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あの世界へもう一度

電気街から家まではそう遠くない。10分ほど走れば家にたどり着いてしまった。


鍵を開けて空虚な家に「ただいま」の声が響く。


返事を返してくる人が誰もいないのは分かっている。鍵を開けたのは自分だし、玄関に靴がないから。


息を切らし、急いで帰ってきた。それでも脱いだ靴はしっかり揃える。お母さんが帰ってきたときに靴が乱れていると怒られるから。


ブレザーとスカートはリビングの椅子にかけ、脱衣所で汗で少し濡れたブラウスと靴下を洗濯機に放り込む。


そして素足で階段を駆け上がり、自分の部屋に突撃するなりある物を探した。


「え・・・っと、ここら辺に・・・あった!」


クローゼットの下あたりをゴソゴソやって取り出したのは、ヘルメット・・・?のようにも見えてしまう機器。


精密機器のはずなのにだいぶ埃を被っていた。長い間使っていなかったことが分かる。埃を払っても少し古くなってしまった感は拭えない。


電源スイッチを入れ、充電プラグを繋ぎ、それを頭に被った。そしてさらに取り出したバーのようなものを両手に握り、下着姿のままベッドに寝転ぶ。


すうっと軽く息を吸って、目を閉じた。


目を閉じればそこにあるのは果てしなき宵闇のはず。しかし目の前にはどこまでも白い空間が鮮明に広がっていた。


これがVR。Virtual Reality。


五感を遮っても、神経に直接伝わる感覚。2年前から本格的に世間一般に実装され始めたこの技術は、今も色褪せない人気を博している。


視界をぐるぐる動かしてみる。首を動かしている感覚がするが、現実世界でベッドに寝転ぶ実際の自分の首は1ミリたりとも動いていないのだろう。


目の前にメニュー画面が出てきた。


もう一度すうっと息を吸った。なぜかこの次の動作が躊躇われる。それは長く過ぎてしまった時がそうさせるのか、それともまだ覚悟が足りていないのか。


見慣れたアイコンに手が伸び、すらっと長い指が触れようとする。その時自分の身体が目に入って、ふと手を止めた。


現実世界そのままの手指。設定しようと思えば、手指の細部に至るまで、現実の自分とは全く別の人のように身体を作る事もできた。だが面倒だったので、私はデフォルト、つまり現実世界そのままでキャラメイクを終えた。


これは紛れもなく私が2年前に作った、この世界での自分。


この身体を私は約2年も放置してしまった。見捨ててしまった。


紛れもなく自分の機器、自分で作った自分の身体のはずなのに、その身体に戻るのがひどく勝手なように感じてしまう。謎の罪悪感が心を包んだ。


だが、


(もう一度・・・、あそこに行きたい・・・)


あの時を境にその世界から逃げ出してしまった。


それでも次こそは別の物が見えるんじゃないか、別の誰かと出会えるんじゃないか。そんな淡く抱いた期待が勝った。


もう一度、そのアイコンを見つめ、触れた。



『ようこそ! EDENの世界へ!』



そんな言葉が耳に響いた。


暗転した世界へ、身体と心が溶け込んでいく。


次はデータがロードされて、自動的に前回中断したフィールドから始まるはず・・・なのだが、


『新規データを作成します。〜GBのメモリ容量が必要ですがよろしいですか?』


ロードはなされることなく、そんな表記が出てきた。


「やっぱり消しちゃってたかぁ・・・」


これには少しだけ肩を落とした。


しぶしぶといった様子で「YES」の表記にタッチする。


ものの一瞬で新規データの作成は終わり、暗転していた辺りの空間が一気に白へと変わる。


『ここは誰もが望む理想郷、EDEN…』


透き通るようなナレーションの声が流れてくる。


『あなたはこの世界で何にでもなれる。そんな世界にあなたは何を求めてきたのですか?』


目の前に選択肢は現れないが、これは運営側からの質問だ。この回答によって初期装備が決まることは既に知っている。


「私が求めたのは『居場所』」


2年前の自分も同じように答えて、ここを通過していったんだろうか。いや…多分違う。あの時の自分はそこまで繊細じゃなかったから。むしろその繊細さを与えたのがこの世界だったから。


『なるほど…。では現実世界のあなたに足りないものはなんだと思いますか?』


なるほどの後の文脈が若干繋がっていないように思えるところに、人ではない機械らしさが見える。


「私に足りないのは…私であると誇れる『証明』」


これは多分あの日の自分も同じことを答えたはずだ。


『なるほど…。あなたがどんな人かがわかった気がします」


そんな質問二つ程度で人が理解できてたまるか、と思うが、そんなことを口にしたところでナレーションは応答はしてくれない。


『あなたにぴったりの装備を授けましょう。最後に一つ、あなたの名前を聞かせてください』


「私の名前は…」


あの時と同じ名前を口にしようとして言葉に詰まった。


あの時の自分とは違う。紆余曲折を経て、私は変わった。良くも悪くも別人だ。ならここで名乗る名は、



「コハル。私の名前は、コハル」



それが私の決意だった。


自分の名前を使えなかった過去を越えていくんだ。


ありのままの自分を否定してしまった。本当の自分をさらけ出すことを怖がってしまったこの世界で。次は自分自身で、本当の自分として生きていきたいと。


そう思ったから。


『ようこそコハルさん、EDENの世界へ。私が、この世界があなたの理想郷となるよう助力いたしましょう』


テキストが表示され、何かしらの装備を入手したことが証明される。ナレーションのいう助力とはこのことだろう。


ちなみに初期防具は皆同じだ。まず注目したのは武器の欄。


そこに示されていたのは────短剣。


それを確認してぐっ、と拳を握る。


すべて狙い通り、事が進んでいた。


『願わくば...あなたに幸多きことを...』


そんな社交辞令の句でナレーションは締められた。


テキスト枠も天からの声も消え、そこにはただの白が残る。


身体がふわりと浮かんだ。見えない力が地に足のつかない身体を前へと押し進める。


変わり映えのない白の風景の中、高速で移動していることだけがわかる。


どこまでも続くとさえ思われたこの空間だが、切れ間が見えた。前方から光が差し込んでいる。


文脈として表すならそれは、


『白のトンネルを抜ければ、そこには楽園が広がっていた』



「わぁ・・・・・・!」



一面の白は消えた。目の前には色とりどり、様々な色でグラフィックされた、現実のそれと遜色ない世界の様相が姿を見せる。


遠目に見える山は見慣れた同じ緑だ。その近くを流れる川は少し青すぎるかもしれない。岩も石も土も現実と変わらない質感で目に映る。


眼下に映った一面の世界は2年前彼女を見捨てた世界だ。だがそんなことは感じないほど、世界が私を優しく美しくを受け入れているように見えた。


・・・・・・・・・眼下?


涙が込み上げてくるような懐かしさに耽っていたが、視界に映った世界の光景にふと違和感を覚えた。


・・・・・・どうして眼下に映る?


私の見ているそれは、山や森や川を上空からドローンで撮った映像のようだった。


脳でその現状を理解したときには時すでに遅し。



「ふぎゃあああああああああ!!!」



秒速9.8メートルの自由落下速度は現実と変わらぬまま。私は落ちた。


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