言うように、料理自体が美味なせいもあるだろうが。


「これも俺たち自身の魔力のおかげってことか」

「そう、魔力による強化、回復は身体機能全般に及ぶからね。ご飯しっかり食べてぐっすり眠れば、これくらいの傷なら明日には全部治ってるよ。午後の教官たちの加減次第ではあるけど」

「教官たちなあ、すっごいよなあ。首都付きの訓練兵だからって、俺たちみたいな素人同然のルーキーに、あんな豪華な面子が教えてくれるっていうんだからさ」


 ややためらったが、ロウはその疑問を投げかけてみた。


「その……教官たちって凄い人たちなの?」


 えっ、とアヤミとスウェンが、ロウの顔を見る。


「ロウくん、フーゲル教官たちのこと知らないの?」

「えっと、実は俺、つい二ヵ月くらい前にセリウスから亡命してきたばっかりで……」


 ロウは思わず二人の反応をうかがいながら、心中で身構えた。

 セリウスで教わるイルミナスという国家は、上から下まで傲慢で好戦的な君主国だった。そのことを頭から信じている者の方が少なかったし、実際にこの目で見たイルミナスはそれとはかけ離れていたが、イルミナスの側は、セリウスとその国民のことをどう思っているのだろう。あの檻のような監視社会と、そこに住む、目と耳を自らふさいだ働きアリのような人々を。


「ああー、ロウの共通言語(ことば)、ちょっとなまって聞こえるなあと思ってたらそれでか。いや、俺も辺境の星の田舎者なんだけどさ。あ、俺、外国人と会うの初めてだ」


 返ってきたのはそんな、能天気な反応だった。それを見て控えめに笑うアヤミの笑顔からも、純粋な好奇心で輝くスウェンの目からも、悪意的なものは感じられない。厳密に言えば、ロウは既にイルミナス国籍を取得しているので、外国人ではないのだが。


「フーゲル教官はね、軍の最高位である大将の一人で、その中でもイルミナスの実戦要員のトップに立つ人なの」

「十年前の血の千年紀を人類の勝利に導いた、イルミナスの四人の英雄の一人で、今ではその最後の生き残りだよ」


 血の千年紀。


 その不吉な名は、ロウも知っている。

 人暦一〇〇〇年、イルミナスがその建国千年目を迎えた輝ける年に巻き起こった、人類と獣が互いにその総力を挙げて争った、史上最大とも言われる大戦である。


 宇宙中を舞台とし、およそ生命が存在できる限りの場所を血に染めたこの大戦は、約一年にわたるおびただしい流血の果てに、人類の勝利に終わった。失われたものは多いが、同時に人類の支配領域はそれ以前と比して大きく広がり、人と獣のパワーバランスは、人の側へ大きく傾くことになった。


 結果としてこの年は、史上類がないほどの血が流された年として人々に記憶されるとともに、今日の史上有数の安定した情勢をもたらすための、極めて重要なターニングポイントとして、歴史に記録されている。


 その大戦の英雄ともなれば、ロウたちにとっては雲の上という言葉でも追いつかないような相手だろう。

 単純な階級の差だけで言っても、ロウたちはいまだ訓練兵ですらないその候補生。これから午後の試験を合格して訓練兵となり、それから三ヵ月ほどの訓練期間を脱落することなく耐えて、それでようやく少尉となれるのだから、その八つも上の階級の大将とは、まさしく天と地ほどの差というべきだった。


「今生きてる中で、人類最強は誰かって話をしたら、間違いなく名前が出てくる人だよ」

「フーゲル教官の弟子にあたる人は多いけど、ヘイビス教官とリグヘット教官もそうで、二人ともまだ四〇歳前だけど、少将になるのも時間の問題って言われてる実力者なの」

「……え? 四〇前? あの二人が?」


 ハルド・ヘイビスの岩を削ったような顔と、ジェイン・リグヘットの端正な顔を思い浮かべる。およそ真逆のタイプの二人だが、どちらも三〇に届かないくらいのようにしか見えない。


「三人とも神返りだからね。それを言ったらフーゲル教官なんて八〇歳超えてるはずだし」

「神返り……」


 その存在に関しても、知識としては知っている。

 宇宙は現在でこそ、『人』と『獣』の二つの種族がその覇権を争っているが、かつてはその二つの種族の共通の先祖に当たる、『神』と称される超越的な存在によって支配されていたという。


 彼らは文字通り神がかった存在であり、その力は子孫たる人や獣では到底比較にならないものだったと言われる。だが人や獣の中から、ごくまれに、極まった精神を鍵として、その身に眠る『神』の遺伝子を呼び覚まし、永い時を(へだ)てた先祖返りを起こすものが現れる。


 それが神返り。

 人にせよ獣にせよ、その力は先祖たる神と同等であり、その存在自体が、そうでないものとは違う次元にあるという。寿命という概念がなくなり、外見上の老化が止まる、あるいは若返るといった奇跡も、あくまでその一端でしかない。周囲を『神域』と呼ばれる特殊な環境に変え、物理法則をも軽々と無視し得る。


 そんな、『人』の延長線上にありながら『人』を超えた、超越者たちである。


 ロウもあくまで知識として知ってはいたが、これまでそれはあくまで遠い世界の、物語の中にいるような存在だった。だが先ほど訓練場で見た光景と、体感したその力の一端は、まさしく次元が違うとしか言いようがない。


 そんな化け物たちに午後もまた延々と殴り続けられ、それを乗り越えた後は、その教えを受けるのだという。スウェンたちの言う通り、凄まじいことだった。


 いつしか、皿は全て空になっていた。三人は席を立ち、グラッドリーに言われた通り軽い食後の運動でもしようと、雑談を続けながら訓練場へと向かう。


「年齢っていえばさ、やっぱ俺たちぐらいの歳の人はほとんど食堂には来てなかったな。整列した時はちらほらいたと思ってたのに、みんなリタイアしたのかな」

「国から入隊を命じられても、基本的には二五歳までは猶予があるからね」

「逆に言えば十代の人は自分から猶予を待たずに入ったってことだから、やる気はありそうなものだけど」

「やっぱり時間的に余裕がある人の方が手術の後遺症の影響少ないだろうし、鍛えられるんじゃない? 俺も少しの間だけど地元の軍人さんに鍛えてもらったんだけど、それがなかったら絶対リタイアしてたって」

「なるほど」


 ロウはそういった訓練を全く受けていない、正真正銘の素人である。午前の試験後、立ち上がるのが一番遅かったのもそのせいだと思いたかったが、だからといって安心できるというわけでもない。


 周囲と比べての遅れが明確となったのだから、ついていこうと思えば、それを挽回するだけの努力は不可欠のはずだった。

 そう考えて、ロウは自分でも何故そこまでしてここに残る気でいるのか、今はまだわからなかった。






 ◆◆◆






「う~~っ、あ痛っ! ぅぐっ、あぐぐっ、痛っ、いだだだだっ!」


 その日の夜、ロウは寝台の上で悲鳴を上げていた。


 ロウたち訓練兵のために用意された宿舎の中のマッサージルーム、そこに並べられた寝台の上でである。

 大の男がマッサージを受けて悲鳴を上げる姿は滑稽だったが、声を抑えようとしても出来なかったし、同じような光景は部屋中の寝台の上で見られた。


 午後の試験は、まるで午前のそれが小手調べだったとでもいうかのような有り様だった。打撃の威力や手数が増したわけではない。だがそこに込められた魔力の増加は、今日初めて魔力の扱いを覚えたロウにですら、はっきりとわかるほどのものだった。


 そのうえ、教官たちの態度が、午前より明らかに厳しくなっている。こちらから攻撃する機会を与えられながら、痛みや負傷でもたつこうものなら、格段に重い一撃とともに、容赦のない怒声が飛んできた。


「この程度でふらつくようなグズならとっとと失せろッ!」


 特にグラッドリーの怒号は、目の前で巨大な猛獣に本気でうなられたような衝撃が全身を打ち据え、痛みすら忘れて身をすくめずにはいられなかった。

 それでもロウがリタイアしなかったのは、言われっぱなしでいたくない、という思いが、そのたびにわき上がってきたからである。その思いのおかげで、グラッドリーの止めという声を聞くまで、どうにか逃げ出したい誘惑に耐えることができた。


 しかしその時には今度こそ誰も立ち上がることができず、三人の教官に五、六人ずつ一度にかつがれながら、ロウたちはグラッドリーの口から、試験の合格を言い渡されたのだった。


 そして晴れて訓練兵候補生から訓練兵となったロウたちは、そのままこのマッサージルームへと運び込まれ、マッサージ後の食事と休息、そして明日の朝の集合を命じられて、今に至るのである。


「いたい~、いたい~、あああーっ!」

「っ、ぅんっ、ふっ、ぁっ……午前のようには、いかないとは思ってたけど、ここまでとは……あんっ!」


 右隣の寝台ではスウェンがことさら情けない悲鳴を上げ、左隣ではアヤミが声を出さないよう、必死でこらえている。

 その様子を見てかえってエロいな、などと考えていたら、一際大きな痛みに襲われ、ロウはスウェンに負けず劣らず情けない悲鳴を上げた。


「俺絶対片足ぽっきりいってると思うんだけど、これ明日までにくっつくのかな……?」

「若いんだから、しっかり休めばそのくらいへっちゃらよ」


 女性のマッサージ師たちも慣れているらしく、悲鳴を上げるこちらに一々遠慮などしない。体内では今も全身をむしばむ教官たちの魔力をどうにか駆逐すべく、自前の魔力を総動員しており、そのせめぎ合いが痛みを更に増幅する。


 マッサージルームに響く悲鳴は、当分途絶えることはなかった。






 ◆◆◆






 翌日、ロウは自室のベッドで目を覚ました。


 あれからロウたちはシャワーで汗を流し、昼食の倍以上の時間をかけて食事をとった。そしてその後、幸運にも相部屋となったスウェンと共に、割り当てられた自室のベッドに倒れ込んで、そのまま泥のように眠ってしまったのだ。


 スウェンと眠たげに挨拶を交わして時計を見れば、集合を言い渡された時間まであまり余裕もない。急いで起き上がろうとして、全身を走る激痛に二人そろって悲鳴とともに身をよじらせた。


 心配だった足の骨折こそ治っているようだが、痛みはほとんど引いていない。どうやら魔力による体への恩恵は、痛みを軽減するような効果はあまりないらしく、むしろ痛みを代償に回復を早めているようですらあった。


 負傷によるものか筋肉痛かも判然としない痛みに顔をしかめながらも、食堂でアヤミとも合流した後、三人で宿舎の中の講義室のような一室へと足を向けた。


「おーう、全員ちゃんとそろってるか? ――――一九人。ちょっと半端な人数だがしゃあねえな。ああ点呼は面倒だからなしな。教官たちには言うなよ、つまんねえことでチクりする奴はハブられるもんだから死ぬ率高いぞ」


 予定時刻になって現れた、金髪の青年の見た目を持つジェイン・リグヘットは、恵まれた容貌に薄い笑みを浮かべながら、席につく訓練兵たちを見渡した。


「……なんていうか、昨日の時点から思ってはいたけど」

「チャラいよな、フーゲル教官が言ってた通り」

「そこ、私語禁止」


 思わず小声でささやき合っていたロウとスウェンは、目線も寄越さず釘を刺されて首をすくめた。


「さって、早速だが全身筋肉痛のお前らに朗報だ。今日一日は座学オンリー。期待してただろう地獄の特訓は、明日からのお楽しみだ」


 おお、と思わずこぼれる声が、部屋中に広がった。

 誰もが体を引きずりながら、今日から始まるであろう訓練に不安を覚えていたのだ。


「まあ一般人でも知ってるような基本的なことが大半だが、その分今日一日でしっかり頭に入れとけよ。明日から教官にぶん殴られる回数を、一回でも減らすためにもな」


 ジェインがそう言うと、ロウたちの前に立体映像のようにモニタとキーボードが浮かび上がる。更に、紙の方がいいって奴はこれ使いな、と言ってそれぞれにペンとノートが配られた。


「言うまでもないが」


 そう言って改めてスクリーンの前に立ったジェインからは、既に数秒前までの軽薄げな雰囲気は消えていた。


「俺たちが生きるこの宇宙は、人と獣が、常に争いあっている。このミッドスターのような数少ない例外を除いて、生物がコミュニティを形成し得る惑星はみな、人と獣がそれぞれ自分の都合で縄張りを作り、更に縄張りを広げようと、相手の隙をうかがっている。快適な気候や豊富な資源といった、人にとって魅力的な要素を備えた惑星は、往々にして獣にとっても同様なものだからな。両者は互いに一定の妥協と暗黙の了解のもと、そのような形での相手との共存を承知している。だがその緊張が、それぞれが抱える事情の変化によって臨界点を迎えた時、あるいは偶発的要因や何者かの思惑によってそれが加速した時、人と獣の間で、戦闘が起こる」


 スクリーン上に、数々の映像が並ぶ。

 とある惑星上に存在する人間の都市。そこから数キロしか離れていない位置に生息する獣の群れ。大雨による川の氾濫。住処を失った獣との間に発生した、大規模な戦闘。


「一口に獣といっても、一般家庭でペットとして飼われてるような犬猫から、惑星一つを完全に支配しているような化け物まで様々だ。そのため現在までに確認されている獣には、三国共通で、そのヤバさを表す指標として戦闘力、好戦性、有害性、討伐優先度の四つのカテゴリーが定められている」


 スクリーンの映像が切り替わり、ある獣の情報が映し出される。


「獣に関する情報はデータベース化され、一般人でも見ることが可能だ。名前から能力、性質、生態、そして先ほど言った四つのカテゴリーなどが、極めて詳細に載っている。この内、戦闘力と好戦性は、まあそのまんまの意味だな。有害性というのは、純粋な戦闘力以外で、他種に対し害を及ぼす要素をもっているかどうかを表している。周囲の環境を汚染したり、ウイルスを意図的に運ぶ役割を持っていたり、異常繁殖して食料を食い尽くしたりといった具合にな。どれだけ強い獣でも、強いだけなら有害性はなしになる。逆に戦闘力は皆無でも、有害性はとびっきりっていう厄介な奴らもいる。そしてこれらを総合して、これまたそのまんまの意味の討伐優先度が決められる。ただし」


 教官が映像の一番上、獣の名前の横部分を指し示す。

 そこには「個体。惑星カリアス、第三七区画、Dの14の高原地帯」と書かれている。


「獣は同じ種であっても個体差が大きく、特に神返りである個体とそうでない個体は全くの別物だ。だから種としての普遍的な情報が載ったページとは別に、各惑星の各地域に住む群れごと、あるいは個体ごとに、これらの情報が載ったページがある。これらの情報を日々細かく調査し更新することも、各惑星の駐屯部隊の重要な任務だ。例として、こいつは惑星カリアスなどに住むブリリアントホーンっていう種の中でも特に強力な、神返りの個体なんだが」


 スクリーンの映像の内、一部分がアップになる。今教官が説明した四つのカテゴリーについての部分らしい。


「戦闘力の部分では、こいつがどれだけ強いか、どういう能力を持ちどういう戦い方をしてくるかが説明されている。こいつは体長三〇メートル近くっていうでかい体と、その体と比べてもバランスが悪いほどでかい角を持っている。そしてそれらを活かした、とんでもない突進力が武器、っていうかほぼそれしかできないが、その突進力に関しては、この惑星最強だといっても過言じゃない。ぶっちゃけ俺が一対一でやった場合、勝率は五割前後ってとこだ」


 ジェインの声とともに、映像が下にスクロールされていく。


「性格は温和だが、縄張りを荒らしたり自分に襲い掛かってくる相手には躊躇なく戦闘を仕掛けるため、好戦性は非肉食性としては高い方だ。で、非肉食性って言ったが、こいつは牛や鹿っぽい見た目してるくせに、草だけじゃなく鉱物まで食いやがるんだ。このでかくて綺麗で硬い角の、材料にするためにな。そのため鉱物資源の産出地を巡って、しばしば人類と縄張りを争うことになる、っていうようなことが、有害性の欄で説明されている。そしてこれらを総合し、その戦闘力の高さを考慮して多少の譲歩はやむを得ないが、特に希少な鉱物の産出地にまで縄張りを広げようとした際には、討伐の必要性が出てくる、という結論が、討伐優先度の欄に書かれている」


 ジェインはスクリーンから目を離し、再び訓練兵たちへと向き直った。


「言うまでもなく、獣と戦う際、こうした事前の情報ってのは重要だ。特定の獣を倒しに行くことがあらかじめわかっている場合は、前もって調べておけばいい。だが不意に遭遇した獣と戦わないといけなくなった場合、その獣について多少なりとも知識があるかどうかってのは、悲しいくらいにそいつの生死を分ける。これは統計的にはっきりと証明された事実だ」


 スクリーンの映像が変わる。

 今度は、戦闘を行った獣の情報を知っていた場合とそうでない場合の、勝率及び死亡率を表したグラフに。それによれば、勝率は前者が後者の約1.9倍、死亡率は後者が前者の約2.6倍となっている。


「ちなみにこの統計では、死亡者が獣の情報を知っていたかどうかを確定できない場合はデータから除外している。だから実際には勝率も死亡率ももっと差が開いているというのが常識で、五倍から十倍にもなるなんて言う研究者もいる。このように、事前の情報ってのは極めて重要だ。そしてこのデータベースは、魔力を使えるようになったお前らなら、電波さえ届く場所でなら好きに見られるぞ。念じてみな」


 ロウの前には、既に備え付けの機械によって出力されたモニターとキーボードが浮かんでいる。それと同じものを心に思い浮かべ、更にそれを目の前に押し出すようなイメージを――――した途端、あっさりとそれは現実のものとなった。


「おおぉ」


 自分が魔力を扱えるようになったことを目に見える形で実感するようで、思わず声が漏れる。隣ではスウェンが似たような反応をしていた。


「全員できたな? それじゃあ」


 ジェインは不意に、意地の悪い笑みを浮かべた。


「テストするぞー。十分後に始めるからその間に扱いに慣れな」

「うっげッ!」


 天敵を見たとでもいうようなうめき声は、スウェン一人のものではなかった。


「当然、多くの獣について知っているに越したことはない。だがこの世の全ての獣についてそれを求めるのは無理ってものだからな。獣の特徴を素早く捉えて、検索できるようになるための練習だ。とりあえずこいつらについて調べてみな」


 ロウたちの目の前に浮かぶモニターに、十体ほどの獣の映像が映し出される。


「とりあえずの目標としては、ページ開くまでに一体二〇秒ってとこかなあ」

「にじゅっ、マジですかッ?」

「獣目の前にして、のんびり検索してる時間があると思うか? どっかの惑星に駐屯して、基本その惑星から動かない連中なら、その惑星の獣のデータを頭に入れとけばいい。だがあっちこっちの惑星に救援に行くお前らは、一瞬で特徴捉えて一瞬で調べられるようにならなきゃなんねえんだよ。今は無理でも、将来的にはな」


 にべもなく言い切られ、スウェンが青い顔でモニターへと視線を移す。ロウもスウェンを心配してはいられなかった。当然、映し出された獣は一体たりとも見たことがない。どうやら遭遇した惑星の名やキーワードをうつことで絞り込めるらしいが……。


 ロウはモニターとにらめっこし、必死にキーボードと格闘したが、五体目を検索している間に、教官の声は無情に響いた。


「おーし、始めるぞ。時間は十分間な」


 そう言ってロウの前に現れたテスト画面には、問題数が三〇問。


「んー、そうだな。今の段階でもせめて十問くらいは出来てほしいな。あ、片目潰されたくなかったらカンニングはすんなよ。目の再生は痛いぞー」


 絶望的な気分になりながら、画面を凝視する。

 『以下の獣の名称を答えよ』、『以下の獣の名称と単独で遭遇した際の対処法を答えよ』、『以下の獣と戦闘を行う際に留意すべきことを三つ答えよ』という問題文の下に、獣の画像がそれぞれ十ずつ並んでいる。


「ん、ぐぐっ」


 思わずうめき声が漏れる。

 名称を答えるだけの問題を十問答えるとしても、先ほどの倍の速度が必要だというのに、先ほどよりも獣の特徴が掴みづらいのだ。角や模様といったわかりやすい特徴がなかったり、見たこともないような珍妙な姿をしていたり……。


 右隣からはスウェンのうめき声が聞こえ、ふと、気づいた。左隣のアヤミが、自分たちとは対照的に軽快な指の動きで、答えを打ち込んでいるらしいことに。ちらっ、と横目で見れば、アヤミの顔色は焦りや悩みとは無縁のものだった。

 ロウの心中を、甘い誘惑が満たす。だが同時にジェインの言葉も頭をよぎり、そっとそちらをうかがって……目が合った。


 教官はロウの顔を見つめて笑顔を浮かべながら人差し指を伸ばし……背筋どころか四肢の先まで凍らせながら、ロウは視線を自分のモニターへと固定した。






 ◆◆◆






「最高点は九〇点で最低点は一〇点、そんで平均点は四五点だったぞ。二〇点以下の奴は精進するように。幅広い獣について調べておくのと、検索の練習の両方やれよ。こういうのはこれからも、ちょくちょくやるからな。んじゃ、ちょい休憩。十分したらまた席につくように」


 帰ってきた一〇点の答案を見ながら、ロウは震えていた。一二点の答案を見つめるスウェンとともに。

 二人は顔を見合わせ、同じ人物に視線を移す。相手もこちらを見ていた。その答案の点数は、九〇。


「アヤミィッ!」

「教えてくれ、頼む!」

「あはは、勉強会、しようね」


 窓から吹く風が、美しい黒髪をなびかせる。その髪をかき上げながら柔らかく笑うアヤミは、この時の二人にとって、女神のようにも見えた。






 ◆◆◆






 講義室の窓から見える白亜の城。その一室で、黒い猛獣のような偉丈夫、グラッドリー・フーゲルは、椅子に腰かけながら、目の前に浮かぶモニタを眺めていた。

 その後ろには、巨体を微動だにすることもなく立つ、ハルド・ヘイビスの黙然とした姿もある。


 ハルドは無言であり、グラッドリーも無言であった。ただ、グラッドリーがモニタから目を離さないまま、片手で掴んでは口に運ぶサンドイッチを咀嚼する音だけが、かすかに部屋に響いている。食べる速度自体が特別早いわけではないが、手にしたサンドイッチの最後の一切れを口に入れるや、すぐに次のものを手に取る。


 皿に残ったサンドイッチの量を確認して、ハルドが慣れた様子で食堂へ行こうとしたが、その時ちょうど扉をノックする音が響いた。入ってきた人物を見て、素早く姿勢を正す。


「ハインズ様、御疲れ様です」

「ああ」


 深々と頭を下げるハルドに軽く手を上げて応えると、黒に白が混じった髪と、ハスキーのような眼を持つ男――――ハインズ・シルベーラは、グラッドリーと向かい合うように腰を下ろした。


「早かったな。調査の方は一段落したのか」

「まあな。だがまた明日の朝からここを離れる」


 イルミナス連邦帝国の中枢に存在する二人の男は、親しげに言葉を交わした。その間にも、グラッドリーの片手は口と皿とを往復することをやめなかったが。


「それで、新兵たちはどうだ」

「悪くはねえよ。特にこいつはな」


 グラッドリーが、モニタに映る赤い髪の青年を指し示す。名前の欄には、オブリオ・オーガスタと記されている。


「オーガスタ家の天才児。前評判を裏切らなかったか」

「才能は文句なし。根性や向上心もある。順調に育てば、二〇年後、三〇年後には俺の地位も夢じゃねえ。順調に育てば、だが」

「他には」

「こいつよりは大分落ちるが、粒はそろってるな。人数も三二人中、一九人も残ってれば上々だし……ああ、そうだ。お前がセリウスで拾ってきた奴。気にしてただろ」


 順繰りに訓練兵たちのデータをモニタに映していたグラッドリーが、ふと思い出したようにそれを止めた。同時に食堂から戻ってきたハルドが、グラッドリーの前に追加のサンドイッチを、ハインズの前にコーヒーを置く。


「ロウ・ジェイムストーン。残ってるぜ。筆記試験の点数は酷かったが」

「一〇点?」


 表示されたロウに関するデータを見て、ハインズはふっ、と笑った。だがその笑みは、ロウにではなく向かいのグラッドリーに向けられたもののように見えた。


「何だよ」

「いや、新兵の頃のお前が初めてとった点数の倍もあると思ってな。十分有望じゃないか」


 この時グラッドリーは鼻で笑い、再びその後ろに戻ったハルドはピクリとも反応しなかったが、聞いていたのがジェインならば、間違いなく吹きだしていただろう。そしてグラッドリーの裏拳が、その腹へ突き刺さっていたに違いない。


「まあ、こいつも悪くはねえよ。年齢と、ついこないだまでセリウスの労働者で、訓練のくの字も受けたことがないと思えばな。今の所実技も筆記も最下位だが、根性と飲み込みの速さは見所がある」


 ハインズが黙ってカップを持ち上げながらモニタをながめるのを、グラッドリーは軽い興味の眼差しで見ていたが、やがてすぐに飽きたようにサンドイッチに手を伸ばし、代わりにつぶやいた。


「ま、天才だろうが凡才だろうが、戦力として使い物になるかは、初陣を終えるまではわからねえな」


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