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47・ ハンゲル山

 足を進めるたび、グシュグシュ音がして水が染み出してくる。

 歩いていた男は後ろから重い足音を立てて追いてくる、大柄な人影をややうんざりした様子で待った。



 レイモンドール国の北部のモンド州。その州の半分を占める広大な山脈、ゴート山脈。

 その最奥の国一番の標高を持つ山、ハンゲル山。

 三年前まで、ここは首都サイトスと同じくらい、いや、それ以上にこの国にとって重要な場所だった。

 レイモンドール国を強力な結界によって封じていた魔道師、イーヴァルアイ。彼によってこの国は五百年もの長きに渡り、他の国とは隔絶されていた。

 その本山がここハンゲル山の廟だったわけだ。

 今は、イーヴァルアイの死後、廃墟になっている。



「ここなの? 疲れちゃったわよ。汚い所ね」

 酷く低くて太い声が以外にも女言葉で不平を口にする。

「申し訳ありませんね。少しお待ちください」

 全然悪いとは思っていないだろう調子の男は、そう言うと印を組んだ。

『変化! 変質! 変転せよ! 石岩、遡及し水をたたえよ!』

 呪文の後に変化が起こる。

 床の石板は崩れ、中に落ちていき、大きく開いた穴の中には厚く氷が張っていたが、それも大きな音とともに割れて細かい欠片になる。

 男は後ろに立つ人影に振り向かず、心配げに視線を前に向けたままだ。

「お早くお願いします。ハイラ様」

「ふん、偉そうな口を利くんじゃないわよ。誰がおまえをくっつけたと思ってるんだい? おまえは黙って見ておいで。わたしが見つけてやらなきゃあおまえは、あのまま仮死の術で生殺しだったんだからね」

 ぴしゃりと男を黙らすと大柄なハイラと呼ばれた者は、穴のまわりに魔方陣を描いて印を組む。

『我の思いし統合の祈願、腐朽の者、復円の者、不死の者、ここに現し給え』

 呪文を言いながら、腕をまくりあげて氷の中に丸太のような手を差し入れる。 二、三度探すように手を回した後にぐいっと何かを掴んで、思い切り氷の欠片を飛び散らせながらその探し物を引き上げた。

「ああ、濡れちゃったわよ」

 引き上げた物を近くに降ろすとハイラは、自分のドレスを見て悔しそうに言った。

「こういう西域風の服を着てみたいと思ってたのに。インダラ、新しいのを用意しなさい」

「分かっております。今はそれよりバサラ様のお体の事が心配です」

「そうね、体を離さなきゃ」

 寝かされた男は意識が無いのか、青い体をびくりとも動かさない。

 それを見ながらインダラと呼ばれている男は、自分の腰から大振りの剣を引き抜く。

 卵形の顔につり上がった一重の黒曜石の瞳。ややのっぺりとした印象の顔はここら辺の国の者ではない。動くたびにゆれているのは黒の絹糸のような頭の頂点近くで結っている長い髪だ。口角の下がった口は今は真一文字に引き結ばれている。

 インダラが太いバスターソードを振りかぶる。そして躊躇(ためら)いなく振り下ろされた剣は寝かされた男の腹部を真横に切断した。直後に切り離された下半身の様子が変わる。

 斬り離された下半身が砂のように崩れていくのを剣を持った男が見送って、はあと安堵のため息をつく。

「ハイラ様」

「わかってるわよ」

 ハイラと呼ばれている者がインダラにうるさそうに手を振る。確かに着ている物は女物だ。しかし、普通の男よりも丈はあり、並の男より、厚い筋肉に覆われていそうな体は分厚い。顔つきもごつごつした印象でまるで何かの余興で屈強な兵士が女装しているかのようだ。

 だが女、であるらしい。

 あらかじめ描いていた魔方陣に、気がついたかのように流れ出した血まみれの上半身だけの男を運んで、女は印を組んで長い呪文を唱える。それは半刻ほども続いた。やがて、疲れた、の大声と共に唐突に呪文は止む。

「終わりましたか」

「ええ。でもなるべく早く体を準備してひっつけないとね」

 ハイラの言った後を引き取るように、寝かされていた男が身じろぐ。

 う、ううんと声を出した男にインダラと呼ばれた男が走りよって抱き上げた。

 インダラの腕の中で薄目を開けた男はにっこりと笑った。

「久しぶりだな」

 笑った男の美しさに側に立つハイラが息を飲む。

 亜麻色の流れるような髪が縁取る細面の顔。完璧な曲線を描く柳眉の下、長い睫毛に隠れたようにある、色素の薄い水色の瞳。細く通った鼻筋。 薄いが滑らかな花のような唇。

 どれもが女性を形容するような物なのに彼はしっかりと男の顔をしていた。

 自分の主人の顔に寸の間、見惚れていた事にインダラは主と同じように口元に笑みを浮かべる。

「バサラ様、お気づきになられましたか。お会いするのは、三年ぶりですよ。バサラ様に仮死の呪符を付けて頂いていたおかげで、こうしてお会いする事ができました」

「……インダラ? そうか、頭がひっついたようで良かったな」

 晴れやかに笑うその顔は、自分の体が半分無い事など気付いていないかのようだ。しかしその笑顔も、インダラに抱かれている自分を見下ろしている女の姿に気づくと歪んだ。そして横を向いて小さく毒づく。

「何でハイラが来るんだ? くそっ」

 しかし、仕方ないと引きつった笑みを浮かべて女の方を向く。

「ハイラ姉さま、助けていただいてありがとうございます」

「バサラ、あなたが死ぬのはわたしも嫌だもの。わたしは綺麗な物が大好きなんだから。久しぶりに見たけど、あなたはやっぱり綺麗な男ね。いいわよ、この貸しはあなたの体が元に戻ったら返してもらうから」

 唇を舐めながら、ハイラは睨んでいるとしか思えない流し目をバサラに寄こした。

「今度こそ、あなたの寝所に呼びなさいよ、バサラ」

 一瞬の沈黙の後、バサラは観念したようにうなずく。

「……わかりました。じゃあさっそく行動をおこしましょう。貴方の僕に乗ってサイトスへ行きましょうか、姉さま」

「あら、このままベオークに帰らないの?」

「ええ、姉さま好みの体を捜しに行きましょう」

 バサラの返事に気を良くしてハイラは自分の僕を呼ぶと、体に触れて呪文を唱える。

『変成、変転、変容、我の命により辺幅、変化せよ』

 僕の体はかさかさと皮膚が捲くれ上がり、それは無数の鱗になる。体は見る間に長くなり、それに耐え切れなくなったのか手をついて膝をつく体勢になった後、尻尾が伸びていく。口は大きく裂けて前に長く突き出ていき、そこには鋭い牙が生えていた。

 それにバサラを抱えたインダラとハイラが跨る。

「サイトスへ行け」

 最早人では無いおおきな咆哮で、一頭の龍が命に応えた。それは、今は廃屋になっていた古い大きな廟の壁を破ると、空に舞い上がってサイトスに向けて飛び去ってく。


 三年前、クロードが倒したはずのイーヴァルアイの兄、バサラ。彼はやはり生きていた。



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