52・ 広がる魔法陣
「聞きたい事、ですか?」
インダラの問いにバサラが頷く。
「クロードの行方。今、どこにいるか聞いてよ」
はい、と返事を返してインダラは丁寧にウイリアムを抱き起こす。それは、大事なものを扱っているかのように優しかった。
「ウイリアム、声を出してごらんなさい。声帯まで傷ついてないといいんですけど。喉の髪は取ってあげますからね」
首にきつく巻かれた髪をほどくとゲホゲホとせきを繰り返してウイリアムの顔色が戻ってくる。
「何をするつもりか知らないが、おれは何も言わないからな」
横に向いた顔をインダラが顎に手をかけて戻す。
「残念です。じゃあ仕方ないので術でしゃべってもらいますよ」
素早く印が組まれる。
『我に寄りて力を貸さんとせよ、捕縛、落手、剥縛、おまえの口蓋の主は私だ』
「クロード様の居場所を知っていますか、ウイリアム?」
穏やかに聞く男にウイリアムは逆らうことが出来ない。勝手に口が動くのをただ、驚いているだけだ。今まで直に魔道師と戦った事が無い――その事に気付いて愕然とした。
――おれは、コーラルを倒そうとしていたはず。なのにこれは――。
「クロード様は二年前、国を出られました。行き先などは知りません。国の宝をお持ちになったらしいですが、それが何かは知りません」
歯を食いしばる事も出来ずに口が動くのに涙が滲む。
「――らしいですよ、バサラ様」
「姉さま、ベオークにクロードはもう来ていました?」
バサラの問いにハイラは、いえとだけ返す。彼女にとってクロードなど興味の範囲外らしい。しかし、そうかとつぶやくバサラはうれしそうに綺麗な笑顔をみせた。
「クロードの事だ。ベオークに来るつもりだろう。二年前か、急がなくてはな。やっぱり早く体を引っ付けてベオークに戻ろう。せっかく来るのにおもてなしをしなくちゃ」
「では、もうよろしいですか」
「ああ」
解、と男は術を解くとウイリアムをそっと寝かせる。この体は主人の体になる、優しく扱う理由はそれだけだった。
振り上げた剣は先ほどの大振りな剣ではない。細い繊細な両刃の剣。その切っ先がウイリアムの胸に刺さる寸前、元扉だったところが大きく叩かれる。
「ウイリアム、どうした? ウイリアム?」
それは、さっきの物音に気づいたダリウスのもの。
「ダリウス様! 来てはいけません。おれは、一緒には行けなくなりました。彼女に、アリスローザに愛していると……」
――ああ、何もかもおれは中途半端だ。やはり不出来な奴だったか。愛した人またしても守る事が出来なかった。
途中で途切れた声にダリウスの手に力が篭る。
「ウイリアム? どうした? 返事を、返事をしろ!」
一体どうなっているのか、見当もつかない。
「扉を打ち破れ、早く」
ダリウスの命に従者が何人も体をぶつけるが扉はびくともしない。しかし、大きな音はするがガタリとも動かないのだ。まるで分厚い壁に体当たりしているような感触だった。
「ウイリアム、何があった?」
いくら叫んでもウイリアムからの返事はない。返される事の無い問い。そこへステファンが走ってくる。
「どうしました、ダリウス様?」
「中でウイリアムが危険な目に合っているかもしれない。だが、扉が開かないのだ」
ダリウスの言葉にステファンが階段を目指す。
「どこへ?」
「上の階へ行きます。窓側から下に降りて部屋に入ります」
そうか、とダリウスもステファンの後を追って走り出した。
「ダリウス様、危険です。わたしどもにお任せを」
ダリウスは従者の声に応えず、バルコニーに両手でぶら下がり、足を振り子のように大きく振って弾みをつけ、下のバルコニーに飛び込む。それを追うようにステファンも続く。
足を軽く捻ってしまって、小さく声を出してしまったのを後悔しながら視線を部屋に移したダリウスはあまりの光景に瞠目した。
「ウイ……リアム」
そこには、おびただしい血痕が広がっていた。
その血の海の中にある見知った男がいる。
しかし、それにはあるべき物が無い。腹から下の部位が消えていた。
「どうしました? ダリウス様。中に何が……」
後ろから覗き込んだステファンがはっと息を飲んだ。
「魔道師が来たんだな。くそっ」
ステファンの声にダリウスは初めて部屋の様子を見る余裕が出来る。そこら中、物が倒されているのはここで戦ったのか。そしてウイリアムの体の下に広がる魔方陣。
「ウイリアム、おまえどうして」
膝をついたステファンが見開いたままのウイリアムの瞼を閉じる。胸にある小さい傷は確実に心臓を貫いていた。
「苦しまなかったろうな、ウイリアム。ぼくが仇を取ってやる。魔道師を、コーラルを許さない」
外からはどうしても開かなかった扉が内側からは嘘のようにあっけなく開いた。ウイリアムの亡骸を清めて別の部屋の寝台に寝かせる。このまま置いて置くことなどできはしないだろう。
「アリスローザに伝えなくっちゃな」
ぽつりとステファンが言う。こんなに簡単に、残酷なやり方で人を殺してしまう。魔道師に、その存在に怒りを感じて振るえが止まらなかった。
その血を継いでいる自分にも、また。