31・ 最後の仕上げ
「クライブ陛下、ご乱心」
「まさか」
「夜な夜な大声で怒鳴りながら城中を歩き回っているらしい」
「毎日、気に入らない従者や女官の首を刎ねているらしい」
「ご公務は宰相のコーラル様に任せきりだそうだ」
「やっぱりまだ子どもだったからな。飽きてしまわれたのではないか」
「こうなったら王位の移譲も考えなくては」
このところ、繰り返される噂。
暫く前から朝議にも公の会議にもまったく顔をださなくなっている王への勝手な憶測がまことしやかに流れていた。
王は病で危篤状態である。あるいは王である事に飽きて離宮に移って遊びほうけている。
または、王の重責に耐えられず、精神を病んでしまった等等。いずれにしても宰相のコーラルは否定している。
「クライブ陛下はまだお若いのだ。長い目で見てもらわなくては。そのためにわたしがいる。わたしはクライブ陛下の血に繋がる者として誠心誠意お勤めする所存です」
コーラルの言葉に周りの高級官吏や大臣も口をつぐむ。そして皆の頭に刷り込まれる事実。
そうだ、宰相コーラルは王たる資格を持っているのだ――ということを。
少しづつ、そう少しづつだ。ようやく自分にも運が向いて来たとコーラルは胸の内で笑う。今までわたしは我慢しどうしだったのだから。
ゆっくり、焦らずゆっくりでいい。誰も邪魔をする者などいない。
さきほど、待ち焦がれていた報告が届いたのだ。ボルチモア州内で元宰相の我が兄、ハーコート公爵が闇討ちにあったと。
その場所にマルトしかいなかったら、腹を抱えて大笑いをしていただろう。今まで何かと反論し、意見して譲らなかった兄。
自分と血が繋がっているなどと思った事など無かった。自分にとって血の繋がりなど何の価値も無い。
王になる為にいるのは前王の血、その子どものクライブとの繋がりだけだ。それも王になるためだけに必要なだけ……の。
「それは真の知らせなのか。なんということだ。この事はしばらく口外してはならん。急ぎ、モンド州だけに連絡を取りなさい。兄上が……お亡くなりになるなどと」
がっくりと崩れ落ちるコーラルをまわりの官吏が慌てて支える。
「コーラル様、しっかりなさってください」
「早くコーラル様を寝室へお連れして」
宰相付きの執政官が大声で命を下す。その騒ぎはいくらの日にちも経たない間にサイトス中に広まる。人の口に戸は立てられない。
コーラルは自分の演技がサイトスの王城に起こした波紋の広がりに満足していた。
――さて、そろそろ最後の仕上げに取り掛からねば。
――ここは、どこだったろうか。そして自分は何だったろうか。
寝台に横になったまま、境界のあいまいなはっきりしない世界で、ただ一人の住人である少年は自問する。
まだ幼い、というには大人だが、成人というにはまだ数年待たなくてはならない。そんな外見の少年の目は開いていたが、しかしその目はぼんやりと天井に向けられていた。
現実の世界から逃げて、逃げて、逃げて。
その終着点がこの何ともはっきりしない空間だった。何があるわけでも無いが、心を乱される何かも、無い。
――だから。ずっとここにいたい。そうだ、ここがわたしの居場所なのだ。
部屋に満ちる香の匂い。壁には隙間がないほどの呪符が貼られている。真ん中に置かれている寝台の下には大きな魔方陣が描かれていた。
その部屋の外で先ほどから行ったり来たりしている、密かな足音がする。
充分躊躇ったのちに手が扉の取っ手に伸ばされる。
「陛下、あの、お食事を」
いくら食欲が無いと聞いていても、国王陛下が食事を取らなくなってもう四日になる。誰とも会いたくないと仰っているとはいえ、放っておいていいのか。
女官のサリアは気になってここへ来てこの数日、扉の前でうろうろとしていたのだ。だが、もう限界だ。一目、陛下のご様子を見るだけだ。見つかって怒られてしまうのは覚悟の上と思い切って扉を開けた。
「こ、これは?」
内部の様子に慌てて扉を閉めると逃げるようにサリアは走り出す。誰かに、伝えなくては。陛下が大変な事になる。
誰に言えば良いのか? マルト様?
「いえ、それはダメだわ」
マルト様はこの事を知っているのだ。いや、彼こそが国王陛下にあんな恐ろしい事をしている首謀者の一人かもしれないのだから。
どうしたらいいの?
サリアは震える体でただ、遠くへ行くことしか考えられなかった。
「どうした?」
ただならぬ女官の様子に気づいた男が女官の腕を掴んだ。
「お、お助けください。わたしは何も見ておりません」
「何? おまえ何を見たのだ?」
うかつに口に出した自分自身に驚いてその女官は硬直して腕を掴む男を見上げた。
国軍、左軍将軍レミントン。彼は宰相であるコーラルとそりが合わず、何ヶ月も南であった騒乱を収めるためにサイトスを留守にしていた。
「陛下のご様子が」
「何? 陛下がどうされたのだ」
レミントンはすっかり怯えきった女官を宥めすかしながら自分の居室に迎え入れると根気良く話しを聞きだした。
「やはり、あの魔道師は良からぬ事を企んでいたのだな。サリア、わたしを陛下が軟禁されている部屋に案内しなさい。ガイダス、おまえは何人か兵を密かに配して速やかに陛下の御身をサイトスからお連れするのだ」
きびきびと命を出しながらレミントンは歩き出す。それにしても従者として付いていたはずの自分の息子らは何をしていたのだ?
彼の息子をはじめ、新しく三年前に従者となった若者の誰一人として生きていない事をこの後彼は知ることになる。