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第一話


「とりあえず、死に晒しませんか?」


 季節は春。新学期の狂騒が過ぎ去り、倦怠感を感じがちな五月の中旬のこと。

 福岡は天神、親不孝通りにて。

 見知らぬ少年にそう提案されたのは、チトセとデートをしていたときのことだった。

 唐突な出来事に僕はキョトンとしてしまう。

 新手の宗教勧誘だろうか? 

 この壺を買って死ねば、転生できる的な?

 ある特定の界隈では結構な人気を集めそうな主張だ。

 しかし、あいにく僕は死んでしまいたいと思った事は一度たりともなく、現在進行形で人の世を謳歌していた。


「とりあえず、死にたくはないかな」

「いいえ、貴方には今日ここで死んでもらいます」


 僕はやんわりと拒絶する。

 しかし、少年はそんな返事を無視するかのように、こちらに詰め寄ってくる。

 随分と熱心だな。信心深いのだろうが、押し売りは困るなぁ。

 僕はチトセの手を引きながら、後退を図る。


「はるとぉ……」


 怯えるように僕の名を呼ぶチトセ。僕の手をギュッと握りしめてくる。

 まったく、怖がりさんだな。だけど、こういう天然モノのあざとさは嫌いじゃないし、むしろ好きだ。

 これまで年上とばかり付き合ってきた僕には、どこか内気で影のある同年代の恋人というものはどこか物珍しく、チトセの纏う物憂いな雰囲気は庇護欲求を刺激した。


 ちなみにもともとチトセは前向きで明るいと形容される少女だったのだけど、彼女の母が新興宗教にドハマりし、家庭が取り返しのつかない形で崩壊を遂げてしまった際に、このような性格へと変化した。ゆえにこの状況で過度に緊張しているのは無理もない。

 僕は彼女の手を握り返し「大丈夫だよ」と耳元でささやく。(こうして家族という支柱を失った彼女の心の隙間に入り込み、信頼を勝ち取ったのは内緒だ)


 しかし、チトセは首を横に振る。

 黒いポニーテールが電電太鼓。震え声でこう返す。


「違うの……、その人は宗教勧誘の人じゃないの」

「知り合いなの?」

「……わたしの元カレ」

「なん、だって……」


 頭に雷が落ちた。

 あまりに衝撃にその場から動けなくなってしまう。

 その間にも脳みそは全力全霊で思考を続け、考えたくもない悪い可能性を思い浮かべていく。

 いやまさか……でもだって……そんなまさか……けれど結局……

 僕はなんとか力を振り絞り、核心に迫るべく。彼女に疑問を投げかけた。


「……でも、僕が君の初めてだって」

「ごめん、それは嘘なの」

「えっ……じゃあ、膜はサドルっていうのも」

「軽いジョークだったの」


 ――でも、ハルトくんはその時まで童貞だから信じてくれるかなって。

 チトセはバツの悪そうな顔をして呟いた。


 清楚そうな顔をして、嘘八百を並べていたなんて……

 母と別居し、新興宗教の影響下から逃れた今も、その時の教理である清廉潔白を貫いてきたと語っていたのに。そういう不器用な生き方が僕の琴線に触れたのに。

 そこのいかにも素人童貞丸出しの青二才に純潔を捧げていたなんて……


 けれど、僕も自身を童貞と偽りながらチトセに接近したのでお互いさま案件ではあるのか。

 それに僕はそんじょそこらの男と違って大変おおらかなので、相手が純潔か否かなと些事なこと。

 つまるところ僕は処女厨ではなかった。

 よって、ここは水に流すとしよう。股から流れていたのは血だけど。


 こうして折り合いをつけているうちに、件の少年は目の前まで迫っていた。

 今さら回避は間に合わず、僕は少年に胸倉を掴まれてしまう。

 小柄な少年はつま先で立ちながら、僕を睨みつけてこう吐き捨てる。


「貴方が俺のチトセを奪った。その罪、死をもって償ってもらいます」

「おお、素面じゃいえないカッコイイ台詞。まるでニチアサから抜け出したヒーローみたいだ」

「話を逸らさないでください。俺には貴方を斬る覚悟がありますので」


 先程よりもさらに口調を強め、声を荒らげる少年。

 どうやら、そのブカブカのパーカーには刃物を隠しているらしい。

 しかしながら、その程度の脅しなど僕には何の意味をなさなかった。

 ひけらかすつもりはないが、これでも僕は空手の黒帯。

 カッターナイフ程度であれば簡単に対処できる。事実として、襲いかかってきた元カノを何度も退けてきていた。


「それで僕がヒーローくんからチトセを寝取ったといいたいの?」

「ええ、貴方はチトセの心を強引に奪ったのです」

「どうなの? チトセ」


 僕がそう尋ねると、腕にしがみつくチトセは首を横に振った。

 そして、件の少年のほうを向いて、はっきりと口にする。


「そんなことはないわ。私はハルトのことが好きなの。だから帰って」


 なんか照れくさいな。こうして改めて好意を言葉にされると。

 先程まで色々と騙されていたけれど、そんなことはどうでも良くなってくる。


「だってさ。これでいいかい?」

「いいえ、駄目です。貴方はあろうことか俺のチトセを洗脳したのですから」


 今度はいかれた言動する少年。

 どうやら今回のメンヘラ枠はコイツらしい。

 困ったものだよ。男のヤンデレなど需要がないというのに。

 無論、女性であってもヤンデレというのは御免被りたいのだけど。


「証拠は掴んでいます。今さらとぼけても無駄ですから」


 そう言って少年は僕の目の前にスマートフォンを突きつける。

 画面には僕とチトセが『休憩』をした際の様子が映し出されていた。

 チトセ主導の催眠プレイが赤裸々に……

 ああ、だから僕が彼女を洗脳したと主張しているのか。

 というかなにちゃっかり盗撮してやがるんだよ、こいつ。


「ええ、チトセを救うためにはこれしかありませんでしたので」

「さらっというけど、犯罪だからな」

「それがどうしたというのですか? 口の利き方には気をつけた方がよいかと」


 ククッと愉快な笑みをこぼす少年。

 その顔はどこか愉悦に満ち溢れており、強い自信がうかがえる。

 奇妙な態度に警戒を強めていると、少年はドヤ顔でこう言う。


「このテープを所属事務所に送った場合、貴方はどうなるのでしょうかね」

「ちょ、ま、おまえ」


 率直に言ってやばかった。

 特筆すべきことでもないと思い説明を省いていたが、僕は雑誌のモデルを生業にしている。

 表紙を飾るほどの実力はなけれど、そこそこの人気を博していた。

 しかし、それは『清純さわやか系男子』という偶像に対する信仰の結果であった。

 ゆえに私生活がこのように乱れていることを事務所にバレるのは致命傷だった。

 いや、事務所ならばまだ取り返しがつく。


 この場合、一番恐ろしい事態は――


「週刊誌にリークしてもよいですね。そちらのほうが社会的に抹殺できる」


 ――そういう事だ。


 もし今回の一件が記事になれば、芋づる式に過去の不純異性交友が明るみに出る。

 そうすれば、僕の三十六人の元カノたちはどのような行動にでるのか予想できない。

 ただ、確実なのは大暴露大会の開催であろう。

 そうなれば僕のモデル生命、ひいては社会的な立場も断たれることになる。

 そして、ネットの陰湿で陰険な奴らのおもちゃとなること間違いなし。

 こいつ、僕の殺し方を十全に知り尽しているぞ。


「だ、だが、この映像を流せば、チトセも辱めを受けることになるなぁ」

「ええ、ですが、貴方の洗脳を解くには良い薬となるでしょう。それで俺のもとに戻らないのならば、そんなチトセなど必要ないのですから」

「い、イかれてやがる……」

「お互いさまでしょ?」


 少年はにんまりと笑った。

 嬉しそうに鼻歌を奏でながら、少年はパーカーの袖より凶器を取り出した。

 それは、刃長が60センチほどの小太刀だった。

 瞬間、僕は死を悟った。


 カッターナイフや包丁と違い、日本刀の類というのは明確に人を殺すために存在する兵器である。それ故に殺傷力が前の二つとはケタが違う。師範代も「刀と対峙する時は死を覚悟したときのみだ」という。それに俺の隣にはチトセがいる。

 トチ狂った少年からカノジョを守りながら無力化するというのは不可能だった。

 というかそんなものをどこに隠していたのやら。


 少年は戦慄する僕の表情を楽しみながら、一つの提案を持ち掛けた。


「選ばせてあげましょう。今、この場で俺に切り殺されるか、このテープを週刊誌にリークされるか」

「…………」


 僕は暫しの間、思案する。


 第一の案を採れば、僕はまず殺されるだろう。

 ビルとビルの狭間には人っ子一人通らない。いや、刺青の入ったいかついお兄さんはココで野菜を売っているらしいが、彼らが見ず知らずの僕を助けるとは思えない。

 ある程度ならば抵抗できるだろうが、最終的に血の海を描くのは僕となるだろう。

 だが、この少年の目標はチトセである以上、彼女に危害は加えないはずだ。


 第二の案を採れば、命だけは助かるだろう。

 しかし、社会的な信頼とモデルとしての輝かしい未来を失うのは確定的に明らかだ。

 電脳砂漠に彷徨うハイエナたちの餌となり、骨しか残らない。

 それに、チトセのこともある。

 もしこの映像がどこかに流出すれば彼女も誹謗中傷に巻き込まれてしまうし、チトセにデジタルタトゥーを刻んでしまうことになる。

 僕は仮にも芸能人のはしくれなので、そういったリスクを承知したうえで生きているのだけど、彼女は違う。巻き込むわけにはいかない。


 ゆえに選択肢など、あってないようなものだった。

 僕はチトセを見やった。

 彼女は僕にこう言った。


「第二の案には乗るなよ。その時はお前を訴えてやるからな」


 どすの聞いたおぞましい声だった。

 普通、こういうときは愛しのカレシを信じて第二の案を選べというものではないのだろうか。

 というか、その言い分だと僕が死んでも構わないと言っているみたいじゃないか。

 確かに、第二の案を受け入れるつもりなんてなかったわけだけど。

 そんな態度を取るカノジョのために命をかけなければならないのだろうか。


 僕が好きだったチトセはそんなのじゃなかったんだけどな。


「では、俺が切り殺しましょう。なに、痛いのは一瞬ですよ」


 少年は僕の返事を聞くより先に小太刀を鞘から抜いた。

 チトセはそれを止める事もなく、僕から離れていく。

 迷いなく刀を振り下ろす少年。すんでのところでかわすが、頬をかすめる。

 じりじりと後退し、大通りへの復帰を目指すが、少年の太刀筋は乱れない。

 さらに悪いことに、この通りは袋小路となっていた。早い話が、ゲームオーバーってヤツだ。


 少年はニヤリと嗤い、小太刀を構え直した。

 チトセは不干渉を貫く一方、これから起こる惨劇に備えてか、固く目をつぶっていた。

 どうやら、僕はチトセの心を裸にすることはかなわなかったらしい。

 なんて、くだらないことを考えているうちに、小太刀が僕の首筋へ。

 三十七人目のカノジョも駄目だったか。そして、僕の人生とやらも。




 ああ、どうせ死ぬなら腹上死が良かったなぁ――



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