43・ 生きるあて
そのあまりの甘さにアリスローザは抗うことも出来ない。
やっと離れたウイリアムは悪かったと言って、手の中からアリスローザを開放した。
「おれの思いは伝えたが、おれの事を思いやってどうこうとか考えるなよ。おまえはおまえの気持ちに正直になってくれればいい」
「わたしは」
自分はクロードを好きなのだ。いや、そうだと今まで何の疑問も持たなかった。でも、本当にそうなのか。本当に嫌ならさっきの口付けがあんなに甘かったのはなぜなのか。
「ごめんなさい。分からないわ」
「すぐに返事はいらない。あっさり振られるのも悲しいからな。事が収まるまで返事は要らないから」
いつもの笑顔になってじゃあなと踵を返す男の後姿にアリスローザは何も言えない。
今すぐクロードに会いたい。会って確かめたかった。自分の気持ちを。淡い恋心を失ってから練り上げただけなのか。自問自答はくるくると同じ場所を回っていた。
「どう思う?」
「どうって、あたしに男女の機微を分かれっていうほうが無理でしょう?」
「まあ、そうか。しかしあんなところでいちゃつかなくてもいいよなあ」
「それは、部屋から出て見ているあたし達の言うことじゃないですがね」
ステファンとダニアンはお互いに顔を見合わせて笑った。
大型の豪華な馬車列が州城の敷地を出ていく。
それはこの国を正しい道へ導くものか。
それとも新たなる混乱をひきおこすものか。
「真に民のための国の礎となる戦いだと信じるわ」
ダリウスの横に座るアリスローザの呟きに車内の誰もがうなずく。そうでなければ、やる意味が無い。
大勢の従者や支度をして出かけるという事は、手間もかかる上に一行が一日に進む距離も少人数で行くより倍近くかかってしまう。
逸る気持ちに反比例して正規の州公の馬車列は思いのほか、その道程をゆっくりとサイトスへ向かっていた。
馬車の中の話はいつしか政治の話になっている。税金の話、主要道路の整備について。正しい外交のあり方とは。
ダリウスと対等に渡り合うのはステファン。それを食い入るように見ながら質問をする、アリスローザ。それに答えるハーコート。
さながらそこは擬似政庁のようだ。
そこから逃れて御者を追い出し、御者台に上がっているのは、中年の魔道師と大柄な男だ。
「おい、いつまであいつらはあんな腹の足しにもならん事を続けるつもりだ?」
「そんな事、あたしが知ってるわけないですよ。政治なんてあたしは関わりあうのは、もうまっぴらですから」
そうか、とウイリアムは隣の魔道師を見る。この毒にもならないような容姿の男は昔、ボルチモア州で州政の一旦をになっていたのだ。そこで自分を省みる。
――おれは果たしてこの騒ぎが収まった後、何をしたらいいのだろう。
自分に何ができるのかと。今まで魔道師を倒すことが目標だった。つまりそれ以外に生きる目標が無い。その事に最近気付かされて少しづつ、ウイリアムは焦りを感じるようになってきていた。
自分の存在価値は何だ。
「そんな事、生きてりゃあ見つかりますよ。今から心配したって仕方ありません」
「おい、何でおれの考えていた事がわかったんだ?」
気味悪そうに言う男に魔道師は素っ気無く言う。
「自分の胸に秘めていたいんなら口に出さなきゃいいんですよ」
何だ……口に出していたのか。
長いため息をつくウイリアムに魔道師は前を向いたまま低くつぶやく。
「ステファンが裏切ったらどうします?」
「裏切る?」
ばかなとダニアンを見ると彼もこちらを見ている。そこにはふざけた様子は微塵も無い。
「王には後継者が必要です。彼がもし、自分に子どもがいると知っていたなら」
ダニアンは乾いたくちびるを舐めて再び口を開く。
「捜すでしょうね。そして、案外自分の近くにいると知ったら」
「ステファンは家族を殺されたと。自分は復讐すると言っているんだ。そんなばかな」
「頭で思っているのと、実際会って話すのとは違いますよ。人の情なんて」
魔道師の言葉にうっと詰まってウイリアムは何も言えない。そうだろうか。もし、コーラルが、許してくれと一緒に来てくれとステファンに言ったらどうなる?
「親に会いたいとかおまえは思った事あるか」
ウイリアムは確認するように聞く。
「あたしだって人ですよ。会いたいに決まっているじゃないですか。親と別れたのは五歳の時で、あたしが廟に行く前に服を買うために貰った支度金を父親に使い込まれちゃったんですよ」
はあと言うため息が漏れる。
「おかげで廟に行く時あたしは寒い中上着の一つも着て無かったんですよ。これまでの利子を含めて請求したいもんです」
「ええ?」
真面目に聞いていた自分がばからしくなるダニアンの親に会いたい理由。本当の事なのか、違うのか。
「会いたい理由なんか人それぞれでしょう。それでも会って相手の情を見せられたらどうなるか、分からないと言っているんです。今まで孤独だ、何だと言っている者のほうが案外弱いもの、ですよ」
「そうかな」
大抵そうです、とばっさり切られてウイリアムは面白くなさそうに横を向いた。