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22・ ささやかな幸せ

「ねえ、母さん。薪はこれくらいでいい?」

「そうね、ありがとうヘンリー。仕事場からお父さんを呼んできて。お茶にしましょう」

「わかった!」

 元気のいい返事を返して十四、五歳くらいの少年が飛び出していく。

 傍らにいた七歳くらいの男の子が赤っぽい茶色の頭を上げて母親を見た。

「ねえ、ぼくが作ったお菓子、父さん美味しいって言ってくれるかな?」

 体も大きく、活発で人懐っこい兄とは真逆の弟。細い体に神経質そうな顔が見上げる。

「お茶の用意手伝ってね、ステファン」

「うん」

 母親について卓上に茶器を出す少年を見ながら彼女はため息をついた。あまりに似ているのだ。せめて自分に似てくれていたならと今まで何回と思ってきたことを呟いた。

 勉強が嫌いな兄に比べて弟のステファンは、早々に自分が納めた語学も何も吸い取り紙のように吸収してしまった。

 最近では、なけなしのお金で買った古本で、もはやリディアにも分からないほどの数式を独学で学んでいるほどだ。

 本人は近くにある廟で魔道師に勉強を習いたいと訴えていたが、いつもは優しい母親がその事に対しては頑なに禁止していた。

 田舎では都会にあるような学校の代わりを廟が担っている。しかし、ステファンは体が弱いという理由で家に閉じこもって暮らしてきた。

 ――ぼくはこんなに丈夫なのに。

 ステファンはだんだん、この窮屈な暮らしに我慢ができなくなっていた。ぼくも兄ちゃんのように父さんについて仕事を覚えたいと強く思う。

 何でいけないのか。

「疲れたな、おいステファン。いい子にしてたか?」

 そこへ、大きな音をさせて戸が開く。汗の匂いをさせて父親が入って来るとステファンをひょいと抱き上げた。

 首にしがみついてステファンは大好きな父親の匂いを嗅ぐ。刀鍛冶の仕事をしている父親はいつも汗びっしょりで帰ってくるが、それはちっとも嫌な匂いではなかった。

 暖かい泣きたくなるような安心感をもたらしてくれる匂いだと思う。

「ねえ、今日お菓子をぼくが一人で焼いたんだよ」

 そう言いながらステファンは手に持っていた焼き菓子を父親の口にあーん、と言って入れる。

「うーん、上手い。おまえは何をやらしても上手だな。母さんと一緒だ」

「えー?」

 その言葉にヘンリーが笑いながら抗議する。

「母さんなんか初めなんて何も出来なかったじゃないか。おいら、教えるの、結構苦労したんだぜ」

「今じゃ、母さんが一番だけどな」

 ステファンを抱いた反対の手でリディアを引き寄せてラッシュはチュッと妻に口付けた。

「もう、子どもの前でいちゃつくのもいい加減にしろよ」

 そう、言いながらもヘンリーは嬉しそうに自分も焼き菓子に手を伸ばした。

「うん、上手い。ステファン天才」

 和やかな笑い声が部屋に満ちる。

 七年前、人を信じられず、どん底だった自分がこんなに幸せになれるなんて。このままひっそりと生きていけたならいいのに。

 仲良くステファンの話を聞く三人の姿を見ながらリディアは心の底から思った。

 次の日、父親とヘンリーは仕事場に行って、母親も買物に出かけて家にはステファンしかいなかった。

 いつものように食卓の上に広げた本を一心に読んでいた。

「どうして、ここがこうなるのか全然わかんない。ここだけ、聞くだけだからいいよね。すぐ帰ってくるし」

 言いわけをしながら、ストンと椅子から降りるとステファンは本を抱えて家を出て行った。





「あの、すみません。教えてもらいたいことがあるんです」

 そうっと廟の門扉を開けながら声をかけてきた少年に初老の魔道師が気がついて近寄って来た。

「何ですか? わたしに分かることなら何でもいいですよ。さあ入りなさい」

「ありがとうございます」

 あっさりと廟に入れたステファンは、初めて母親に反発を覚えた。

 外はぜんぜん怖くないし、ぼくはちっともしんどくない。母さんはおおげさすぎるんだ。

 一方、廟の中で散々質問をする少年に応対した魔道師は驚いていた。何て聡い子どもだろう。

 恰好はそんなに裕福そうでもない。ここに勉強しに来ている子どもの中にはいないと思うのにどこで勉強を習ったのかと不思議だった。

 豪商や、金持ちの子どもなら家庭教師を雇っている。廟では無料で午前中だけ文字の読み書き、簡単な計算のやり方などを教えているので近隣の子どもらは廟に来ることが殆どだ。

 その中で目に付いた頭の良い子どもを魔道師にするように親に勧めたりもしていた。

 これだけ頭のいい子を見逃しているはずはないと魔道師は頭を捻る。多分、隣町の廟にでも通っていたのかもしれない。

「きみの名前は何ていうのかな?」

「あ、ぼくステファンといいます。町外れの鍛冶屋の息子です」

「そうか、ステファン。きみは頭がいいねえ。いつでも聞きたいことがあるならうちにおいで。きみが良ければ魔術の本だって見せてあげるよ」

 秘密を共有するように小さく言った魔道師の言葉にステファンの顔がぱっと輝く。

「本当に? だったら明日も来ていいですか。魔道師様」

「ああ、おいで。ステファン」

 スキップをしながら帰る少年を見ながら魔道師は書棚から分厚い書きつけを取り出した。

 町外れの――というとラッシュの所か。でも、あそこの妻はだいぶ前に病で死んだはずだ。いつの間に結婚していたのだろう。

 人別帳を開き、指で辿った先にある名前にはラッシュの名前と死んだ妻の名前が書いてある。

 そこには死亡の理由と日付が記してあった。その下にある子どもの名前はヘンリーだ。

 この子は覚えがある。大層元気の良いこどもだったが勉強は今一つだった。頭が悪いのではないが体を動かすほうが楽しいようだったと記憶している。

 はて、あれからラッシュは新しく所帯を持ったのか。

 そのときは魔道師は深く追求もせずにすませた。

 次の日から毎日ステファンは廟にやってきて驚くほどの早さで廟にある書物を読破していく。


 ある日、廟にやって来たステファンは小さい杯に緑色の瓶から琥珀色の液体をそろそろと注いでは口に運ぶ魔道師を見つけて声をかけた。



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