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2・手紙

「彼は変わったかしら」

 アリスローザは壁に掛けてある鏡に映った自分の姿にはっとする。

 三年前の少女の面影はすっかり影を潜めた。変わらないのは黄みの強い明るいブロンドとスカイブルーの瞳。しかし、無邪気に正義を振りかざしていたあの頃とは違う。

 大人の分別を備えた貴族の娘。あと暫くすれば、豪商か、近隣の貴族との婚姻が決められてしまう。普通なら十九歳では遅いくらいだが、いわくつきの娘を嫁にもらうのは持参金の額だけでは覚悟がいるのだろう。

 しかし、たぶんクロードは十四歳のまま歳を取っていない。彼は身の内に魔教の書を封印され外見の変化を止めてしまった。

 そして、手の届かない遠くへ旅立っていったのだ。自分も行きたかった。一緒に行こうと言われれば迷わず付いて行ったろうに。

 アリスローザはいつの間にか自分の手からすり抜けて落ちていた書簡に気付いて我に返る。

 書簡には他愛も無い日常の話がつらつらとそれこそしつこいくらいに書いてあるが。

 アリスローザはその書簡を拾い、テーブルに置く。

 羽ペンをインク壷から引き抜いて、ある法則に従って線を引き、言葉を入れ換える。一通りやり終えると満足そうに頷いた。

 その書簡に書いてあったのはレイモンドール国の首都サイトスの国府の内情。三年前、魔道の結界が無くなり政治の主導権は魔道師の手から王の元へ帰ったはずだった。

 ところが王弟のクロードが国を出奔した後、たったの半年ほどで王のたっての希望により祭祀長だった魔道師コーラルが宰相の任に就く。

 そして暫定的だったとはいえ、混乱の一番大変な時期に労を尽くした前国王の兄、ハーコート公は補佐という立場に落とされる。

 その不名誉にもハーコート公は国のためにサイトスに留まりつづけてはいたが、コーラルの力はますます強くなってきていた。せっかくたくさんの血で魔道師から勝ち取った権力。それを新しい王、クロードの双子の兄であるクライブは簡単に手放そうとしているのだ。

「まったく、何てこと。クロードには悪いけどクライブが王になったのは絶対間違いだわ。一体何を考えているんだか」

 書簡にはこの度、ハーコート公の所領モンド州で父に代わり州公代理を務めている嫡男、ダリウスが深刻な病にかかったことが書いてあった。

 そのため、一時ハーコート公がモンド州に帰ることになった。しかし、この話には裏がありそうだ、と文は続いている。

 この国を魔道師の国に戻したいコーラルにとってハーコート公は目の上のたんこぶでしかない。血の繋がりでいえばこの二人は兄弟なのだが、情ということで言えば二人の間には全く通じる物が無かった。

 双子で生まれた前王とコーラルだが、魔道師として生まれて直ぐに魔道師の本山であるゴートの廟に連れて行かれた瞬間からコーラルはこちらとの縁が切れたのだ。

 躊躇だったのはその内面。

 彼にはハーコートや前王に対する思慕の情も親愛の情もまったく無い。あるのは盲目的に帰依している魔道教への思いと自分が王になるという野望だけ。

「ハーコート公の嫡男の急病の知らせはガセかもしれない、か」

 と、なるとサイトスからの道程の間のどこかでハーコート公は命を奪われる可能性がある。今、ハーコート公に亡くなられたらこの国は大変なことになる。

 アリスローザは思わず唇を噛んだ。ここでうじうじと昔のことを懐かしんでいる場合では無くなった。

 兄には悪いがわたしは行動を起こす。

 アリスローザは手にした書簡をびりびりと破り広く開けられた窓から投げ捨てた。

 投げ捨てたのは手紙だけでは無い――今までの自分。自分の身を嘆いている不甲斐ない心そのものだ。




「アリスローザ様、ワインをお持ちしました」

 言いつけていたワインを夕食後に持って来たのを知らせるイライザの声にアリスローザは「入って」と声をかけた。

 女官のイライザが盆の上に背の高い杯に入れたワインを載せてそろそろと部屋に入って来る。

「ああ、イライザありがとう。ねえ、ちょっと頼みがあるのよ、こっちへ来て」

 衣裳部屋のほうから声が聞こえてイライザはただいま、と応じて盆をテーブルに置くと声のした方へ向かう。

「アリスローザ様?」

「ねえ、この夜着なんだけど、どのガウンがいいかしらねえ」

 いつもあまり着飾ることなどしないアリスローザが夜着のことなんかで迷っているのを不思議に思いながらも、イライザは首を傾げながら何枚かを引き出しから出して広げる。

「この薄い桃色のガウンはいかがです?」

「そうねえ、この水色のはどう?」

 そう、言ってからアリスローザがぽんと手を打った。

「あなた、ちょうど私と同じくらいの背格好だもの。ちょっとこの夜着を着てみてくれない? 桃色にするか、水色にするか、見てみたいわ」

「そ、そんな。わたしなんかがアリスローザ様のお衣装を着るなんてとんでもない」

 驚くイライザにアリスローザはまあまあと笑いながら手招いた。

「衣装って言ったって夜着だし、ここはわたしとあなただけじゃないの。あなたが黙っていたら誰にも知られる事なんかないでしょう? ちょっと合わせるだけよ」

 そこまで言われたら女官の立場で何も言うことはない。それに美しい服なら夜着だと言えど年頃の少女にとって嬉しくないわけもない。

 イライザが夜着に着替えるとアリスローザはうん、うんと笑いながら桃色のガウンを渡した。

「あら、あなたの言う通りね。その色がいいわ」

 テロンとした絹の手触りにうっとりしながらイライザはあっさり決まったことに内心がっかりしながら夜着を脱ごうと手をかけたが、アリスローザが当身をしたためにそのまま床に崩れ落ちた。

「ごめんね、イライザ。明日の朝までわたしの代わりを頼むわ」

 少女の体を寝台に運び込み、掛け布を頭まで引き上げた後、自分は女官の脱いだ服を着込む。そして寝台の奥に手を突っ込んで一抱えの荷物を抱えた。

 その日の変わらぬうちに元ボルチモア州、州姫アリスローザの姿は州城から消えた。


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