13話
もうすぐ高等科ではサマーパーティーが開かれるみたいで、隣の棟にいてもその浮かれ具合が伝わってくる。
元々は皇太子両殿下のご成婚を祝うためのものだったけれど、最近ではジンクスが先行して恋人たちのものになりつつあるみたい。
だけど私もサマーパーティーが楽しみ。
恋人なんてものは関係ないけれど、ジェイ先生がいよいよ帰国されるんだもの。
はっきりとした日程はわからない。
ただ手紙にはサマーパーティーの頃に帰ります。とあっただけ。
旅にトラブルはつきものだし、王侯貴族でもなければ日程通りになんて難しいから明言はしなかったんだと思う。
でもジェイ先生は魔力も強いし、お父様がおっしゃるにはメイアウト王国への街道はかなりしっかり整備されているから危険は少ないらしい。
どこかの商隊に加わらせてもらえば、さらに安全は増すわよね?
お父様にお願いしようかとも思ったけれど、ジェイ先生から何も言われてないのに勝手に頼むのも差し出がましいので我慢した。
(どうかご無事にお戻りになりますように……)
祈ることしかできないのはもどかしい。
だから私はさらに研究に打ち込んだ。
ジェイ先生が戻ってきたときに、胸を張って会えるように。
「――リュシールさん、今日この後お時間はあるかしら?」
「はい、大丈夫です。実験もひと段落ついて、今はまとめているところなんですけど、ちょっと行き詰まってて……」
「じゃあ、気分転換に私のお家にいらっしゃらない?」
「ぜひお邪魔させてください!」
オリヴィアさんのお屋敷には何度かお邪魔したことがある。
大きな温室や広大なお庭にはたくさんの珍しい植物があって、時間があっという間に過ぎてしまう。
アンドール侯爵邸の別邸とは聞いたことがあるけれど、あれで別邸だと本邸はどんなものなのかしら。
オリヴィアさんが言うには本邸はお城の近くにあってそこまでお庭が広くないらしい。
お城の近くってだけですごいんだけどね。
「実はね、昨日からジェ…ジェイ・アレルが滞在しているの」
「……ジェイ先生が?」
「ええ。昨日帰ってきたばかりでまだ……自宅には帰らず、ちょっと休憩? のようなものなの。昨日は一日中寝てばかりだったみたいだけれど、今日はすっかり復活したって連絡があったから。リュシールさんとは積もる話もたくさんあるでしょう? 私たちの家なら周囲を気にする必要もないもの」
婚約もしていない未婚女性が付き添いもなく男性と二人きりになるのはご法度。
だからたぶんオリヴィアさんは私とジェイ先生がゆっくり話ができるようにご自分のお屋敷に招待してくださったんだわ。
でも伯爵のお屋敷に帰国早々お泊りになるってことは、ジェイ先生とオリヴィアさんはかなり親しい間柄なのね。
そこまで考えて、自分がオリヴィアさんに嫉妬していることに気付いた。
目をつぶっていてもわかるくらいオリヴィアさんはご主人の伯爵をとても愛していらっしゃる。
だけどオリヴィアさんはとても素敵な人だから、ジェイ先生が惹かれていたとしても驚かないわ。
それに大事なのはジェイ先生が無事に帰国されたってこと。
今からお会いできるってこと。
アンドール侯爵家の別邸が見えてくると今までのわくわく感よりも胸がきゅっと苦しくなった。
ジェイ先生とお会いするのは一年四か月と二十三日ぶり。
こんなことなら研究用の動きやすい服装じゃなくて、もう少し淑女らしい服装に……って、ああ、袖口に薬品のシミがあるわ!
髪の毛も後ろにまとめただけ。
せめて研究室を出るときにもっと身なりに気を使えばよかった。
女学院のときの制服はひらひらで可愛くて、友達同士でアドバイスし合ってアレンジしたりしてたから。
高等科の制服もシンプルで素敵だったのになあ。
自分でもどうでもいいことを考えているって自覚はある。
それでも好きな人に久しぶりに会うのにもう少しおしゃれをしたかったというのは乙女心よね。
オリヴィアさんに続いて馬車から降りた私は、出迎えに出た執事さんに挨拶をして見慣れた廊下を進んだ。
執事さんはオリヴィアさんに何か耳打ちしてたけど、ジェイ先生のことだというのはわかった。
ひょっとしてもう帰ってしまわれたとか?
でもそれならそう言ってくれるわよね?
「申し訳ないけれど、少しだけここで座って待っていてくださる?」
「――はい。わかりました」
無人の居間に入ると、私はオリヴィアさんの言葉に頷いて二人掛けのソファの端に腰を下ろした。
オリヴィアさんは居間から出ていってしまって一人。
どうしよう。手持ち無沙汰すぎて緊張ばかりが募るわ。
無意識に膝の上でスカートをぎゅっと握っていたらしく、気がついたときにはシワができていた。
慌ててシワを撫でつけていると、ノックの音がしてさらに慌てて立ち上がる。
入ってきたのはお茶のカップなどが載ったカートを押したオリヴィアさん。
オリヴィアさん自らなんてと驚いて駆け寄ろうとしたら、後ろからジェイ先生が入ってきて私は固まってしまった。
だって久しぶりのジェイ先生は記憶よりも精悍で男らしくて近寄りがたい。
「――久しぶりの再会で言葉が出ないのも仕方ないかもしれないけれど、お茶くらいは飲んでくださいね。それでは私は退散しますが、扉だけは開けておきますから」
「え? あ――」
「ありがとう、姉さん」
オリヴィアさんの声で我に返った私は、黙って立ったままジェイ先生を見つめていたことに気付いた。
恥ずかしい。恥ずかしすぎて、今すぐ逃げ帰ってお布団をかぶりたい。
だけど――あれ?
「お姉さん……?」
今、ジェイ先生はオリヴィアさんのことを「姉さん」って呼んだわよね?
ご姉弟だったの?
でもジェイ先生の家名はアレルでオリヴィアさんはカルヴェス子爵家のご出身で……?
「そのことについては、きちんと説明して謝罪しなければならないんだ。まずは座ってくれるかな?」
「は、はい……」
混乱する私を落ち着かせるように、ジェイ先生は静かに話し始めた。
その言葉のままに、元の位置に戻って座る。
すると、ジェイ先生はオリヴィアさんがカップに注いでくれていたお茶を私の前に置いてくれた。
「す、すみません」
「いや、姉さんが席を外してくれた以上は、ここの主人役は僕だからね」
目上の男性にお茶を用意させてしまったことを謝罪した私に、ジェイ先生は苦笑しながら答えてくれた。
だけどその言葉の意味が私にはうまく飲み込めない。
そんな私にわかるように、ジェイ先生はゆっくり説明してくれる。
「彼女は僕の兄の奥方なんだ。だから義理の姉弟になる。この屋敷は今は兄さん夫婦が住んでいるけど、アンドール侯爵家の持ち家だからね。一応、僕も主人側の人間なんだ」
「オリヴィアさんの義理の……ジェイ先生が伯爵様の弟さん?」
「うん。ずっと騙していてごめん。僕の名前はジェイ・アレルじゃない。本当の名前はジェラール・アンドールなんだ」
晴天の霹靂ってこういうこと?
驚きなんてものじゃない。
それなのにぐるぐるする頭の中でなぜか一つだけはっきりと浮かび上がってきたことがある。
ジェイ先生は――ジェラール・アンドール様は、恋することさえおこがましいほど身分違いの方だった。