39・ 口付け
突貫工事で生活できるようにしたせいか、下の豪華な部屋にくらべて二階のアリスローザたちの部屋は間に合わせの家具が置かれて簡素な造りだった。そんな事を思っているのは、生まれた時から贅沢な生活をしてきた自分くらいだろうか。寄木で作られた書机の前でアリスローザはふと考える。
クライブ様を助けて自分はどうするのだろう? 何をしたいのか。
良い国にする――言うのは簡単だが実際、どうすればいいのかなんて自分には分からない。
市井の人々にとって国の統治者などはっきり言ってしまえば誰でもいいのだ。今の生活を良くしてくれるなら、魔道師だろうが何だろうが関係ない。
上の者の権力争いなど自分たちの生活に関係ないなら興味も持たないだろう。
税金を安くする。
福祉を充実する。
兵役の年数を少なくする等々、考えていた事はどれも口当りはいいが。
その原資はどうするのか。
避けられない戦争が起こったら、兵士の補充はどうするのか。
今までの魔道師庁は単に私服を肥やしていたのでは無かった。この国で生きてる者に対しては案外良い統治者だった。
結界により守られていたこの国に大量の兵は必要無く、国土はこの五百年戦火にまみれる事は皆無。しかも安定した長期的な政策によって大きな事業は途絶える事無く遂行されていた。
私達はそれに比べてこの国の住民に何をしてあげられるというのか。してあげる、と思うことすら不遜なことか。
魔道師から権を奪い返す、これは一体誰のためだったのだろう。上に立つものの驕り、高ぶり。
国の中がバラバラになった今、わたし達がやらなくてはならないことは一体何なのか――国民の益を守り、国を守る。
コーラルにそれが出来るのか。コーラルから王位を奪い、クライブ様に渡す。そしてその後は……。
「わたし達は間違ってない、わよね」
「そうだな」
一人事を言ったつもりなのに思いもかけず、返事が返ってきてびくりと戸の方へ顔をむける。そこには大柄な優しい笑顔を向ける男がいた。
「ウイリアム、やめてよ。驚くじゃない」
「入るぜーって言ったけど。何を今から心配してんだか」
「まだ、早い?」
「そうだな、そんな事はコーラルの首を取った後に考えるんだな。第一、コーラルの野郎は謀略で王位を奪ったに違いないんだからな。そんな奴に忠誠なんて誓えるかよ」
この人は兵士だったんだとアリスローザは思い出す。ステファンならどう言うのか。
忠誠なんて糞喰らえとでも言うかもしれない。コーラルを倒す目的は同じでもその理由が各自違うのだ。
「なあ、そんな顔すんな」
気がつくと目の前にはウイリアムがいた。彼の手がアリスローザの頬に触れる。
「おまえが悲しい顔をすると心が痛む。おまえの目はトラシュにとても似ている」
「兄……様? あなたトラシュ兄様を良く知っているの?」
アリスローザはウイリアムがトレンス将軍の弟だとしか知らない。知っているのはレジスタンス活動のリーダーとしての彼だけだ。あの活動以前はトラシュとそんなに親しいわけでも無かった。
何しろアリスローザには異母兄弟が山ほどいる。ウイリアムとトラシュとの因縁は馬車の荷台で彼が魔道師に語っただけだ。
「たぶん、あんたより素のトラシュを知ってる」
取り澄ました、州候の跡取りじゃない彼を。酒飲んで管巻いて。愚痴をこぼして熱く青臭い事を本気で語っていた。
――そんなトラシュを――おれは知ってる。
「ウイリアム?」
黙りこむウイリアムにアリスローザは問いかけるように名前を呼ぶ。兄様の素ってどういう事なんだろう。
いつも優しくて冷静な兄の事しか自分は知らない。そのほかに何かあるのか。
それをレジスタンスのリーダーだった彼が知っているというのか。
「ウイリアム、答えてよ」
アリスローザの問いにウイリアムは彼女を抱きしめて口付けることで誤魔化す。誰にも言いたくない。ただ、それだけだ。
それだけの……はず。
いきなりの口付けにアリスローザは咄嗟に何も反応できない。
「ど、どういう事?」
やっと離れた唇の余韻に思わぬほど動揺している。
「どういう事って……おれは前から言ってるじゃないか。頂きたいってさ」
その声があまりにいつものウイリアムと違っているのに本人は気づいていない。
わずかに震えていた。戸を叩く音がその緊張を打ち破った。
「おい、飯だぜお二人さん」
「わかった。おい、なぜ二人だと分かったんだ?」
戸を開けたウイリアムがステファンに聞く。
「先にウイリアムの部屋に行って、あんたがいないことを知った。あとは」
「あとは?」
「ここで戸に耳を付けて聴いてた」
あっさり不正行為を告白したステファンは片目をつぶってみせる。
「続きはどうする?」
「続きなんてないわよ、今度そんな事したら殴るわよ」
アリスローザの剣幕にステファンは降参と手を上げる。
「ところで今の台詞はぼくに言ったの? それともウイリアム?」
「うるさい!」
怒鳴るアリスローザに笑いながらステファンは階下に降りて行く。その途中でウイリアムとすれ違った。
「なあ、邪魔だった? それとも助かった? どっち?」
「助かった」
ウイリアムの言葉にステファンがにやりと笑う。
「だと思った」
ステファンの後ろ姿をながめながらウイリアムは苦くつぶやく。
「まったく。はどめが効かなくなるところだった。おれもまだまだ青春野郎なんだな」