8話
サマーパーティーの日は学院を休んでやり過ごした。
別に全員参加ではないし、出席しない子もけっこういるらしい。
代わりに去年と同じようにグレーテと街へ出て、お祭り騒ぎを楽しむ。
学院だけじゃなく、国中がこの時期は皇太子ご夫妻のご成婚記念に沸いているのよね。
まだお若いお二人だけれど、国民のことを第一に考えてくださっていて、わたしたちみんなが将来に希望を持つことができる。
そんな明るい中で過ごしていたから、シャルのことはあまり考えなくてすんだ。
グレーテはとっても怒っていたけど。
それでもこのことについてはこれで終わりと思っていたわたしが甘かった。
サマーパーティーでのことがお父様とお母様に伝わったらしい。
その日の夜にはお父様に書斎へと呼び出されてどういう経緯かを訊かれてしまった。
「去年はまだリュシーが別の学院に在籍していたという理由で見逃すことができたが、今回はさすがに抗議しないといけないな」
「ですがお父様、サマーパーティーはまだ歴史も浅いですし、その、パートナーと将来がどうとかっていうのはジンクスというか、皇太子ご夫妻にあやかったもので、正式な決まりはないですから……」
「正式な決まりはなくても、シャルロ君はリュシーの正式な婚約者だ。それなのに別の女性と二年連続でパートナーを組むというのは、いくら学院内の行事でも許されることではない」
「それは……でもわたしにも噂が……」
思っていたよりも大事になりそうで、わたしはうろたえてしまった。
シャルが叱られてしまうことも嫌だけど、わたしはベルトラム子爵が苦手で、あの方がどんな反応をするか怖かったから。
きっとわたしの噂のことも持ち出されてしまう。
不安になったわたしがもごもご呟くと、同席していたお母様が励ましてくれる。
「基本的なルールとして、学院内でのことは学院内で。それは女学院も同じでわたしたち大人が介入することはめったにないわ。要するにわたしたち大人は学院内での出来事は耳にしても口には出さない。だからわたしはあなたが女学院の男性教師に熱を上げていたなんて噂を聞いたけれど、特に対処しなかったの」
「知っていたの……?」
「それは当然よ。だけどこの噂についてはわたしだけでなく、皆さん――女性陣の皆さんは微笑ましく聞いただけよ。だって、年頃の女の子にはよくあることだもの。年上の男性に熱を上げるなんてね。だから事実でも事実でなくても、どうってことない噂なのよ」
「だけどシャルは恥をかかされたって……」
「だから仕返しをしたとでも言うのか? だとすればシャルロ君はずいぶん度量の小さい男に育ってしまったんだな。残念だよ」
そんなことはないと言いたかったけど、口にすることはできなかった。
それを口にしてしまうと、シャルがステファニーさんに恋をしていると認めることになるから。
そのまま話し合いは終わり、わたしは部屋に戻ることになった。
しばらくして、お父様とベルトラム子爵との間で話し合いが行われたらしい。
だけどその内容をお父様が教えてくれる前に、ちょっとしたトラブルが取引先で発生して出かけたきり帰ってこなくなってしまった。
どうしよう。
お母様に訊けば何かわかるのかしら?
でもそれなら教えてくれるはずよね?
悶々としながら日々を過ごしていたある日、友達とラウンジでお茶を飲んでいるとシャルが通りがかった。
先に気付いたのは友達のアンネット。
グレーテほど仲良くなったわけじゃないけれど、アンネット以外に高等科でもちゃんと何人かの友達ができたことは嬉しい。
「リュシーさん、彼……」
「え? あ……」
言われて振り向けば、シャルとばっちり目が合ってしまった。
シャルはステファニーさんと他の男子生徒二人と一緒にいる。
目が合った途端、シャルはわたしをキッと睨みつけてこちらにやってきた。
「いい加減な噂をしないでくれないか?」
「え?」
「ステファニーのことだよ。婚約者の僕を奪われたって、ステファニーのことを悪し様に言いふらしているだろ?」
「まさか、わたしはそんなこと言っていな――」
「じゃあ、どうしてそんな話が僕やステファニーの耳に入るんだよ。ステファニーがどれだけ傷ついているかわかっているのか!?」
この学院でわたしはステファニーさんについて誰かと話したことなんて一度もない。
今もたまたまシャルを見かけたアンネットが何気なく存在を教えてくれただけ。
なぜならわたしとシャルが婚約していることをみんな知っているから。
正等科出身の子たちから話が広まったんだと思う。
一方的に責められて唖然としてしまっていたわたしだったけど、シャルの後ろに隠れるように立っているステファニーさんを見て我に返った。
傷ついた表情で俯いたステファニーさんに一瞬浮かんだ笑みをわたしは見逃さなかったわよ。
以前ぶつかったときの強気な態度も忘れていないんだから。
そのことを思い出すと、ふつふつと怒りが湧いてきた。
「シャル、わたしはステファニーさんについて何も言っていないわ」
「そんな言い逃れは――」
「そもそも! わたしとシャルが婚約しているのは事実よ。それはみんな知っているわ。それなのにいつも一緒にいるのはステファニーさんで、サマーパーティーのパートナーも二年連続でステファニーさんだったんだもの。そんな噂、勝手に流れるわよ」
初めてわたしが声を荒げたからか、シャルはぽかんと口を開けた。
その姿に冷静さが戻ってきたわたしは、声のトーンを落として続ける。
すると、シャルはわたしをじっと見たあとぼそりと呟いた。
「嫉妬しているのか?」
「そうじゃなくて。二人ともちょっと常識が欠けているんじゃないの? だからわたしは婚約者を奪われたって笑われて、ステファニーさんは婚約者を奪ったって言われているのよ」
予想外の返答に、わたしは脱力してしまった。
だから言い方がストレートすぎたかもしれない。
でもまさか、ステファニーさんが泣き出すとは思わなかった。
シャルの後ろで顔を覆ってしくしくと泣くステファニーさんに、どこからともなく取り巻きさん二人がやってきて慰める。
シャルだけでなく一緒にいた二人の男子生徒もわたしに冷ややかな視線を向けてきた。
そのとき、第三者の声が割り込む。
「どう聞いても、この状況で泣いていいのは、こちらのお嬢さんよね? なのになぜ彼女が責められているのかわからないわ」
「だ、誰ですか、あなたは!?」
突然の介入者にシャルが慌てて問い詰めた。
少し年上に見える女性は制服を着ていないことから、高等科の生徒ではないらしい。
シャルだけでなく、わたしもステファニーさんたちも、ずっと黙っていたアンネットも驚いて女性を見ていた。
女性はシャルににっこり笑いかける。
「ただの通りすがりの父兄よ」
「な、名乗れないのか!? 不審者じゃないか!」
「今すぐ警備の者を――」
「待って、この方は――」
「姉さん!」
あ、誰かのお姉さんなんだ、なんて考えたわたしは呑気すぎたらしい。
でも学院に入るために警備兵のいる門を通ってきたのなら、不審者のわけはないわよね?
まさかこんなに淑女然とされている方が塀をよじ登ったりはしないだろうし。
なんてシャルの言葉でどうでもいいことを考えていると、男子生徒の一人が警備兵を呼ぼうとして、ステファニーさんの取り巻きさんの一人が止める。
そこに今度は別の男子生徒の声が遠くから割り込んだ。
どうやら同級生のアジャーニ君らしい。
「え? アジャーニ先輩?」
「ってことは……」
「やっぱりリザベル・アジャーニ様!」
シャルの驚く声とともに、警備兵を呼ぼうとした男子生徒の顔が青ざめる。
そして、黄色い声で叫んだのは、止めようとした取り巻きさん。
わかるわ。
わたしもちょっとドキドキが止まらないもの。
リザベル・アジャーニ様はアジャーニ子爵家のご令嬢。
皇太子妃のエリカ様のご親友であり、皇太子殿下の従兄にあたるマティアス・ブリュノー様の婚約者。
社交界デビューしたら運よくお見かけすることはあるかもしれないなんて思っていたけれど、まさかお声をかけていただけるなんて。
って、よりによって、こんな状況だったのが泣けるわ。