7・ 始動
食堂に降りるとステファンがダニアンを手伝って朝食の用意を整えている。
「お早う、ステファン」
アリスローザの声にぎこちなく一拍おいて、ステファンは皿をテーブルに置きながら顔を向けた。
「お早う、すぐに朝飯の用意ができるよ」
「わたしも手伝うわ」
「いいですよ、止めてください」
ダニアンがすかさず間に入ってばさりと断る。
「手伝うのはステファンだけでいいですよ。あなたがやると手間が余計にかかります。さっさと座ってください」
朝食を済ますと、ウイリアムが食器を片そうと立ち上がる魔道師を制してステファンを見た。
「サイトスの様子を教えてくれ」
「そうだな」
ステファンは椅子に深く座りなおしてウイリアムの方へ向く。
「祭祀庁はまた魔道師庁と名前を変えたよ」
「で? どういう事なの」
名前が戻ったことがどういう事なのかアリスローザはわからず、ステファンに問いかける。
「前にレイモンドールの政務を担っていた頃の名前に戻したって事はその意思があるって事だと思う」
「前に戻るですって?」
あまりの事にアリスローザは声が裏返ってしまうがそんな事を気にする暇も無い。あれ程大変な思いをして政治から魔道師を排除することにしたというのに。
王の初心表明、初勅の内容を王自らがこうも早々と破るつもりなのか。
「それでハーコート公はもうサイトスを出たのか」
「ああ、ぼくがサイトスから出た五日後に出るはずだったからあと、十日ほどでこちらにさしかかると思う。仲間の何人かを護衛の兵士に紛れ込ませているが」
「そうか、ならおれはちょっとこれから出てくるよ」
ウイリアムは言うが早いか立ち上がった。
「どこへ?」
「おれもつては持っているんだ。州境から街道沿いに見張らせる手配をしてくる」
そこへ大型の鳥の羽ばたきが聞こえる。皆の注目が窓に集まる中、ダニアンが窓を開けるとふわりと彼の腕に飛び込んだ。
その姿は瞬時に一枚の羊皮紙に戻り、それを丁寧に広げて目を通していたダニアンが顔を上げる。
「ハーコート様の馬車は三台、真ん中の馬車にハーコート様が乗られておられるようですね。荷馬車が十台。随従している兵士が三十名ほどです。見た限りでは魔道師はいないようです。なにぶんお急ぎの事で人数を絞っているようですね。ここに宿泊の予定地と宿の名前が書いてありますよ」
「ダニアン、おまえの知り合いって誰だ?」
詳しい内容に驚いてウイリアムが尋ねる。宿泊地と宿の名前なんて隠したいものの筆頭だ。それを知っている知りあいが、ただの町中の魔導師なわけはないだろう。
「そんな事言うわけないでしょう。魔道師の口は堅いんですからね」
人が良いのか、悪いのか。仲間になったからといってこの男はすべてを仲間と分かち合おうとはさらさら思ってないようだった。
「じゃあ、ぼくはアリスローザとダニアンの三人でモンド州に行って来るよ」
「モンド州に? わたしが……」
自分の名前が出てきたのに驚いてアリスローザがステファンを見る。
「ダリウス様に会って州兵を差し向けていただこうと思ってさ。事の真相がわかったら手を貸してくださるだろう。そのためには顔を知っているアリスローザがいたほうが話しが早い。それに上手くいったらモンド州を拠点にできるかもしれないだろう」
モンド州が味方になったらそれは大変な事だ。三年前にぼろぼろになってしまった州が多い中でそれまで州府に魔道師を置いていなかったモンド州はほとんど影響を受けなかった。
今ではレイモンドール国の中で一番栄えているといっていい。首都サイトスを凌ぐとさえ言われる州になっているのだ。
隣の州の誼でアリスローザも以前は何度となくモンド州を訪れていた。それが少しでも役に立つなら勿論行かなくてはと思う。
「それにしても大胆なことを考えるわね」
アリスローザの言葉にステファンはちらりと冷たい視線を走らせた。
「ぼくはやると決めたら中途半端なことはしたくない。できるか、できないかわからないけど精一杯やる、なんて気持ちで関わるんだったら止めて欲しい」
「ステファン!」
ウイリアムの大声にステファンは黙って横を向く。
「やるわ。いえ、やらせてステファン。あなたの期待に応えてみせる」
「おい、ステファン」
ウイリアムに促されてステファンは顔を背けたままアリスローザに答えた。
「言い過ぎた。あんたがいないとモンド州に行ってもぼくだけじゃ話なんか聞いてもらえないだろうし。その点ではあんたはやっぱり必要だ」
「おいっ!」
ウイリアムはため息をついて横を向いたままの若者を見たが、これでも相当譲歩したつもりなのだろう。ぶすっとしている若い仲間をやれやれと眺めた。
「で、何であたしまで行かなきゃならないんですか」
「あんたはさっきの鳥を飛ばしてハーコート様にダリウス様あての手紙を書いてもらってくれ。メッセージを届けるくらいの術はできるんだろ? それとモンド州には魔道の本拠地があったんだ。あんたが行ったら何かわかることがあるかもしれない」
「そりゃあ、できますけどね。本当に人使いの荒い」
「じゃあ、それぞれ十日後までにはここに戻ってくる事。行ってくる」
ウイリアムはそう言うと大きく戸を開け放って出て行った。
「わたしたちも出発しなきゃね」
「その前にこれを片付けなくては」
食器を手にダニアンは立ち上がった。
それから出発までたっぷり一刻半もかかってしまった。と、いうのも旅に出るのだからとダニアンが廟の掃除をしだしたせいだ。
そのあと、飼っている鶏の世話を近所の農家に頼みに行って、そこから何とか馬を二頭貸してもらう手筈を整える。
それから弁当を作って……ということでダニアンの支度の遅さに辟易したステファンが引きずるように廟を出たのであった。
「馬に一人で乗れる?」
「自慢じゃありませんが馬には触ったことすらありません」
二人がかりで馬の上に中年の魔道師を乗せると、アリスローザがその後ろにひらりと跨った。もう一頭の馬にステファンが乗って先に進める。
「急いで行こう。走らせるぞ」
「ええ? 落ちちゃいますよ」
「大丈夫、しっかり捕まえててあげるから」
ダニアンの悲鳴と共に二頭の馬は土煙をあげて街道を駆けて行った。
それから二日後。
昼食時にハーコート公は休憩用に入った宿の部屋で寛いでいた。そこへノックの音がして声がかかる。
「宿の者がお茶を差し上げたいと参っておりますが」
外に控えている兵士の声にハーコートが応えた。
「よい、入れ」
入って来たのは若い女で慣れた手付きでお茶を入れると軽食を皿にいくつか持ってテーブルに並べながらハーコートの顔をまっすぐに見つめる。
「ハーコート様、お話があります」
ところが、うら若い女の口から出てきた声は低い男の声だった。
「おまえ――何ものだ?」
「お静かに。モンド州におられるご子息はご健勝であらせられますよ」
女の言葉にハーコートは声を落とした。
「詳しく話を聞こうか」
その後、ダニアンのメッセージを伝えた女は口を閉じる。そしてハーコートの書いた手紙を受け取ると女はお辞儀をして下がって行く。
そのまま兵士たちの間を通り抜けて階段の脇に降りると、溶けたように主がいないドレスがくたりと山になる。
その服の中から大型の鳥が顔を出す。鳥は器用に窓を足で開けると飛び立っていった。