20・ 選ぶ自由
その頃、ボルチモア州、州城州宰の執務室。
「こ、これはガリオール様、ルーク様」
州宰のダークスが青い顔をして竜門から出てきた魔道師二人連れを迎える。
「何の用で来たのか、分かっているんだろう? ダークス」
「さ、さて……」
「あれれ、さては呆けたのかい? まだ、おまえは二百年ほどしか生きてないはずなんだけど」
ルークが笑いながら言うが、その灰色の目は少しも笑ってはいない。
「うちの雛ちゃんの事だよ。ちゃんと見てって言ってたよね、ダークス?」
「クロード様の事……ですか」
ダークスは呆けてみせるが二人には通用するはずも無い。
「女犯するべからず――これを忘れていたのか、ダークス」
ガリオールの冷たい声に呆けていたダークスもがっくりとうな垂れた。まさか、預かっていた竜印の完成前の半身が女性と関係を持つなどとは思いもしなっかったのだ。
竜印が完成すれば主以外に魅かれることなどめったに無い。いつも主、イーヴァルアイ様と自分たち僕は繋がっている。
そのため、うかつにも彼が女性にうつつを抜かすことなどダークスは考えていなかった。彼は数年で魔道師庁の高官の座が約束されていた。
「クロードはすぐにゴートに戻す。で、その相手はどうした?」
厳しいガリオールの問いを受けてダークスは身を投げ出すようにひれ伏した。
「申しわけありません、取り逃がしましたが直ぐに、直ぐに捕らえます。なにとぞご容赦を」
「えーっ、逃がしちゃったの? ねえ、うちの雛ちゃんの面倒も見れない奴に州宰は無理なんじゃあない? ガリオール」
「そうだな」
ルークの言葉に相づちを打って、ガリオールの手が印を結ぶ。
『エワズ、ラグズ、ハガラズ、ケン』
呪文の後にためらうことなく目の前の魔道師の胸元に右手が突き入れられる。その手は立体化した竜印を掴み取ると床に投げ捨てた。
『滅せよ』
その呪文に跡形も無く竜印は消えた。
「ガリオール……さ……」
竜印を取られたダークスは許しを請うように手を上げたまま、目の前で砂のように崩れていく。
術が解けて本来の姿に戻ったのだ。人は本来、二百年も生きられない。
ルークは砂の山にわずかな憐憫の表情を見せるが、それもすぐいつもの飄々とした顔の下にしまいこまれる。
「どうする? ガリオール」
「そうだな、そこのおまえ。名前は何というのだ?」
魔道師長のガリオールに指を指され、出て行く間合いを失って部屋の隅に突っ立っていた、まだ頬の赤い魔道師がおずおずと顔を上げた。
「あ、あたしでございますか? あたしはダークス様の雑用をさせていただいてた者で、ダニアンと申しますです」
「申しますです、だって。この子面白いねえ、ガリオール」
さっきの今でもうふざけた様子のルークにガリオールが厳しい目を向ける。
「面白がってる場合じゃないだろう、ルーク。ダニアン、おまえを州宰代理に任命するからすぐに仕事にかかれ」
「あ、あたしですか? あたしはダークス様の……」
ただの雑用係だと言う言葉は最後まで言えない。
「ダークスはいないんだし、すぐにゴートから上位の魔道師を送るよ。それまでの辛抱だよ」
「これは決定だ。拒否などできない」
やんわり言うルークの言葉に被せられるようにかかるガリオールのきつい言葉にまだ若い中級魔道師の男はただ、うなづくしかなかった。
「では、ダニアン。ドミニク候を呼んできなさい。彼の息女のおこした事だからな。彼にはきっちり始末をつけてもらわなくては」
「しょ、承知しました」
どもりながらダニアンが退室した後。
「めんどくさいよね、きみがあんな戒律作っちゃうから。もう、削除しちゃったら?」
「政治の中枢に関わることが多い魔道師がそこら中で子どもをつくったらどういう事になるかわかっているのか。秩序も乱れ、監理も煩雑になる。妻帯など考えられない」
ルークの投げやりな言い方にガリオールは憮然として諭すように言う。
「ふうん、そうか。じゃあさ、男犯はいいわけ?」
「ルーク!」
真面目に応えるのに返された、ルークのいい加減な返事にガリオールの顔の眉間の皺が深くなる。
「冗談だよ、ここんところの君の皺、ゴートにあるハンゲル山より険しいんじゃない?」
自分の眉間を指差して向ける笑顔にガリオールはため息をついた。
「誰のせいだ、誰の。だいたい半身の監督責任の長はおまえだろう、ルーク」
「あららそうきたか。まあ、半身は生まれた時から逃れられない運命を背負っているわけだから屈折度も高いものさ。わたしたちみたいに選べるわけじゃないからね」
「わたしだって選んだわけじゃない」
ルークに素早く返される言葉。
――私は親に口減らしのために廟に連れていかれたのだ。道端に捨てられるのと同じだ。
違うのは連れていく親の良心が痛まないことくらいだ。
自分でも忘れていたはずの小さなとげに触れてガリオールは黙りこむ。
「だけど、竜印をもらう前なら還俗する手もあるし。普通の生活に戻って貧乏でも人並みに死んでいく生活を送ることを選ぶことができたよ。半身じゃないわたしたちには」
「ルーク?」
おのれの生き方を疑問に思うことなど無かった。自分と共に四百年以上を生きてきた魔道師から漏れた言葉にガリオールは心底驚いて相手を見つめた。
「それは……後悔しているということか?」
「いや、わたしは主を敬愛しているよ。でも、別の人生もあったと、そう思っただけさ。普通に生きる道。結婚して子どもを育てて死んでいく道がさ」
「ルーク」
「何て顔をしているんだよ、ガリオール。わたしは君と違って信念とかないままに生きてきたからな。迷いも多い。だが何もかも、もう遅い。人としての寿命の年齢をとっくに超えて、もはやわたしたちにはこの道しか残されていないからな」
「私は後悔なんてしていない。おまえもそうだと思っていた」
なぜか、傷ついたような顔を見せてガリオールが呟くように言う。
「ねえ、自分の親の事思い出さないかい?」
「私を捨てた親の事なんか、思い出す訳が無い」
またしても古いとげに触れるようなルークの言葉に自分でも驚くほど強く反応してしまった。
「わたしは思い出すよ、時々」
対してルークは、遥か昔を懐かしむように目を細める。
「廟に連れて行かれる前日の晩。母さんがこっそり家の裏に呼んでくれてさ。二人で食べようってふかした芋を二つに割って。びっくりしたよ。ばちが当たるんじゃないかってびくびくしながら食べたな。その味が今でも忘れられない」
「で、美味しかったのか」
「ん――すごい不味かった」
「はあ?」
「ほとんど黴てたんだよね。どっかから拾ってきたんじゃないかなあ、母さん」
ガリオールはルークの話にどう言ったらいいかと複雑な顔になった。その顔にルークはぷっと吹き出す。
「だからさ、人はそれぞれだって。魔道一筋のガリオールは好きだよ、男犯したくなるくらい」
「ルーク!」
「あはははは……あんまり戒律作りすぎんなってことさ」
してやったりと笑う同期の魔道師にガリオールは苦い顔をした。