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生存競争の宇宙で  作者: ブンイチ
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第二話   イルミナス

 

「次のニュースです。政府は、昨日モーカム星系第二惑星クロスビーで起きた、現地の駐屯軍と獣との戦闘による戦死者、及び民間人の死傷者の数が判明したと発表し――――」

「駐屯軍はよく役割を果たしたと思いますが、それでもやはり完璧ではなかったと思いますね。事前の想定に甘さが――――」

「しかしそれは軍だけでなく、獣との協調の精神を欠いた、現地の民間の企業にも責任のあることではないでしょうか。もちろん現地の行政府には、そうした調整を万全に――――」


 ロウとガラヴァリスの兄妹が、イルミナス連邦帝国の首都星ミッドスターに降り立ってから二週間後、ロウはミッドスターの中心地にある市内の福祉施設で、朝のニュースをながめていた。


 二人を亡命させたサーベラスの手配によって、ガラヴァリスは市内の病院に入院し、ロウはひとまずはこの福祉施設を、当面の生活の場としている。同時にこの国に帰化し、イルミナス国籍を取得するための申請も行っていたが、帰化の手続き自体は、ロウにとっても意外なほどの速さで進んでいた。


 どうやらイルミナスでは、伝統的にセリウスからの亡命者の受け入れに力を注いでいるというのが、その理由の一つらしい。二人が救出された状況から考えて、実はセリウスのスパイである、といったような可能性が、万に一つもないということもあるのだろう。


 だがロウは、それらに加えて、黒白の髪とハスキーのような眼を持つ男性のおかげもあるのではないか、とも考えていた。


 高速船でミッドスターへと向かっている間に、ロウはイルミナスへの亡命後、軍へと入隊することを決断していた。そうすることが、いまだにあの施設に幽閉されている父を救い出す近道になると考えたのである。


 『人と獣による生存競争の宇宙』。そう称されるのが、ロウたちの生きるこの世界だった。


 太古の昔、宇宙は『神』と呼ばれる超越的種族によって支配されていたが、やがて彼らが滅びた後、宇宙はその神から枝分かれした子孫たる『人』と『獣』が、互いの種単位での生存を賭けて相争う場となった。


 無数の国家が生まれては、獣との生存競争に敗れて滅びていき、やがてその淘汰の果てに残ったのが、現在人類社会を構成する、イルミナス、セリウス、ベネヴァレートの三国。


 故にこの世界では、人類の敵とは同じ人類ではなく獣であり、各国の保有する軍隊も、獣に対抗するための戦力である。複数の国家に分かれてはいるが、その国家同士が争うことは、決してないとされる。

 少なくとも、表向きには。


 だがセリウスでは、イルミナスは他の二国を併呑し人類社会を我が物にしようと目論む、野心的な君主国だと教えられていた。野心はともかくとしても、セリウス側がそのように言い立てるという一事だけを見ても、共に獣に対抗する友邦であるはずの両国が、実際にはどれだけ不仲であるのかがうかがえるように、ロウには思えた。


 セリウスの研究施設に潜入し、その警備の男たちと戦闘まで行ったサーベラスらの存在は、その証左と言っていいのだろう。加えて、サーベラスはセリウスで確かに言っていた。


 施設に幽閉された人々を救うことは〝現時点では〟不可能だ、と。


 理由が野心であれ人道的なものであれ、イルミナスがあのような施設で行われる研究や、その成果を不都合なものと見なしているのは間違いない。であれば、その軍に所属することも、それに伴ってロウ自身が力を得ることも、将来的に父を救える可能性を高めるための手立てとなると、ロウは考えたのである。


 その決心と考えを、ロウはガラヴァリス以外の相手に口にすることはなかった。だが父を残し他国に亡命する少年の心境は、サーベラスには筒抜けだったらしい。

 船内で、遠ざかっていく星々の彼方をけわしい顔で見つめていたロウは、どこか厳しい表情を浮かべた彼に話しかけられた。


「お前が今、何を考えているのか、わかるつもりだ」

「…………」

「軍人とは危険な仕事だ、というのは言うまでもないことだろうが、俺が若いお前に言っておきたいのは、重大な決断を下すには、情報の収集が不可欠だということだ」


 イルミナスの諜報員を名乗る男は、猟犬を思わせるその眼でロウを見下ろしながら続けた。


「お前は今、一連の事態の間感じ続けていた無力感の反動と、これまでセリウスの支配体制によって抑えつけられていた、若者らしい未熟な行動力に衝き動かされている。だがセリウスが過酷な警察国家だからといって、それと反目するイルミナスが、この世の楽園であるとは限らない。戦う理由が自身と家族のためであっても、国軍の一員となるのであれば、その国がどういう国であるのかを自ら知り、理解と納得をしなければならない」

「それは……」

「若いお前には、時間も選択肢も可能性も、豊かに存在する。同時に焦る理由もあることはわかるが、がむしゃらにやるだけでは、今までと大差なくなってしまうぞ」


 思わぬ厳しい意見に、ロウは反論することができなかった。


「唯一の正解、一番の近道に見える道が、その実落とし穴に続いていないか判断するためには、多くの、かつ多角的な情報と、その吟味を必要とする。守りたいものがあるなら、広く視野を持つことだ」


 その言葉に従って、ロウはイルミナスに来て以降、連日その街並みと、そこに住み人々の様子を見て回り、あるいは近くにある図書館に入り浸って、この国のことを理解しようと務めていた。


 そもそも、ロウがセリウスでの義務教育の過程で教わった、イルミナスという国家に関する情報は、非常に限定されたものだった。

 強大な国力を有するセリウス以上の大国だが、その力は国民を権利というエサによって過酷な義務に縛り付けることで得ているもので、好戦的にして野心深い皇帝の支配する国。それが、セリウスという国家が語るイルミナス像だった。


 そして約二週間、自身の目と耳で見て回り、聞いて回ったイルミナスは、確かに、この世の楽園というわけではなかった。平均的な市民レベルでの生活水準は、セリウスとは比べるべくもないほどに豊かである。それは市民が活用する各施設の規模や、民間に普及した技術の高さからも容易に見て取れた。


 街を歩けば人々の顔には笑顔があふれている、とまではいかないが、ロウの良く知る、セリウス市民の多くが浮かべている感情は見られない。ロウ自身も覚えのある感情、慢性的な生活への不安や、潜在的な他者へのおびえといったものは。代わりに、経済的、精神的な余裕が、明るさとなって人々の表情に表れていた。


 だが一方で、国家としての体制に目を向けると、イルミナスという国家の最大の特徴でもある、ある点における非常な厳格さも認めざるを得なかった。

 それが、人間の器量と義務と権利は、一体でなくてはならない、という思想である。


 能力、人格、功績などを総括したその人物の〝器量〟を、便宜的に十とするなら、その人物が有する義務と権利――――多くの場合、それに相応しい地位を含む――――も、人として最低限のものを除いて、それぞれ十から大きく離れてはならない。


 二〇の器量を持つ人物であれば、義務と権利も二〇、五〇の器量を持つ人物であれば、義務と権利も五〇前後のものでなくてはならない。十の器量しか持たないものが五〇の義務と権利を持つことはもちろんのこと、()()()()()()()()()()()()


 能のないものが分不相応な地位につくことも、優れた人物が無為に日々を過ごすことも、等しく許さない。

 そしてこの『相応主義』とも称される考えを最も厳しく適用され、国民すべてにその範を示す存在こそが、イルミナス連邦帝国皇帝その人。


 そうするに相応しい器量を持った者が、最大の権利を行使する代わりに、最大の義務を負い、下の者がそれに(なら)う。

 そうした思想こそが、イルミナスを宇宙最大の帝国、人類社会の半分以上を支配する国家たらしめる、最大の要因であるのだという。


 初めてその概念に触れるロウには、多くの疑問を抱かざるを得ない思想だった。特に、皇帝こそが最も厳しくその相応主義を適用される、という部分。


 イルミナスの皇帝は常に、その地位に相応であるかを、国民によって測られる立場にあるという。有権者の三分の一以上が署名し、当代の皇帝の廃位を求めた場合、国民投票が行われ、有効投票総数の過半数が賛成することによって、その皇帝は廃位される。

 皇帝が、民意によって廃位されるということがあり得るのである。


 最高権力者たる皇帝と言えど、これに逆らう、またはこの動きを弾圧することは許されない。イルミナス千年の歴史の中で、それでも帝位に固執して、それが最終的に弑逆(しいぎゃく)という結果を招いたことも、一再ではないという。


 そもそもイルミナスでも三権分立はなされており、世襲される皇帝という地位は、あくまで行政の長に過ぎないと、少なくとも法の上ではそう定められている。実際に皇帝の権限がどこまで及ぶのかはわからないが、これらの特異な制度の数々からは、皇帝に権力を持たせつつも、可能な限りその暴走や迷走を抑えようとする体制であることがうかがえた。


 しかしそこまで考えると、そもそもの根本的な疑問が浮かんでくる。


「何でそうまでして、皇帝という地位を残そうとするんだ?」


 イルミナス連邦帝国に、貴族はいない。それもそのはずで、相応主義とは、本来なら世襲制とは真っ向から相反する思想であるはず。だがイルミナスを統治する者は世襲される皇帝であり、その矛盾を、皇帝こそが相応主義を体現する存在であるとすることで解決しようとしている。

 実際に歴代の皇帝がそれを実現してきたのかは置いておいて、何故そうまでして、皇帝という存在にこだわるのか。


 書籍やネットを漁れば、それに関する都市伝説じみた説や陰謀論は山ほど出てくる。だがイルミナスの公式の見解は、千年間一貫して、国家機密のため回答不能、である。


 これは今考えても答えが出そうにない、と判断したロウは、実際にイルミナスの歴代の皇帝たちは、その地位に相応しい者たちであったのか、ということに思考を戻す。


 そうして思い返してみると、セリウスでイルミナスの皇帝について語られる時には、たいてい、不名誉な形容詞が一緒についてきていた。だが強欲、傲慢、好戦的、野心的などとは言われることはあっても、能力の不足を批判する類の言葉を聞いたことはなかったように思える。

 セリウスとは比べ物にならない豊かさも、それを証明するものなのだろうか。


 現在のロウにとっての住居である福祉施設で共に生活する人々に、当代の皇帝の評判について聞いてみたことがあるが、返ってきたのは絶賛の嵐だった。何でも大変に若く美しく、聡明で慈愛にあふれた女性なのだという。


「でもあの人たちは国が建てた福祉施設で暮らしてる人達なわけだし、特に皇帝に対して好意的な層、っていうこともあるよな~?」


 中々答えの出ない疑問に、ロウは図書館の机に厚い本と上半身を投げ出した。そして思考の角度を変えようと、別の本を手に取ってみる。


 『武力・公正・慈悲』。

 それが、相応主義と並ぶ、この国が掲げる重要な理念の一つだった。


 この人と獣の宇宙において、国家がその柱とすべきものはこの三つであり、イルミナスという国家はこれらとその恩恵とを、国民に与えるための存在である、という。

 この三つは最大限並立されるべきものだが、それが不可能または著しく困難な場合は、先に挙げられているものから優先される。


 この内ロウが気になるのは最後の部分だった。つまりこの三つを並立させることができない時には、慈悲よりも公正が、公正よりも武力が優先される。常に獣と争い合うこの世界の在り方を考えれば、武力が一番にくるのも仕方ないことなのだろうが……。


 そしてこの理念と相応主義とが、共に端的に表されているのが、次の制度なのだろう。


「イルミナスでは、能力のある者はそれ相応の働きをしなくてはならない。それはつまり、獣と戦うための抜きん出た素質を持つ者は、それを使って獣と戦わなくてはならない……」


 軍人としての高い素質を認められた者に、軍への入隊を強制することは、イルミナスもセリウスと同様だった。


 ただし、十代で素質を認められた場合でも、実際に兵役につくまでには、必ず二五歳までは猶予が与えられる。多くは十代の内にはその(むね)を通達されることになるためあまりないことではあるが、二五歳を越えていた場合でも、必ず一年から三年の猶予が認められた。そしてその間に他の分野における実績や将来性を認められれば、入隊は免除される。


 とはいえやはり優れた素質を持つと判断された者の多くは、入隊とそれに伴うリスクの大きい手術、そして獣との戦いに関わり続ける生涯を余儀なくされるのである。

 この事に対して、国民からの批判は――――意外なほどに少ないらしい。


 批判の多くは、むしろ国外――――イルミナス、セリウスと共に人類社会を構成する国家の一つである、ベネヴァレート連合共和国からのものがほとんどのようだった。


 ベネヴァレートは、三国家で唯一、軍への強制的な入隊を否定している。が、その国力及び軍事力は、イルミナスはもちろん、セリウスと比べても非常に低い、ロウにはむしろ何故これまで生き残ってこられたのかが不思議なほどの、弱小国である。

 あるいはこの国家の存在こそが、逆説的にその制度の正しさ、必要性を証明しているのだろうか。


 ある意味では、能力にもとづいて分けられた支配階級と被支配階級というセリウスの支配体制もまた、イルミナスの相応主義の亜流と言えるのかもしれない。セリウスという国家には、イルミナス建国後に、その覇権に反発する形で建国されたという歴史がある。


 ただセリウスの場合は、二つの階級の差が、あまりに露骨で極端すぎるのだ。そしてそこから出てくるはずの不満を、徹底的な監視体制によって抑えつけている。


 ならばイルミナスは。

 本人の持つ器量と、与えられる義務と権利が釣り合うというのは、一見素晴らしいようで、考えるほどに恐ろしいことのようにも思える。だがイルミナスの人々の内に、抑圧された不満が溜め込まれているようには見えない。


 となればその理由は、『武力・公正・慈悲』。

 イルミナスが掲げるこの理念が、口先だけのものではなく、公正と慈悲がしっかりと重んじられているからということなのだろうか。


 ロウは、自身が今暮らしている充実した福祉施設を思い浮かべた。ロウのような亡命者だけでなく、孤児や老人、障害者の他に、戦場で大怪我を負いそれ以上戦えなくなった軍人などに対しても、イルミナスの福祉は手厚いものらしい。国自体の豊かさもあり、社会の下層というべき水準であっても、真面目に働きさえすれば、まず食うに困らない程度の生活は保障されるらしかった。


 そして人々が不満を持たない理由を、それ以外にも求められるとしたら、やはり皇帝こそが、相応主義を最も厳しく適用される、という点なのかもしれない。


 軍への強制的な入隊は、例え皇族であろうとも、権力で逃れることは不可能らしい。それどころか、質的にも量的にも、軍人を輩出するという点で最も国家に貢献している家系がイルミナス皇族であることは、まず疑いがないことなのだという。

 そして皇帝自身も、いざその必要に迫られれば、己の命を危険にさらすことを、決して恐れはしない――――。


 その最も顕著な実例としてあげられるのが、第四代の皇帝、オレオールの存在らしい。

 史上有数の戦乱の時代にあって、自らを犠牲にすることで、数十億の命を救った皇帝。懐疑的、批判的な評価もあるようだが、やはりその行動はイルミナスの皇帝のあるべき姿であるとして、後代の皇帝たちの模範として知られているらしかった。


 上に立つ者が、最も多くの義務を果たす。この例が示しているように、綺麗事のようにも思えるこの原則が、真に守られているからこそ、国民も納得する。そういうことなのだろうか。それとも更に、ロウにはまだわからない要因があるのか……。


「ふうぅっ――――」


 深く息をつく。視野を広く持て、とは言われたが、考えることが多すぎてパンクしそうだった。それでも、この国の歴史を学んでみたり、新聞やニュースを毎日見ている限りでは、これらのイルミナスが掲げている理念に、大きな嘘はないように思えた。


 イルミナスはその千年の歴史の間、浮き沈みすることはあれ、人類社会を牽引する大国としての立場を全うしており、明らかな暗君や暴君といった類の治世が長続きしたこともないらしい。


 報道に関しても、セリウスでの国によって統制されたそれらに比べ、国や軍に対しても遠慮がなく率直に意見し、かつ自社に都合のいいことばかり言っていない印象がある。


 おぼろげながら、このイルミナスという国のことが見えてきたような気もする。そしてその上でなお、今もロウの内で燃え続ける決意は、にぶる様子を見せていなかった。






 ◆◆◆






「そうか、決めたか」

「はい」


 それから三日後、ロウは福祉施設へと訪れたサーベラスに、自身の決意を告げた。

 軍に入隊することを決めたと。


「本当にいいのか。お前はまだ若い、若すぎるくらいだ。お前は確かに、軍人に向いていないということはないだろうが、他に、より安全で向いた仕事を探そうとは思わないか」


 サーベラスは、声にも表情にも感情を表さない男だったが、それでも感じられる気遣いの意思は、ロウには痛いほどだった。


「すみません。重ね重ね、お気遣いありがとうございます。でも、やはり父を放っておくことはできません。例えいつになるかわからなくても、例えその時になっても俺が関われる可能性の方が少なくても、せめてその時までに力をつけて、可能性を残しておきたいんです。それに妹の事も、できる限り早くなんとかしてやりたいすですし……」


 相応主義にのっとって、多くのリスクやデメリットがあるイルミナスの軍人の給与は高い。少なくとも、これまで肉体労働の経験しかないロウがすぐに就き得る職業の中では、その金額は飛びぬけている。


 福祉の充実したイルミナスでならば、依然として闘病を強いられるガラヴァリスの入院費も、そこまで深刻な事ではない。だが二〇歳までは生きられない、と言われた患者が、一八、九歳ごろまで生きていられるという保証はどこにもない。それを考えれば、やはりロウには悠長にしていることはできなかった。


 加えて、ロウにはイルミナスに来て、更に深く実感したことがある。

 セリウスという国家の支配体制、その本質の一つは、国民が必要以上のことを考えるのをさまたげ、制限することだということだ。秘密警察の監視と、恐怖によって。


 そしてロウは、これまでまさしくそのように生きてきた。自分と家族が、今日と同じように明日を迎えるために必要なことだけを考え、それ以外のことからは目をつぶり、耳をふさいだ。そうしなければ、いつ誰の巻きぞえをくらって、生活を奪われることになるかわからなかったからだ。


 男たちに拘束され、どことも知れない場所へ連れていかれている間感じ続けていた、自分には何もわからず何もできないという無力感は、そうした考えから根を張っていたのだ。


 イルミナスは、周囲に流されるのではなく、可能な限りの範囲において、自分自身で考え、選ぶことを求める。サーベラスに(さと)されたことも、入隊までに許される猶予の長さも、そういうことなのではないか。


 自身で考えていたからといって、選択肢が著しく限られたセリウスで、あの日の事態を避けられたかといえば、恐らく否だろう。

 だがそれでも、この国でならば、自分自身で考え、自分自身の力を得て、自分自身の意思で、守りたいもの守れる己になれるのではないか。大切なものが危険にさらされた時、何もわからず、何もできずに無力感に震えるだけの己でなくなるために。


 ロウは恐らく、この国のことをまだ一割ほども真に理解できてはいないのだろう。いつか、この国の暗く、汚れた一面を目の当たりにして、失望する日が来るのかもしれない。

 それでも、少なくとも今のところは、ロウはセリウス共和国よりも、イルミナス連邦帝国の方が好きだった。


 ロウが決心したのは、家族と己のためだったが、軍隊に入れば当然、国家のために働くことも要求される。この国のためならば、それもそれほど悪くない、そう思えたからこそ、ロウは軍に入ることを決心したのだった。


「お前が自分で調べ、考え、決めたのならば、これ以上俺が口を挟むことでもないだろう。〝手術〟の事に関しても、理解しているな?」

「はい」


 軍人となる者はみな、必ず特別な手術を受ける。強大な獣と戦うための処置であり、そうすることで、その者は常人とは比較にならない力を手にすることになる。様々なリスクと引き換えに。


「ならばもう、俺の出る幕でもない。これでも多忙な身なのでな、これで失礼させてもらう」


 わずかに迷った末、ロウは最後に、ずっと気になっていたことをたずねてみることにした。


「サーベラスさんは、どうして、これほどまでに俺たちを気にかけてくれたんですか?」

「……俺にも、妹がいた」


 答えは簡潔だった。


「そして、お前くらいの頃に死別した。……それだけだ」


 思わず絶句したロウに向け、サーベラスは初めて、ほんのかすかに表情をゆるめて見せた。


「ではな。これからはもう、会いに来るということはないだろう。薄々勘づいているとは思うが、サーベラスというのはコードネームだ。次にどこかで会ったとしても、その名では呼ばないでくれ。……妹を大切にな」

「――――本当に、ありがとうございました!」


 ロウは深々と頭を下げて、遠ざかる背を見送った。






 ◆◆◆






 それから、一ヵ月が経った。


「ヴァリス」

「兄さん」


 ガラヴァリスの病室を訪ねたロウは、愛する妹と、三日ぶりに顔を合わせた。

 そしてその顔を、扉を開けた拍子に全身に走った、異物感を伴う激痛で、危うくしかめかけさせていた。


 全霊の努力によってそれを押し留め、なおも続くその痛みと違和感に耐えながら、ベッドのわきの椅子に腰かける。

 まるで体の中で何らかの異物が、ぎこちなく、それでいて宿主への遠慮などせずに、体中を駆け回っているかのようだった。時折〝それ〟が、体の中で何かを突き破るかのような感触が訪れるたびに、背筋におぞけが走った。


 それは、正確には異物ではなかった。

 これまでも、生まれた時からずっとロウの体の中で眠っていたものが、以前とは比較にならないほど活発になっている状態なのだという。


 魔力、と呼ばれるそのエネルギーが体中を行き交う感覚は、例えるなら全身の血液の流れを、はっきりと感じられるようなものだった。しかもその血液は、濁流が岩を削るように血管を拡げようとして、ロウの体を内部からさいなむのである。


 それが、この二日前に受けた『強化技術』の手術の結果。

 そして軍への入隊が正式に決定するとともに、ロウが常人にはない力を手にした証だった。


 強化技術。

 この飾り気の欠片もない名称の技術は、巨大なリスクと引き換えに、それに見合う力を対象に与える。いわばこの全身を襲う痛みがリスクであり、そして全身を流れる魔力こそが、それと引き換えに得た力だった。


 強化技術は三つの系統に分けられるという。


 体内に宿る魔力を活発化させる『魔力活性化』。

 体に機械類を埋め込む『機械化』。

 そして対象と適合し得る獣の遺伝子を埋め込むことで、身体能力の向上や、その獣に由来する能力の開花をもたらす『獣化』の三つである。


 ロウが受けたのは、その中で最も基礎的なものに当たる、ごく初歩的な魔力活性化の手術だった。軍に入る者は皆、まずは基礎に当たるこの手術を受けることになる。それによって、超自然的なエネルギーである魔力を、最低限行使できるようになるのである。


 強化技術は、対象の心身に強い負担をかける。特に一人の人間に複数の系統の手術を施そうとすることで、それは加速度的に増すことになる。

 故に可能な限り異なる系統を併用することはさけるべきであり、それを抜きにしても、負担を抑えるため、なるべく時間を置いて、段階的に施していくべきものなのだという。


 間断なく続く痛みと異物感は、今でこそどうにか表情に出さないよう、耐えられる程度に落ち着いてはいる。昨日手術から目覚めた直後は、体が内部から引き裂かれようとしているのではないかと思うほどの痛みで、数時間ベッドの上でもだえて起き上がれないほどだった。


 しかも落ち着いた後聞いたところによると、それでもまだ鎮痛作用が効いていたうえでのものだったらしい。今でもまだ、走るなどして激しく体を動かせば、体がバラバラになるような痛みに襲われるような状態だった。


「顔色も体調も、すっかりよくなったな」

「はい、皆さんによくしていただいて」

「そうか。よかった、本当に」


 ガラヴァリスと顔を合わせるのは三日ぶりだったが、たったそれだけで久し振りと感じるようになっていたことと、それがどれだけ幸福なことかを、ロウは噛み締める。

 セリウスにいた頃は、一月に二回も会えればいい方だった。だが今は、会おうと思えば毎日でも会うことができ、実際に二日に一回は必ず会いに来るようにしていた。


 だがこれからは、それも当分は無理になるだろう。


「ヴァリス」


 兄妹はしばらく取り留めもない話をしていたが、やがてロウがかすかに硬くした声で名を呼ぶと、ガラヴァリスは静かに兄の目を見つめた。


「これからは当分、来れなくなる。父さんを助け出すために、力をつけてくるよ。だから、心配しないで待っててくれ」


 お前の体をなるべく早く治すために、とは言わなかったのは、言ったところで、ロウの選択に責任を感じさせるだけだとわかっていたからだった。

 だが口に出して言わずとも、それが兄にその道を選択させた理由の一つだと、ガラヴァリスは気付いているだろう。


 だがガラヴァリスは、青い眼の奥に、無力感と自責の色を浮かべはしなかった。ただ静かに、白い両手で兄の大きく日焼けした手を握ると、祈るように言った。


「兄さん、私は今、とても恵まれています。兄さんが生きていてさえくれれば、それ以上は望みません。お父さんにはまた会いたいけど、でも……」


 ロウは、かすかにうろたえた。

 真っ直ぐに見上げてくる眼は、ただ純粋に、兄の身を案じていた。


「兄さん、どうか死なないでください。どうか……」


 それは一四年間、自らを主張するということをほとんどせず、自身の望みを数えるほどしか口にしてこなかった妹の、慣れないなりに精一杯の懇願だった。


「……ああ、約束だ。俺はヴァリスを置いて死んだりしないよ。絶対に」


 可能な限り妹を安心させてやれるような笑顔を浮かべ、一つ頭を撫でてやると、ロウは立ち上がる。

 二対の青い眼が数瞬、互いの安全を願うように視線を交わした。


 これまでの人生において、ロウがガラヴァリスに対し、不本意ながら自分の本心を話さずにいたことは少なからずあったが、今回もそうせざるを得なかった。

 入隊というハイリスク・ハイリターンな選択をした時点で、ロウは自分が死んだ際のことについて、考えないわけにはいかなかった。


 ロウがイルミナスの軍人として戦死すれば、国から遺族であるガラヴァリスに対し、恩給が支払われるのだ。無論、イルミナスの恩給制度が、セリウスのそれより遥かに充実したものであることも調べてあった。ガラヴァリスの病に対する経済的な問題は、それで一挙に解決することもありえる額である。


 決して口には出さなかったが、それが、ロウが入隊を決意した、裏の理由だった。もちろん、囚われた父や、まだ一四歳の妹を置いて、安易に死ぬ気は、ロウにはないが……。


 あるいはガラヴァリスの懇願は、そんな兄の内心を見透かしてのものだったのかもしれない。あるいはガラヴァリスは、この部屋に入った時から、兄が常に体を駆け回る激痛に耐えていることにも、気づいていたかもしれない。

 それでもロウは、病室を出るまで、その複雑な内心を、表情にも動作にも表すことはなかった。


 兄がいなくなった部屋で、ガラヴァリスは一人、己の中にある何かに耐えるように眼を伏せていた。やがて開かれたその眼にともる光には、病弱で無力で儚げな少女に相応しくない、晴れ渡る海のような力強さがあった。


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