6話
「リュシー」
「シャル!」
「大きな声で呼ばないでくれよ」
「あ、ごめんなさい」
高等科に編入して八日目。
なかなかちゃんと会うことのできなかったシャルから声をかけてきてくれて、嬉しくて声が大きくなってしまった。
でもシャルは顔をしかめて嫌そう。
その態度はショックだけど、声をかけてくれたことが嬉しい。
だって見かけることはあっても、いつも他の人と一緒だったから声をかけられなかったのよね。
「なかなか会えないからちょっと不安だったの。知らない場所だし、授業も難しくて――」
「だから編入なんてしなければよかったんだよ。三年で、しかも女子の編入生なんて珍しいから目立つんだよ。でも僕はあまり目立ちたくないから、悪いけど人のいる場所では話しかけないでほしいんだ」
「……それだけ?」
「何が?」
「ううん。何でもない」
「そう? 授業についていけなかったら退学すればいいんだよ。それで社交界にデビューすればいいじゃないか。いいよなあ、女子は気楽で。じゃあ、僕はもう行くから」
人目を気にするようにして離れていったシャルは、いつの間にかわたしよりもかなり背が大きくなっていた。
そんなことにも気付かないくらい、わたしたちってちゃんと会っていなかったのかな。
ため息を吐いて次の授業のために移動する。
女学院ではジェイ先生と最後の授業でも何も話すことなく終わってしまった。
噂のことはどうやら先生も知っていたのか、目が合うこともなかった。
もしかしてわたしのせいで先生は学院を辞めないといけなくなったのかとも悩んだけど、それはたぶん自意識過剰。
メイアウト王国は薬草の楽園って言われるくらいに薬草の種類が多いらしいものね。
お父様やお母様に学院長に勧められたことを相談した結果、高等科に編入することにしたけれど、思ったようにシャルとの仲は元には戻らない。
って、別に壊れたわけじゃないけどね。
何かがぎくしゃくしてしまって、スムーズに進まなくなってしまったんだと思う。
それをステファニーさんのせいにするのはずるいかな?
ステファニーさんは成績も優秀で家柄もいいから一部ではエリカ妃殿下の再来って呼ばれているらしい。
そんな彼女によく勉強を教えてもらっているから、変な噂が立つんだって以前のシャルは言ってたけど。
噂なんてくだらないって怒ってたな……。
高等科の授業は難しいけどついていけないほどじゃない。
たぶん少ししたら慣れると思う。
残念なのは高等科の隣にある研究科で薬草の研究を続けているはずのオリヴィア女史がいらっしゃらないこと。
しばらく研究のために国外に行っているらしい。
(メイアウト王国か……わたしも行ってみたかったな……)
わたしの小さい頃からの夢はシャルの花嫁さんになること。
そのためにずっと努力を続けてきて、女学院に進学して、卒業したら社交界デビューして、ベルトラム子爵家の嫁として恥ずかしくないように努力するつもりだった。
だけど今はもっと勉強したい。
療魔石と薬草、そして光魔法があればどんな反応が他に起こるのか知りたい。
メイアウト王国に行って、色々な薬草を手に取って、試してみたい。
だけどきっとベルトラム子爵家の嫁として許されるわけがない。
(でも、わたしはまだシャルにその気持ちを――療魔石の研究をしたいって気持ちを伝えていない)
子爵はダメだと言うだろうけど、シャルはひょっとしてオリヴィア女史の婚約者の方のように後押ししてくれるかもしれない。
研究資金の問題はお父様が解決してくれるはず。
お父様は魔法石の新しい使用方法の研究などにはとても積極的だから。
そこでふと気付いた。
(ジェイ先生、資金は大丈夫かしら……?)
魔法石の研究にはとてもお金がかかるもの。
だって当の魔法石が種類によってはとっても高いから。
それに薬草は……自由に摘めたとして、メイアウト王国での滞在資金は大丈夫なのかしら?
それとも誰か後援者がいる?
王立学院の研究科に所属していれば、学院が援助してくれるっていうのは聞いたことがある。
だけどジェイ先生は一介の教師で……。
(ジェイ先生は立派な大人だもの。さすがに野垂れ死に……って、不吉なことを考えちゃダメ! 大丈夫に決まっているわ!)
授業中や研究内容を話すときのジェイ先生はとてもきりっとしていてかっこいい。
だけど研究に夢中になると寝食を忘れてしまうんだって笑ってたことも思い出してしまう。
(そうだわ。女学院なら何か情報があるかもしれない。グレーテに訊いてみよう)
普段は面倒な噂だけど、こういうときは意外と便利なのよね。
しかも年頃の女生徒が集まる女学院は噂の宝庫。
ジェイ先生のファンの子も多かったんだから、きっと何か知っているかもしれない。
気持ちが上昇したところで図書室を出る。
明日の授業の予習に本を何冊か借りたところで両手がいっぱいだったから、誰かとぶつかってしまったときにはバランスを崩して一緒に転んでしまった。
大変! 本が傷んでないかしら?
「あら、気をつけてくださらない?」
頭上から詰るような声が聞こえて顔を上げたわたしは思わず目を見開いた。
彼女は何度かシャルの隣にいるところをこの八日間で見かけていたから。
「ちょっと、ぶつかっておいて謝罪もないの? 女学院でいったい何を学んでいたのかしら」
「それはほら、あれでしょう?」
「まあ、いやだ」
ステファニーさんは他に二人の女生徒と一緒にいて、その二人がくすくす笑いながら何か囁いていた。
だけどステファニーさんはわたしを睨みつけただけで、そのまま行ってしまって、その後を二人が追う。
座り込んだまま三人を見送ったわたしは、他の誰かが傍に来ていることにも気付かなかった。
「大丈夫かい?」
「え? あ……はい、大丈夫です。すす、すみません!」
声をかけながら手を差し伸べてくれた男性はまるで王子様のようで、答える声がひっくり返ってしまった。
恥ずかしい。
男性はわたしを助け起こしてくれると、落としてしまった本を拾ってくれる。
「ほ、本当にすみません! ありがとうございます!」
「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。怪しい者じゃないから。僕は研究科生のギデオン・レルミット。よろしく」
「よ、よろしくお願いします!」
このときのわたしはテンパってしまってて、わたし自身が怪しい者になっていたと思う。
そもそも女学院に二年も行っていれば男性に免疫もほとんどないわけで。
ジェイ先生は先生というカテゴリーに所属していたから、男性として意識することは……なかったから。
この後、馬車寄せまで本を持って送ってくれたときには、何を話したかよく覚えていなかった。
たぶん療魔石と薬草についてのことをぺらぺらと話したんだと思う。
ジェイ先生も王子様みたいだったけど、レルミット様は本当に王子様に近かった。
まさかレルミット侯爵家の方だったなんて、このときのわたしは知らなくってよかったと、あとでつくづく思ったのよね。




