5・魔道師の心
今回はちょっと長いです。
「ボルチモアは前州候のおかげで悪名高いじゃない。ごたごたの最中だったから係累の一掃には手を付けられなかった。そのせいで前国王を悪く思う者たちが残っている。と、いう話をでっち上げ易いってことだわ。ここでレジスタンスの残党あたりが前王兄である、ハーコート公様を逆恨みでもしてお命を狙ったことにすればみんな納得だわ」
「そ、そんな」
ダニアンはアリスローザが澄まして言う話に顔色を変えて顔から目を離そうと視線をずらした。
しかしそこで、彼女の胸にあるペンダントに気付いて思わず手に取ろうとしたが、アリスローザにその手を払われる。
「アリスローザ様、それは竜印のペンダントでは?」
「そうだけど、何?」
「なぜ、あなたが持っていらっしゃるんです? わたしが頂いておりました物は主がご逝去された時に崩れてしまったのですよ。残っている物があるなんて」
物欲とは無縁のはずの魔道師の瞳に、せつないくらいの光を見つけてしまってアリスローザは思わず身を引いた。
「これはわたしがクロードから預かった物だわ。そんなに大事な物なの?」
「勿論でございますよ。ペンダントには主自らが呪を封印なさっておられたのですよ。我ら魔道師にとってイーヴァルアイ様は神にも等しいお方だったのです。あたしはそれなのに……」
絶望の表情を浮かべてダニアンはがっくりとうな垂れた。あのモンド州の公子の一人が我らが主だったとは。
ゴートの廟にいる魔道師やサイトスの魔道師庁の魔道師、それも上位の者にしか姿を見せないはずの主にあたしは会っていたのに全く気付いていなかったのだ。
「そしてあたしはお助けすることもできなかった」
みすみすこのボルチモア州城内で誘拐されることになってしまった。女性と見紛うほどの美しい方だった。そしてあと一人は『鍵』と契約された方だった。
今でもダニアンの中では王とは『鍵』と契約を交わされた者、だ。つまり、現王のクライブではなくクロードこそが王の資格を持っている。自分はそれと知らず、貴い二人の方に出会っておきながら、知らなかったとはいえ、その二人を亡き者にしようと企む側についていたのだ。
その思いは結界が消えた今も絶えず体の中を焼いている。後悔という名の業火が休むことなく今もダニアンの身を焼いている。
「あたしは最低の魔道師ですよ」
つぶやくダニアンの肩をアリスローザがぽんぽんと軽快に叩く。
「大丈夫、わたしに協力すればあなたの後悔も消えるわ」
「え?」
「わたしがやろうとしていることはきっとクロードも望むこと、だからよ」
強引に話を持っていくアリスローザにはっきりと不信を滲ました表情をダニアンは見せた。
「わけが分かりませんが?」
「このペンダント、欲しいでしょ?」
「い、頂けるんですか」
再びペンダントに手を伸ばしたダニアンの手をそのままアリスローザががしりと掴む。
「クロードに聞かないとね。でも口添えはしてあげるわよ。一緒に来てくれたらね」
「い、一緒ですって?」
ダニアンの青い顔を見てアリスローザはにこりと笑った。
ああ、この娘に関わるとロクな事にならなかったんだった。ダニアンは大きく息を吐いて顔を逸らせる。
「話はついたのか」
ウイリアムの問いかけにいいえと言う声とええと言う声が重なった。はるかに是と言う声に勢いがあり、この世の終わりみたいに項垂れる中年の魔導師の姿にウイリアムは堪えきれずに大声で笑う。
「……仕方ありません、主の名前を出されちゃあ断るいわれがないのですから」
ダニアンはため息まじりに言うと修行中の魔道師たちを集めるとさらさらと書簡に何かを書き付けた。
「おまえたち、悪いがこの書簡を持って隣のリュール村の廟に行っておくれ」
「廟主様、お一人になりますよ」
「それはいいんだ。だが、お前達を巻き込むことは出来ない。この書簡にはお前達をしばらく預かってもらえるように書いておいたからね。少しの辛抱だ、事が済んだらすぐに迎えに行くよ」
歳若い魔道師たちを送り出してダニアンは胸元から呪符を取り出すと廟の敷地の塀へと歩いていく。塀の東西南北へその呪符を貼ると印を組んで呪を唱える。 呪符は姿を消して何事も無かったようにダニアンは廟内へ戻って来た。
「何をしたの?」
アリスローザの問いにダニアンは素っ気無く答える。
「軽い結界を張りました。不信な者が来たらあたしに知らせるようにしています。あなたが来る前に講じておれば良かったですがね。もう一人のお仲間がいらしたら早速計画を立てられるようにサイトスの知り合いに文を飛ばします」
引き出しから丁寧に折りたたんだ羊皮紙を広げるとダニアンは印を組んで古代レーン文字の呪を唱える。
『アンズス、アンスル、オス』
ぶつぶつ呟きながら印を組んで指で羊皮紙の上をなぞっていくと尖った物で引っかいたような文字がそこに浮かんだ。
それを畳むとダニアンは印を組んでさっきとは違う文字を空に描いた。羊皮紙は途端に姿を変えて大型の猛禽類の型をとると、机の上から力強くはばたいて空へ飛び出していった。
「こりゃあたまげた」
ウイリアムが感嘆の声を上げるのにダニアンは構うことも無く机の引き出しをばたりと閉める。
「何を呆けた顔をしてるんですか。あたしだって魔道師のはしくれなんですからね、術くらい使えます」
人の良い男に見えるこの魔道師もやはり裏がある――魔道師の一見おとなしそうな外見に騙されると痛い目にあうのだ。
高位の魔道師になればなるほど内面は外からは窺いしれない。州宰代理だったこの男も間違いなく魔道師、なのだと改めてアリスローザは気を引き締める。
アリスローザはしかし、一方ダニアンが仲間になってくれたことに大きく安堵のため息をつく。
レイモンドール国の魔道師の祖であるイーヴァルアイが三年前に死んだ事により、国を覆っていた結界は消えた。そして彼の僕である竜印を授けられていた上位の魔道師たち二百人あまりが一瞬で消えたのだ。
この国を動かしていた上位の魔道師たちが居なくなった事でこの国は今、混乱の極みにある。その上位の魔道師たちに仕えていたのがダニアンら次位の魔道師だった。竜印が無い為、主と同じように長い寿命となっていたわけでは無いがそれなりの術を使う上級の魔道師である。
「さっきのは便利だな。おれにも貸してくれないか」
「おいそれと貸すものではありませんし、あなたの汚い手で触ってほしくもありません。さっさと湯でも使ってきれいにしないと牛に変えますよ」
ダニアンの言葉に慌ててウイリアムは浴室に姿を消す。
「ダニアン、あなたそんな事ができるの?」
「出来るわけないでしょう」
アリスローザに不機嫌そうに応える魔道師はそのまま立ち上がって歩いていく。
「どこに行くの?」
「晩はとうもろこし粉のパンにかぼちゃのシチューにしますんで納屋にとうもろこしの粉を取りにまいります」
「パンね、わたしも手伝うわ」
「いいえ、結構です」
アリスローザの申し出をばさりと断ってダニアンはそそくさと室を出て行く。
もう、自分のペースを乱されるなんてダニアンは我慢がならない。まったくこれだから、身分の高い者と付き合うのは嫌なのだ。何のかんのと言って、最後は自分の思うとおりに人が動くと思い込んでいるのだから。
酷い目にあったと言っている本音は今いる、小さな廟主として落ち着いてほっとしていたのだ。
ボルチモア州候や、気の強い州宰に仕えていたときは、本当に神経をすり減らす毎日だったのだから。早く事が収まってあたしを放っておいて欲しいもんだ。そうダニアンは今日何度目かのため息をついて、とうもろこしの入っている麻袋の中から器にすくおうとした手を止めた。
「これごと運んだほうがいいかもしれない。どれだけ食べることやら……」
ぶつぶつ言いながら麻袋を引きずっているダニアンは、すっかり自分でも気付かぬうちにまんまと賄い婦気分になっていた。