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「リュシール、この方がお前の婚約者だよ」
お父様がそう言ってシャルを紹介してくれたのが十歳のとき。
そのころはまだ、結婚なんてぴんとこなかったけど、それでもシャルロ様のために素敵な女性になろうと思ったことだけは覚えている。
一歳年下のシャルはベルトラム子爵家の嫡子で、かすかに癖のある金髪を輝かせておずおずと微笑む姿は天使のようだった。
そんな天使が准男爵家の娘であるわたしとなぜ婚約なんてしたのか。
とても不釣り合いなこの縁組には訳があったけど、このときのわたしはまだ知らなかった。
ただひと月に一度会いに来てくれるシャルの訪問を楽しみにしていただけ。
「ねえ、リュシー」
「なあに、シャル」
「リュシーはもうすぐ学院に入学してしまうんだよね?」
「そうよ。学院に入学したらいっぱい勉強して一番の成績を取って、シャルのお嫁さんになっても恥ずかしくないように頑張るわ」
「だけど、そうしたら僕はリュシーと会えなくなってしまって寂しいよ」
「会えるわよ。遠くにいくわけでもないし、学院がお休みの日に会いにくればいいんだもの。今だってひと月に一度でしょう?」
本当はもっと会いたかったけれど、それは言わずにいた。
我が儘だと思われたくなかったし、わたしのほうが年上なんだから我慢しないと。
(寂しいなら、シャルが子爵に言って、もっと会いに来てくれればいいのに……)
いくら婚約しているといっても、准男爵家のわたしが子爵家に気軽には訪ねて行くことはできない。
それは婚約したときからわたしでもわかっていたことなのに、シャルはわかっていない。
婚約者としての義務を果たすために、子爵は月に一度だけシャルの訪問を許してくれている。
「学院に行ったらきっと友達や勉強に夢中になって、リュシーは僕のことなんか忘れちゃうよ」
「そんなことないわ。シャルはわたしの婚約者だもの。だから特別」
「特別?」
「ええ。特別大切な人を忘れたりなんてしないわ」
「……わかった」
不安そうにしながらも素直に頷くシャルは可愛い。
わたしは、内気で優しくてちょっと甘えん坊のシャルが大好き。
だから、学院に入学したらいっぱい頑張らないといけない。
それがこの不釣り合いな婚約に求められている理由だから。
ベルトラム子爵家はここ何代も魔力の弱い当主が続いている。
でも魔法が使えないとこの世界では色々と不便なのよね。
暖炉に火をつけるとき、炎魔法ならあっという間だもの。
それにお城や貴族の屋敷では光魔法で明りは灯されている。
これは光魔石っていう魔法石に光魔法をかければいいんだけど、魔法石は消耗品で高い。
だから光魔法での明りは、力と財力を示す一種のステータス。
もちろん子爵家だったら魔法が苦手でも魔力の強い使用人を雇えばいいだけなんだけど、そういう使用人はとっても貴重で人材不足らしい。
要するに雇用するのにもかなりのお金がかかる。
シャルから聞いた話では、光魔法を扱える執事を最近雇うようになったらしい。
それって、子爵家の財政がかなり好転したってことよね。
ベルトラム子爵家はもう何代も前――家系的に魔力が弱くなってから経済的にも困っていたそうだから。
要するに、それがわたしとシャルの不釣り合いな婚約の理由。
わたしのお父様は魔法石などの取引をする商会を経営していて、かなりのお金持ち。
しかもお父様は魔力が強くて、魔法石の新しい使い方を発見したりもしてその功績を認められて准男爵の位を授与されたのよね。
そしてわたしはどうやら魔力が強いらしく、シャルと結婚することでベルトラム子爵家に魔力の強い子供をって望まれているみたい。
子供とかってまだまだ先の話だけど、シャルとならわたしも結婚したいから楽しみ。
ベルトラム子爵家にはうちから経済援助もしてたみたいだけど、領地運営もようやく軌道に乗ったのかな。
お父様の部下の人がアドバイスしてたみたいだし。
それにしても、子爵家にとってこの婚約はいいことだらけの気がするけど、うちにとっては何があるのかしら。
「ねえ、リュシー。聞いてる?」
「え? あ、ごめんね。何だった?」
「やっぱり聞いてなかったんだ! ひどいよ、リュシー」
「ごめん、ごめん。許して、ね?」
シャルロは子爵家の嫡子でいつもみんなに大切にされてるから、ちょっと我が儘。
でもそれが可愛い。
だから、シャルロのお家のお役に立てるように、学院では勉強を頑張るんだ。
それからシャルロが学院の高等科を卒業する七年後に結婚。
そのときがとっても楽しみ!