4・一人目の男
廟にある食材といえば、野菜などしかない。
魔道師は戒律で動物性のものは鳥の卵や、牛の乳、それで作られる油類くらいしか食べられない。その上、アリスローザは料理なんてしたことなど無い。そういう事で結局ダニアンがさっきから厨房に篭っている。
「マッシュポテトのパイと豆のスープくらいしか用意できませんよ」
「それにしてもコーラルが宰相に返り咲いたというのに不景気な感じね」
マッシュポテトをかき回しているダニアンの背後から器の中に指を突っ込みながらアリスローザが言った言葉にダニアンの口が歪む。
「サイトスにいる魔道師たちと他の廟にいる魔道師たちの縁は切れておりますよ、今は州庫のほうからの補助金しか収入はないのですから」
「そうなの?」
「モンド州、ゴートの廟長だったルーク様がいらした頃は、魔道師庁も何も統制がとれておりましたがね。今はゴート山脈の廟はうち捨てられているようですよ。竜道が使えなくては不便極まりますからね、あの場所は」
言いながらも手は滑らかに動いていく。
「かまどにパイ生地を入れますからそこをどいてください。それよりこれからどうするんです? どれほど人間が集まったとしてもコーラル様に敵うわけはございませんよ」
「これを鍋に入れればいいの? ダニアン」
危ない手つきで、鍋に戻し汁ごと豆を入れようとするアリスローザからダニアンが奪うように鍋を取り上げた。
「豆だけを入れてくださいよ。いや、もうあたしがやりますから本当に。お金が無いと言ったじゃないですか。豆の一つたりとも無駄にしないでください」
「それなら最初に言ってくれればそうするわよ。だけどねえ、廟が互いに連絡が無いのなら何とかなりそうじゃない。それに、あなたたちだって今の状況には納得していないんじゃないの。なら力を貸さなくちゃ」
アリスローザが勢い良くスープをかき混ぜたため、中身が刎ねて豆がいくつか飛び出した。ダニアンはああ、このままあたしはまた、巻き込まれてしまうのかと大きなため息をつきながらこぼれたスープを拭く。
昔から愚直にコツコツと仕事をこなし、地味に暮らしているのにどうして自分は災難に目をつけられてしまうのか。浮かんだその思いをダニアンはいやいやと打ち消した。考えても仕方ない。こうなったらこの『災難』が一刻も早く出て行って貰えるようにしよう。まずは食事か。
大急ぎでやっと出来た料理を運び込んだ途端にくだんの男は物も言わずに食べ続けて、あっという間に鍋一杯に作ったスープも大皿に盛ったパイも平らげてしまった。
その男の食いっぷりを目にし、ダニアンは新たな心配に襲われる。早く約束の男と合流させないと廟の金庫が空になってしまう。これは廟の存続に関わると冷や汗をかいた。
「サイトスからのどこで仕掛けてくる思う?」
満足そうにゲップとともにウイリアムと呼ばれた男が緑色の目を細めてアリスローザを見る。
それに応えて彼女は「そうね」と腕を組んでウイリアムを見返す。
「わたしはここ、ボルチモアだと思うのよね」
「おまえもそう思うか」
ウイリアムが我が意を得たりとにこりと笑った。
「もう争いごとはこりごりですよ、魔道師は荒事とは無縁の者ですからね」
ダニアンの言葉にウイリアムが呆れたような顔になる。
「よく言うぜ。おまえら魔道師ときたら自分の手を汚さないくせに頭ん中物騒なことばかり企んでやがるじゃないか」
「その魔道師を頼って来て、面倒かけているのはどこの誰ですか。どうしてボルチモアでハーコート公様のお命がねらわれると思うんです?」
空いた皿を片付けながらダニアンが心配げに顔を向ける。どの魔道師が腹黒くともこの男だけはそれとは無縁に見える。
しかし、魔道師相手に戦うためには魔道師の内情を知っているものがどうしても必要だ。
それにこの情けない顔をこちらに向けている男は、元ボルチモア州の州宰代理だった男だ。
本来ならこんな小さな廟主で収まっているはずの魔道師ではない。どうしても仲間に引き入れたい。アリスローザはどうやってこの哀れな魔道師を丸め込もうかと思いながらウイリアムの横に座った。