33・ 刻印
それはマルトがガリオールに仕えて九年経った頃。
ガリオールの執務室にふらっと現れたのは、ガリオールと同期の魔道師だった。
魔道教の本山であるモンド州、ゴート山脈に散らばる廟を統べる廟長ルーク。ガリオールとほぼ同じ時期に魔道師になって、同じ時期に主に竜印を頂いた者。そして齢四百年以上を生きているレイモンドール最古参の魔道師の一人。
「ガリオール、お久しぶり。ちょっと遊びに来たよ」
ルークほどの高位の魔道師が何で用も無いのにこう、度々一人きりで遊びに来たなどとサイトスの王城にやってくるのか。
控えているマルトはやれやれと自分の額に手をやるガリオールをちらりと見る。ガリオール様もやっぱりそう、お考えなのだ。
そう、思って彼を見ると。
「ルーク、久しぶりなんかじゃないだろう? ゴートの廟に主がおられないからといって君が遊んでいる暇は無いはずだが」
小言を言っているが、今まで渋面を崩さず仕事をしていた彼の顔に浮かんでいるのは軽やかな笑顔だった。
「ふふん、丁度、わたしに会いたい頃だろうかなあと思ってね。お茶にしたら? ガリオール?」
ガリオールが手に持っていた書類を取り上げて無造作に机に放るとルークは勝手にガリオールの正面に椅子を引きずって座る。
「ねえ、君。お茶二つお願いね」
ルークはそう言うと両肘を机についてその上に顎をのせてガリオールに向く。
「で、何かあるんだろう? 早く言え。灰色頭、わたしは忙しいんだからな」
ガリオールが彼にしか使わない親しげでやや乱暴な言葉を使う。
「灰色頭って……そのまんまじゃないか。もっとすてきな愛称をつけて欲しいなあ。例えば可愛いルーカスちゃん、とかさ」
「なんで、おまえの事を可愛いなんて言わなきゃならないんだ。思ってもいない事を言う義理は無いだろう。ばかルーカス」
「酷いな。それ言われるくらいならルークのままでいいかも。それよりさあ、来年の竜印を授ける魔道師の中にあの子がいたからさ」
「あの子?」
お茶を入れようとしたマルトの手が止まる。自分が来年こそはその中に入っているのだろうか。どきどきと胸を高鳴らせながら用意を続ける。
「あの、ボルチモアの(ますですの子)だよ。確かダニアン」
「ああ、わたしの一存で入れた。あれの術は半身出身の魔道師より頭一つ抜きん出ているからな」
ガリオールの言葉にマルトは慌てて取り落としそうになった茶器を盆の上に戻す。来年は確か、五人ほどしか竜印を受ける者はいないはずだ。
そのうち、四人ほどは名前の知れた術士でほぼ確実と魔道師庁内で噂されていた者たちだった。
あとの一人、それが自分ではないかと今の今まで思っていた。
――ダニアン? そんな名前聞いた事がない。しかもルークが名指しで確認しにくるとは。
「どうだろうかとさっきボルチモアに行ってきたんだけどさ。あの子ったらそんな滅相も無いって泣きそうだったよ。竜印なんて要らないって感じだったけど。外してやったら?」
「本人の意見など関係無い。実力のある者にそれ相等の仕事を与える。そのための竜印なのだからな。あいつはこの先、使える魔道師になる」
ガリオールはため息をついて目の前の魔道師の腕を払う。
「ルーク、その子どもっぽい仕草をやめろ。おまえはまた、前の話を蒸し返すのか」
「その通り、嫌だというのに竜印を刻印するなんてわたしは反対だよ。あの子は人として死んでいく方を選んだ。で、いいじゃない、ガリオール」
「じゃあ、わたしに。このわたしに竜印を下さいませ。ガリオール様」
思わず声高に二人の会話に割り込んでマルトは期待の篭った目でガリオールを見た。
その声に二人は驚いて目を合わす。
「この子誰?」
「マルトだ。雑用を任せている」
ルークに簡単に返した後に続くのは厳しい叱責だった。
「私達の話に聞き耳を立てるとはどういう事か。竜印刻印の大事におまえが口出しする事は許されない」
「あ、えっと誰だっけ、君、お茶早くしてね」
いつも側に居るために気安くし過ぎた事とガリオールの自分に対する評価の低さにマルトは茫然自失に陥る。
そして、あの子と呼ばれる魔道師の存在に憎しみを抱いた。魔道師の頂点にいる二人に認められているくせに竜印を拒むなんて。
どんな子ども……若者? どちらにしても絶対許されるものではない。マルトは唇を噛んだ。
その魔道師が禿げかかったしょぼくれた中年の魔道師だとわかったのは次の年だった。そして幸か不幸か、彼に竜印は授けられなかった。




