51・ 夜陰、下弦、闇路
「と、いう事があったんだよ。ウィル」
バサラは、楽しい昔話を聞かせたかのように笑顔で語り終えた。
「黙れっ、 ウィルなんて呼ぶな。一体どういうつもりで導師に化けたりしたんだっ」
ウイリアムはバスターソードを取り上げると侵入者に向けて構えをとった。
「まあね、ドミニクを扇動してユリウスを捕まえて。あ、話しに出てきたカルラとは、ユリウスの事だ。あいつはわたしの妹だ。魔道師でベオーク自治国の者。イーヴァルアイとか、ユリウスとか色々偽名を使ってた。
よしんばこの国のレイモンドールの屋台骨を揺るがせたら……なんて思ってさ。ドミニクもトラシュも、あの親子は本当に夢見がちで騙されやすくて最高だったな」
――あの導師を見た時に感じた違和感の正体はこれだったのかとウイリアムは腑に落ちた。そして、ふつふつと怒りが湧き上がる。
あー楽しかったと笑う男に向けてウイリアムは剣で斬りかかる。しかし、主人を抱きかかえていた僕が片手に持った剣であっさりと弾いた。
「もう、挑発しちゃだめじゃないですか。わたしだって、さっき生き返ったばかりで力なんて出せません」
そう言いながら長椅子に主人をそうっと抱き下ろすと男は剣を二、三度大きく振ってウイリアムを見た。
「じゃ、疲れるんでさっさと済ませますよ。大丈夫、下半身には傷一つつけません」
言った時には素早く踏み込まれてウイリアムは顔の手前でやっと剣を合わせた。
思い切り剣ごと撥ね飛ばすと、以外にあっさりと後方へ飛ぶ。そこを一気に踏み込んでウイリアムは剣を突く。胸元に刺さったと思ったがそれを予測していたように、ひらりと剣をかわされた。
男は少しその場で小さく飛ぶと勢い良く走って壁を蹴り、その反動でぐるりと大きく宙を舞う。気が付いた時にはウイリアムの真後ろで背中に剣を突きつけていた。
「だから、疲れるのいやなんですって」
軽口に似合わず、本当に疲れているのだろう。荒い息をしていた。ウイリアムは勝機を確信して薄笑いを浮かべる男の膝あたりの足を思い切り後ろ蹴りした。
「っつっ」
うめき声と共にインダラは壁際まで転がって行く。やっと壁際で跳ね返されるように止まり、首を振って上半身を起こした。
そのまま剣を突きこもうか、それとも体制を立て直そうかと僅かに考えていたウイリアムの隙を男は見逃さなかった。
『夜陰、下弦、闇路を通り彼の者の行く手を阻め』
印を組みつつ、呪文を唱える。
「何、休んでるんですか? この場合、接近戦じゃないとあなたに勝ち目はありませんよ。だってわたしは魔道師なんですからね」
「な、何?」
「何をって、術ですよ。わたしは主人と違って無駄な事には興味ありませんからね。体を頂きます」
あっという間に黒い糸状の物が体中に絡み付いて、ウイリアムは身動き一つ出来なくなって倒れる。
「ハイラ様、おいでください。ここでやってしまいましょう」
男の声に応えるように長椅子に現れる人影は大きく、長椅子を一人で占領するほどだ。
「お気をつけください。バサラ様がいらっしゃるんですから」
インダラがきつい調子で言うのにその人物は笑いながら応える。
「分かってるわよ。わたしだって自分の夫になる人を潰したりしないわ」
言いながら自分の膝にバサラの体をのせた。それに、バサラは盛大に顔をしかめたがハイラの機嫌には何の影響も無い。
「ここで待っててね。バサラ」
低い音程でそう言うと、ハイラが立ち上がってバサラを椅子に寝かせる。そして床の空いている空間に魔方陣を描いていく。それは、さながら絵画のように複雑で美しい模様だった。
「インダラ、もう少しかかるわ。邪魔が入らないように結界を張りなさい」
「承知しました」
男は扉に呪符を貼る。その上から指で範字を書いていき、それは書いた後から煙を出すと黒く変色して扉は一枚の壁になった。
「終わりました。男は殺します? ハイラ様」
「そうね、暴れられても嫌だから。この魔方陣に運んだら殺しなさい。もったいないけど、上半身も無駄になるわね」
顔だけこちらに向けてハイラはがっかりしたとつぶやく。
「こんなに育ってちゃ、美味しくないもの。食べるんなら子どもじゃなくてはね。子どもの泣き声は最高の味つけだわ」
「その意見とあなたの食癖には賛同しかねます。そういえば、昔、わたしもサンテラもあなたの食用になる所だったんですよね」
「そうだったかしら? そんな昔の事、忘れなさい。もう食べたいなんて言わないわ」
ハイラに肩をすくめてみせて、インダラがウイリアムを抱えて魔方陣の真ん中に置く。
「まだ、殺してはだめだよ、インダラ」
そこへ今まで大人しくしていたバサラが声を上げた。
「また、何か企んでるんですか」
「いや、聞きたい事がある」