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21・ 鍛冶屋の親子

 ボルチモア州、州都近隣の町。


 奪い取るように少年の手からパンを掴むとリディアは何日ぶりかの食事を貪るように口に入れる。

 人心地ついて、喉が詰まったのはパンのせいでは無い。

 ――何て自分は落ちぶれてしまったのか。

 お腹が落ち着くとやっと他の事を考えることが出来た。

「ねえ、もし良かったらまだ、パンがあるから持って来るよ。どうする? お姉ちゃん、おいらの家来るの嫌なんでしょ?」

「そうね、じゃあ持って来てよ」

 尊大に応えるリディアに、それでもにっこりと笑顔を向けて少年は家のある方へ向かって一目散に走っていった。

「ばかねえ」

 ここで待つつもりなどリディアには無かった。あの少年は今頃、リディアがえさに食いついたのを確認してほくそえんでいるのかもしれない。

 今度は父親か、母親、あるいは仲間を連れてやって来る気に違いない。急いで逃げなくては。

 もう、渡す物なんて無い。この身を売られるくらいだろう。でも、そんな事は絶対にだめだ。

 わたしにはこの子がいるんだから。リディアは立ち上がって歩きだそうとしたが、そのまま倒れこむと気を失った。

 体はとっくに限界を超えていたのだ。





 ぱりぱりとした麻の布の感覚に驚いて目を覚ました彼女は自分が狭い部屋の寝台に寝かせれているのに気付く。

「お姉ちゃん、気が付いた?」

 目の前に鳶色の目を細めて満面の笑みを浮かべる少年がいた。

「父さん、父さん、お姉ちゃんが起きたよ」

 その声におう、と応える低い声がして姿を見せたのは深い栗色の短髪に笑い皺が目立つ垂れ目がちな鳶色の瞳の少年とそっくりな三十歳くらいの男だった。

 身なりはまあ、ここら辺で見かけた者たちと似たような物だ。

 綿の洗いざらしのシャツに袖なしの上着に膝下までのズボン、牛皮のブーツ。腰にはナイフやら工具やらをぶら下げた太いベルトを締めていた。

「おれは、ラッシュだ。あんた、もう少し寝ていたほうがいいぞ。顔色が真っ青だからな」

「いえ、もう大丈夫よ。さようなら」

 起き上がって行こうとする彼女は男の腕に捕まった。

「な、何するのよ!」

「おい、人の親切にはお礼をするもんだろ? 母親に習わなかったか?」

 男の言葉にリディアはまたかと張り詰めた顔を向けた。

「何をしろと言うの?」

 挑戦的に言うリディアに男はそうだなと首を傾げる。

「寝ていたくないんならまずは、その汚い体を洗え。お礼も何もおまえ、相当臭いぜ」

 やはり、この男はわたしの体が目当てなのか。リディアは倒れてしまった自分を恨むがどうしようもない。

「奥の部屋にお湯と着替えが置いてあるからそれを使え。手を抜くなよ」

 男の言葉に寒気を感じながら仕方なくリディアは奥の部屋に向かう。何日かぶりにお湯を使って汚れを落とすと蜂蜜色の髪も体もすっきりして気分が良くなった。しかし、この後の事を考えるとその気分もまたたく間に落ち込む。

 置いてある着替えは綺麗に洗ってあるが何回も着たように少しよれていた。

 ――何人の女がこの服に手を通したのか。

 重い気持ちで着替えるとそれを見通したように戸が叩かれる。

「ねえ、着替えたらこっちに戻ってきてね、お姉ちゃん」

 邪気の無い声にあの男がこれからやろうとする事を少年は知っているのかと疑問になる。

 しかし、自分が初めてじゃないのならあの純朴そうに装っている少年も全てを知っているのだろう。

 できるだけのろのろと戸を開けると、待ちきれなかったのか少年が、リディアの手を握って引っ張るように歩き出した。



 目の前の食卓に置かれた物にリディアは唖然と言葉も無く視線をここの主に合わす。

 湯気を立てた、具はじゃがいもらしいスープ。

 前に口にしたと同じ丸いパンが皿に盛ってあり、別の皿にはベーコンの固まりがのっていた。

「ヘンリーがさ。あ、こいつはヘンリーっていうんだよ。おまえが腹へってるからイライラしてるってさ。まあ、なんだ。人っていうのは腹へってるとろくな事を考えないからな。だから飯食え」

「あの……お礼って……?」

 まあ、座れと手を引かれて椅子に座らされたリディアはぽかんとする。

「ああ、そうそう、お礼、お礼。この子に言ってやってくれ」

「言う?」

「そうだ、ありがとうって言ってやってくれ」

 笑いながら言う男の顔をリディアは訳がわからず見返した。

「お世話になったらお礼をするもんだろ? こいつみたいながきにするのは抵抗があるかもしれんがな」

 父親の言葉ににこにこと笑顔を向けて、少年はリディアの言葉を期待している。

「あ、ありがとう」

 小さく言うリディアに、どういたしましてと大人みたいに神妙に言うと、ヘンリーという名の少年は彼女の前に水を入れた茶器を置いた。

「お姉ちゃん、その服良く似合ってるよ。それ、死んだ母さんのなんだ。母さんもきれいだったけどお姉ちゃんは、二番目にきれいだな」

「そう?」

「うん」

 はにかむ少年の様子にリディアの硬い心に罅が入る。

「じゃあ、食べようぜ。いただきまーす」

 大声で言うと最初に食べ物に口をつけたのはここの主人だった。

「父さん、お客さんより早く食べるなんて行儀悪いぞ」

 ヘンリーの指摘に悪いな、と目が無くなるほど細めてラッシュは笑いながらパンを掴むとリディアに差し出した。

「ほれ、食えよ」

 渡されたパンを口に運びながらそれでもリディアは、いつ逃げ出そうかと考えていた。


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