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10話

 

「ごめんなさい、急に呼び出したりなんてして。本来ならわたしから出向くべきなんですけど、高等科では目立ってしまうので……。注目されるのが苦手なの」

「どうかお気になさらないでください。カルヴェス女史の研究室にお邪魔できるなんて、とても光栄ですから」

「どうかオリヴィアと呼んでくださらない? 女史と呼ばれるのは苦手なの。あら、苦手なものばかりね」


 そう言ってカルヴェス女史――オリヴィアさんは悪戯っぽく笑った。

 オリヴィアさんは想像より小柄で美しいというより可愛らしく柔らかな雰囲気の素敵な方で、数々の論文を発表されているようには見えない。


「わたしのこともどうかリュシールと呼んでください」

「ありがとう、リュシールさん」


 オリヴィアさんは女性初の研究科生として当時はとても話題になったらしい。

 しかもお家は子爵家で立派な婚約者もいらっしゃったからなおさら。

 学問を優先させることを婚約者の方も応援してくださったって聞いたけど、まだご結婚はされていないのかな?


「実はリュシールさんとこうしてお会いしたかったのは、お話したいことがあったからなの」

「何のお話でしょうか?」


 率直に訊くと、オリヴィアさんは少しだけ驚いたようでかすかに目を丸くした。

 だけどすぐに優しく微笑んでくれる。

 だって気になるわよね? 

 シャルのために淑女らしくあろうとしたけれど、回りくどいことは本当は嫌い。

 オリヴィアさんにはその気持ちが伝わったのか、そのまま続けてくれた。


「リュシールさんが書かれたレポート……女学院のときのレポートについてお話したかったの」

「あれらを読まれたんですか?」

「ええ、ジェ……ジェイ・アレルから少し内容を聞いて、全部読ませてほしいと頼んだの。勝手にごめんなさい。嫌でした?」

「嫌だなんてそんな……。ただ未熟ですので恥ずかしいというか……」


 薬草研究の第一人者であるオリヴィアさんにあのレポートを読まれたのは恥ずかしいという気持ちが強かった。

 ただそれにはジェイ先生が関わっているわけで、お二人はどういった関係なんだろうって、そんなことが気になってしまう。


「恥ずかしがる気持ちもわからないでもないけれど、とても素晴らしいものだったわ。わたしは研究のためにしばらくメイアウト王国に滞在していたんですけれど、ジェイ・アレルがわざわざわたしのところまでやってきて、リュシールさんのレポートのことを教えてくれたの。それで本人の了承を得ないとって言う彼を無理やり説き伏せて全て見せてもらったの。薬草のことになるとちょっと我を忘れてしまうところがあって……よく注意されるんですけど……。ごめんなさい」

「いいえ、ですから謝罪は必要ありません。本当に……」


 オリヴィアさんにレポートを認められたことはとても光栄なことだけれど、ジェイ先生がメイアウト王国に向かわれたのはオリヴィアさんに会うためだったのかと思うと胸が痛い。

 そんなわたしのことをオリヴィアさんはじっと見ていた。

 まるで心の内を見透かされているようで、慌ててレポートのことに気持ちを戻す。

 えっと、どんなことを書いていたっけ?


「わたしは薬草のことになると、彼は魔法石のことになると夢中になりすぎるの。そのために逆に見逃してしまうこともあるってよくわかったわ。リュシールさんの薬草と魔法石の相乗効果について新しい視点からの意見はとても面白かったもの」

「ありがとうございます」


 オリヴィアさんはジェイ先生とかなり親しいみたい。

 ジェイ先生のことを話すときの表情を見ればわかる。

 こんな素敵な方とわたしとじゃ、比べものにならないわよね。

 って、比べてどうするの? どうしようもないでしょう?


 目の前のオリヴィアさんとの会話に集中しないとって思うのに上手くいかない。

 どうしてもう半年以上もお会いしていないジェイ先生がわたしの心の中をこんなに占めているんだろう。


「それで、実は噂で聞いたんですけど……リュシールさんは婚約解消されたのでしょう?」

「はい?」

「お相手は子爵家の継嗣である方だと聞いたわ」


 少し上の空のわたしの頭に、オリヴィアさんの予想外の言葉が入ってきた。

 驚いて見開いたわたしの目に、オリヴィアさんの申し訳なさそうな表情が映る。

 訳がわからないでいるうちに、オリヴィアさんの言葉は続く。


「とてもお気の毒だと思うわ。婚約解消だなんて、原因はどうあれどうしても女性側に不利益な噂が流れるもの。それにリュシールさんはお相手の方と親しくされていたのでしょう? 本当におつらいわよね……」

「あ、いえ。シャルとは……シャルロ・ベルトラム卿のことは弟のようにしか思えなくなっていたので、本当はほっとしているんです。お気遣いいただき、ありがとうございます」

「そうなの? ご無理をされているのではなく?」

「はい」


 まるで自分のことのようにつらそうな表情のオリヴィアさんを見ていると、初対面でこんなに込み入った話をしていることもどうでもよくなる。

 だからきっぱりはっきりシャルに未練がないことを笑顔で伝えた。

 するとオリヴィアさんはほっとしたようで、次いで柔らかな笑みを浮かべる。


「安心したわ。世間って当人たちの気持ちなんておかまいなしに好き勝手に噂するでしょう? まあ、わたしも噂を聞いてリュシールさんに会いたいと思ったのだから、噂する人たちと同類と言えばそうよね」

「いえ、そんなことないです!」


 たぶんオリヴィアさんは研究科に進むときに色々と噂されてつらい体験をされたんだと思う。

 今だってやっぱり女に学問なんてっていう風潮がないわけじゃないもの。

 いわゆる〝深窓の令嬢〟なんて呼ばれるご令嬢は女学院にさえ進まず、家庭教師をつけて勉強するもので、正等科に進むことさえない。

 そして突然社交界デビューすると、男性陣の人気を得るだとかどうとか。

 それを一気に覆したのが、皇太子妃のエリカ様。


 アンドール侯爵令嬢だったエリカ様が正等科にご入学されたときは大騒ぎになったとか。

 しかも高等科に進学され、冒険までされて、皇太子殿下と愛を育まれたんだから、それはもう女子は憧れるわよね。

 というわけで、最近はかなり上流階級女子の高等科進学への抵抗は少なくなってきたけれど、オリヴィアさんの頃は本当に大変だったと思う。

 思わず尊敬の眼差しで見つめると、オリヴィアさんは次の言葉をためらっているようだった。

 何か言いにくいことなのかな?


「実はね、身内でも何でもないわたしがこんなことを言うのはすごく失礼だし、踏み込み過ぎているとはわかっているんですけど……敢えて言わせてもらうわね」

「――はい」

「リュシールさん、このまま研究科に進学なさらない?」

「え?」

「研究科にまで進むと、社交界デビューにも影響があるし、狭量な人たちからは敬遠されるかもしれない。だからジェ…ジェイ・アレルには余計なことを言うべきではないって、リュシールさん自身が望んでこそだって、こうして進言することには反対されたんだけど、やっぱり言わずにはいられなかったわ。だって、リュシールさんには知力と魔力、そして探求心っていう素晴らしい才能があるんだもの」


 考えてもいなかったことを言われて、わたしは何て答えればいいのかわからなかった。

 本当に今日は――オリヴィアさんには驚かされてばかりだわ。




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