45・ 企み
ダリウスは長い時間馬車に揺られて疲れたのか、うたた寝をしている父親にそっと上着をかけると起こさないように部屋を出た。廊下を歩いていると自分が入ろうとしていた部屋から誰か出て来る。見るとステファンだった。
声をかけようとしたが、彼があまりに深刻な表情をその顔に浮かべていたため、そのまますれ違った。彼はそれさえ、気づかなかったらしい。
「ダニアン、入っていいか」
応えの代わりに戸が開いて中から中年の魔道師が顔を出した。気の抜けるような笑顔にダリウスはさっきのステファンの事を聞きそびれてしまう。
「呪文の練習をと思ったんだが」
「ええ、よろしいですよ。まったく術を行うのがダリウス様でようございました。ウイリアムなんかじゃとても出来そうにありませんからね」
「そんな事もないだろう」
「あの方は真面目にやろうとは思いませんよ。呪文は適当なんて通用しません。一言一句間違えてはならないんですからね」
魔道師の言葉にダリウスも身が引き締まる。
その様子に魔道師は笑って椅子を勧めた。
「そんなに緊張なさる必要はありません。この前でほとんど出来ていらしたんですから」
何回かの呪文と印を組む練習のあと。
「じゃあ、失礼する」
立ち上がりかけたダリウスに魔道師は顔の笑みを顔に貼り付けたまま問う。
「ダリウス様は王がコーラル様では本当にだめだとお思いですか」
「ダニアン? 何を言っている。おまえ達は何のために危険を侵してモンド州に来たんだ? わたしを説得しに来たのでは無かったか」
「アリスローザ様やステファンはそうでしょうが。わたしは、ハーコート様をお助けする事を申し上げに行っただけのつもりです」
いけしゃあしゃあと言う魔道師にダリウスの顔が曇る。
「あなた様は個人の感情で動く事は出来ないと言いたかっただけです。他の方と立場が違うのは分かっていらっしゃると思いますが」
「だから?」
「コーラル様はクライブ様に比べて政務に精通していると言っているんですよ。今までの因縁うんぬんはさておき、彼が還俗して王に即位する事がそんなにこの国にとって悪い事かどうかという事をお考えいただきたいのです」
あまりの正論にダリウスは考え込む。
この国においては王座の略奪など今まであった試しはないが、他の国ではおうおうに起こっている事だ。しかし、それで王が変わってその後、その王が立派に国を導いていく事がある。どういう理由で王になったかより、その王の施政のあり方のほうが問われるのも事実だ。
所詮、王の資質とはどう国を動かしていったのかという後々の評価によるものなのだ。
しかし。
「クライブ様が今どういう状態なのかを知る必要がある。いいか、我々は理に適った王を選ぶ責任があるのだ」
ダリウスにまったくですとダニアンは頷いた。
「勿論です。だから良く考えてと言っております。サイトスへ向かう中で、即位式に向かう最中で、お考えください。そして、周りに惑わされないご自分のお考えで決断をお願いいたしますよ」
穏やかな顔を見せる魔道師の言葉は顔ほどには甘くなかった。
一行がサイトスへ近づくほど、顔を合わすとぎくしゃくとするのはなぜなのだろう。アリスローザは顔を下に向けているステファンとくだらない軽口を言っているものの気持ちがここに無い様子のウイリアムに首を傾げる。
ダリウスにしてもいつしか寡黙になっている。
いつからなのか、それとも初めからこうだったのか。
唯一変わらないのは魔道師の男だけ。
「ダニアン、ちょっと話があるんだけど」
休憩に寄った宿での昼食後、日よけの下、大きく開かれたバルコニーに置いた長椅子に腰掛けている中年の男にアリスローザが話しかける。
「話? ですか」
どうぞ、と男は長椅子の端へと寄った。
「最近ウイリアムや、ステファン。おまけにダリウス様まで様子が変だわ。何か知っている?」
「さて、あたしにはどこが変わったか分かりませんが」
不思議そうに聞く魔道師にアリスローザは息を吐く。
「他人行儀だし、いつも一歩引いたようにお互いを牽制しているわ」
「そう見えるのはあなたが他の方にそうしているからでは?」
「わたしが?」
困ったように聞くアリスローザに魔道師はあっさりと言う。
「彼らがあなたと同じように思っているとは考えておられないでしょう? 分かっておられますよね、アリスローザ様」
それは前から思っていた事だ。
自分と同じような思いで誰もがサイトスへ向かっているなどと。そんな子どもじみた事を思っていたわけではない。ないが、モンド州にいるときはもっとお互いがつながっている、そう感じていたのに。
「人はお偉い理想を掲げていたとしても自分の思い込み以上の事から外れることなんて出来はしませんよ。あなたが見てるあたしだって違っているかもしれない。
だからと言ってあなたがおかしいのでも何でもない。人の内面なんて理解しようとしたってしようがない。したと思ってもそれは勝手に自分のいいように思いこんでいるだけですよ」
優しそうに話す内容の何と救いの無いことか。魔道師とはこういうものなのか。
食い入るように見返すと、魔道師はにやりと口の端を上げた。
――そこでアリスローザは確信する。彼らは皆ダニアンの洗礼を受けたのだ。なんて男というものは簡単に洗脳されるのか。
「ダニアン、何を企んでるのか知らないけど。今度そんな事を言ったら酷いわよ」
アリスローザの言葉に一瞬ぽかんとした魔道師は今度はくくっと笑う。
「覚えておきましょう。アリスローザ様」
爽やかな風が小さな竜巻を起こしてバルコニーに落ちていた落ち葉を巻き込んで高く飛ばす。
「あたしが言ったことも後で正しいと分かりますよ」
ひらりと落ちてきた葉を指で掴むとダニアンは粉々に握りつぶした。枯れ葉のように。
口の端に笑みの名残を残したまま、ダニアンは立ち上がって立ち去って行く。アリスローザは取り残されてしばらく椅子に座り込んでいた。