62・ 自ら決めたこと
恐怖を感じているのは、自分が好きだと思っていた方の少年。 そしてこの蛮行を今すぐに止めさせたいと。 コーラルを殺させたくないと思っているのだ。
「止めて、クロード。コーラルの処遇は裁判で決められるわ。だから」
「いやだ」
その子どもっぽい言い草にアリスローザは驚いて立ちすくむ。
見た目は十四歳でも十七歳のはず。 なのに今の答えは何?
「せっかく海を越えてはるばるやってきたのにこれで終わりなんて嫌だ。こいつはおれが殺る」
「クロード」
「うるさい、黙ってろ」
アリスローザに冷たく言うと腰を抜かしている男に近づく。
「ごちゃごちゃ周りがうるさいからさっさと済ますよ」
「お助けを、おた……」
クロードが命乞いをするコーラルの口に躊躇いも無く剣を突きたてる。 あがががと声にならない音とびくりと大きく体を一瞬反り返して、コーラルは地面に縫いとめられた。 細かく痙している男を一瞥してクロードは剣を引き抜く。
「竜印は無くなっても上位の魔道師というものはしぶといな。ラドビアス、後を頼む」
「はい」
返事を返したラドビアスが手にした剣で心臓を一突きして留めを刺す。 それを見ることも無くクロードが左手に持っていた剣を放り投げる。
『滅』
氷の剣は蒸気を上げて消えていく。
彼は利き腕すら使っていなかった。 唖然とする群集の真ん中、クライブの所へ歩いて行く。
「クロード、助けに来てくれたんだな。やはり君はわたしの弟……」
再会の暖かい挨拶がくるとばかり思っていたクライブは冷たく自分を見上げるクロードに言葉を失ってごくりと喉を鳴らした。
二年の月日はクライブとクロード、双子である二人の外見を大きく変えていた。 似ていないのでは無い。 美しいシルバーブロンドの髪も藍色の瞳も同じなのにまるで違う。 大人の体になっているか少年のままか。 それだけでは無い、大きな違い。 それはクロードの纏う気配なのか――長く伸ばしたさらりと流れる髪。 華奢な体、どこか中性的に見えるそれは以前の彼の師と同じもの。
「二つ目の心配」
手に持ったままの剣をクロードはクライブの首にぴたりと突きつける。
「クロード、一体?」
「おまえ、魔道師の支配しない国の王になるんじゃなかったのか? おれがいなくなった途端に趣旨換えするとは感心しないな。 そんなに王が嫌ならおれに譲ってしまうか?」
「君がそう望むのなら、そうすればいい。君にはその権利はある」
顔を逸らすクライブの頬に思いがけず、クロードの拳がとんで口から血が飛び、地面に赤い染みを作った。
「ふん、放り出すというのか。だったらおれが貰ってもいいが、おれは臆病者だからな。おまえにいつ、寝首をかかれるかが心配で寝不足になる。だから、おれが王になるんならおまえには死んでもらう」
「ク、クロードまさか本気か」
「当然だ」
クロードはクライブの胸倉を掴んだままニヤリと唇の右端を吊り上げた。
「おまえのことを罪人扱いしたのを怒っているのか、クロード? だったら謝る。兄弟じゃないか。君が必要だと今でも思っている」
クライブの目に涙が光る。
「泣いてんのか――まったく。そういうところがおれを苛立たせるってわかってる? お兄様」
クロードが横を向いてぺっと唾を吐いた。
「で、おれに王位を譲るんだったよな。じゃあ遠慮なくもらってやるから、死んでくれ」
クロードが大きく剣を振りかぶる。
「もう、止めて!」
叫びながらクライブの体を庇うように身を投げ出したのはアリスローザだった。
「クロード、どうしたって言うの? あなた、王位なんて望んでいなかったはずでしょう。躊躇いも無く自分の兄を殺そうとするなんて、どうかしてるわ」
「また邪魔する気? アリスローザ。しかし、どうかしてる、っていうのは解せないなあ」
面白くないように剣を指輪に戻してクロードは手に嵌めながらクライブにかぶさるようにしながらこちらを見上げるアリスローザにため息をつく。
「王位を簡単に投げ出すような王におまえたちは忠誠を誓えるのか? 知らなかった。 誰かに頼ってばかりいるような奴はまた、同じ轍を踏むとは考えないのか。王の側に侍ろうとする者が善人ばかりとは限らないだろうに。レイモンドール国の皆さんはお人好しで困るな」
ばしっと大きな音がしてクライブは大きく目を見張る。 その音は立ち上がったアリスローザがクロードの頬を張ったものだった。
「いい加減にしてよ。あなたがどう言おうと、レイモンドールの王はクライブなのよ。あなたが出て行ってしまってから、クライブはそりゃあ真摯にがんばっていたのよ。あんなに荒れた国を立て直すのは大変だったはずだわ。簡単に放って投げ出したのは、あなたの方じゃないの!」
彼女の手形がついた頬をクロードは、痛えなあとゆっくり擦りながらクライブに向く。
「で、どうする? おれはどっちでもいいけど」
「わたしは――この国を導いていきたい。でも、やはり一人では出来ない」
クライブの言葉にアリスローザがクライブの足元にしゃがむ。
「わたしがおります。ハーコート公もいるではありませんか。陛下のためを思う者は陛下が気付いておられないだけで、まだまだおります」
「おまえはわたしについてくれると言うのか。アリスローザ、クロードでは無く、わたしに」
「今まで本当に迷っておりましたが、本人に会ってわかりました。わたしが思い続けていたのはわたしの心の中で作り上げていたクロードだったのです。わたしが一緒にいるべきなのは陛下だと思います」
そうだ、二年前にわたしたちの進む道ははっきりと分かれていたのだ。 それを認めたくなかった。 あのままのクロードだと、自分だと思っていたかっただけだ。
「ありがとう、アリスローザ」
クライブは求めていた光を見つけたように膝をつく。 そしてアリスローザを引き寄せてしっかりと抱きしめた。
「そうだ、わたしはレイモンドールの王だ。自分が決めたことだ。誰に決められたのでも無く自分が決めたこと」
誇らしかった自分。 あの戴冠式の自分を思い出して、クライブは決して投げ出したりしないと心に誓う。