41・ 決別
――わたしに好意があるとでも? それとも何かほかの理由があるのか。
「わたしにもし、万が一の事があったとしても君は心配しなくてもいい。君の身分は保証されるし、そう望むならサイトスに帰っても……」
「違うわ、違うの」
ダリウスの言葉は強いマーガレットの声に遮られる。くやしそうに両手の拳を握り締めて彼女はダリウスを見上げた。
「わたくしはあなたの身を案じているのよ、ダリウス。わたくしを見て。あなたはいつもわたくしなんか見てもくれない。でもわたくしはあなたしか見てないのよ」
婚礼の日から一度だってダリウスは自分の事なんかレイモンドール国の姫としか見てくれなかった。愛の無い政略結婚だから受け入れた。それはそうだろう。自分だってそうだ。だけど、今は見かけの男らしい外見だけじゃなく真摯に政に取り組む姿に惹かれている
自分はダリウスが好きなのだ。
結婚の話ならそれこそ星の数ほどあった。宮廷に顔を出す貴族の男なんて自分が声をかけるだけで顔を赤くして賛辞の言葉を返す。それが当然。自分に夢中になっている誰かと仕方無く結婚してやると思っていたのに。
それなのにダリウスは結婚してから今まで一度だって自分をレイモンドールの姫という表紙でしか見ていない。
どうにかして振り向かせたいと思うのに、どうやればいいのか分からなくて。我侭だと気付きながらも皆を引っ掻き回していた。いつか止めてくれるかと願って。
理由を聞いて欲しかったのだ。
でも、二人の溝はどんどん深く広がってしまった。そこに至ってやっとマーガレットは気づいたのだ。待っているだけではだめなのだと。言って欲しいことは言わなければならない。
姫の矜持など今は要らない。
「わたくしはあなたを愛しているのよ」
マーガレットの叫ぶような告白にダリウスは初めて彼女を見た、気がした。
「ダリウス、わたくしを一緒に連れて行って」
思わず、彼女を抱きかかえたダリウスはがくりと自分が膝をついてしまうのではないかと思った。
それは、彼女の重さのせいでは無い。矜持の高い妃にここまで言わせてしまった自分のふがいなさにだ。
抱きしめた彼女は驚くほど細くて折れそうだった。そうだ、なぜ自分は彼女を見ていなかったのか。仕方ないと。決められた事だからと本人を見極めることをしていなかった。
話し合うこともせず彼女を追い詰めたのは自分だったのかもしれない。こう、なってしまったのは彼女の責任では無い。
「済まなかった、マーガレット」
彼女の思いに答えられるかどうか。それは今はわからない。しかし、自分は彼女を、故郷を離れ一人異郷の地に来てくれた彼女自身をしっかり見なくてはならない。
すべてはそれからだ。州公としてこの地を守る良き相棒になるかならないか。それはお互いの気持ち次第なのだ。ダリウスは、マーガレットの気が落ち着くまで彼女を抱いたままその場に留まっていた。
「少し、忘れないうちにやっておくことがある」
彼女に言い残すとダリウスは部屋を出た。
「二階東の端の部屋の絵を外しておいてくれ」
そう従者に言葉をかける。
「はい、それでよろしいのですか。気に入っておられた絵ですよね。どちらかに掛け替えられますか」
「いや、倉庫にでも仕舞ってくれ」
「それでよろしいのですか」
「ああ」
ダリウスは東のほうへ、自分の心の弱さと思いに決別の視線を向けた。マーガレットを妻にすると受け入れたのは自分の意志だ。人のせいにしていい話ではない。彼女が好意を示してくれている。それに応えなくてどうするのか。
政略結婚が上手くいかないばかりではないことを二人で証明する。憑き物が落ちたようにダリウスは晴れ晴れとした気持になった。
慌ただしくサイトスに向かう準備が始まる。夏至の時を過ぎて今は気候が過ごし易いが州候を集めて即位、戴冠式を行うにはそれ相当の準備期間が要る。
州候も一番遠いダートベージ州からサイトスへ向かうには一ヶ月ほどかかる。州候が自分の州を留守にするのだから、おいそれと出ては行かれない。普通なら厳しい冬を越えた後春の月に設定されようという大事な行事だ。
だが、今回は直ちにサイトスへの登城を記されていた。冬が来る前に即位戴冠式を行う事に決まったのだ。
ダリウスは夫妻でサイトスに赴く事になっている。その妻役はアリスローザが務める。
付いて行く侍従長にハーコート。
他、追従する者に紛れていく手筈だ。サイトスに入った後、二手に分かれることになる。
「しかし、いきなりサイトスに入ってから公妃がいなくなっては不信を招くのではないか? わたしの妃はレイモンドールの皇女なんだぞ」
ダリウスの問いにウイリアムはダニアンを見る。
「おい、出番だ」
「何ですか、あなたがたは。あたしは何でも屋じゃありませんよ」
「しかし、わたしの時のように身代わりを出してくれるのだろう?」
「……ハーコート様」
ハーコートに言われてしまえばダニアンは反論できようはずもない。
「わかっております。はい、やらせていただきます」
心底嫌そうに魔道師は大げさに礼を取った。