18・ 半身
それは彼が三十歳を少し過ぎた頃の初春。
執務室に竜門が突然開いた。
魔道師庁のあるサイトスの王城にいたハーコートにしても、竜門が開くのを見ることはこれが初めてだった。
それは、魔道師が使う竜道というものの妖しさを魔道師長のガリオールが充分承知しているためだ。
時間と距離に縛られず、どこにも行ける道など魔道師以外には気持ちが悪いだけだ。しかも、魔道師と王以外は通れないのだから。
そう言うわけでサイトスの王城内では、竜門は魔道師庁内でしか開かない旨の戒律がある。
――その竜門が、なぜここに?
「バルザクト様、ああ、失礼しました。いつまでもサイトスにいらした頃のようにお名前でお呼びしてはいけませんね。ハーコート公爵様、突然に申し訳ありません。少しお邪魔しても?」
「ああ、ルークか。何だ」
姿を見せた者は、自分がまだ首都サイトスにいた頃から何度となく顔を見ている魔道師だった。途端に緊張が緩み、ハーコートは安心して笑顔を向ける。
「あと数年でラジム陛下がご逝去なさいます。今、陛下に側づいておりますクロードはお隣のボルチモア州の州宰に付く事になっております。で、引継ぎのために今はボルチモアに来ております」
「それで?」
「王のお側に付く為の心構えとか政務の勉強のためにうちで預かっております、雛をしばらくボルチモアに預けようと思いまして」
ルークは指を折りながら柔らかく笑った。
「半身としては彼が一番歳が近いですし、話が合うかなあって。わたしも若いつもりですが実際はちょっと歳上ですからね。緊張させてばかりじゃあ、可哀想だし」
そうは言うが言ってる言葉や態度に緊張感は全く無い。この男はいつもそうだが。
「雛?」
「あ、これは失礼しました。王の御名を頂くまでクロードは二人おりますので、養育中のクロードの方は廟では雛と言っているんですよ。可愛いでしょ?」
ハーコートは四百歳を越えている男の軽口に眩暈を覚えた。
「それではわたしの弟が来ているのか?」
「はい、近くまで来たのでご挨拶にと。雛ちゃん、兄君にご挨拶を」
ルークの後ろにいた、フードを深く被っていた魔道師がフードを後ろにはねのけてこちらに顔を上げた。
「ハーコート公様、お初にお目にかかります」
たったそれだけ言うと頭を軽く下げて硬く口を閉じた魔道師の顔はこの数年前にサイトスで別れた自分の弟と瓜二つだった。
違うのはかもし出す雰囲気か。
「バルザクト兄様、お別れとは辛いです。すぐに会いに来てください」
もう、二十歳になるというのにひどくしょんぼりしながら手を差し伸べたコーラルの事を思い出し、知らずにハーコートに温かな笑みが浮かぶ。
穏やかな、少し怖がりで大人しい七つ下の弟をハーコートはとても愛していた。
こんなに優しい気性で王の重責が務まるのだろうか。体を壊してしまうのではないか。
心配で心配で。
このまま、サイトスに留まって弟を守って暮らしていくのも悪くないと思っていたのだ。
この国の王になるのは、生まれた順番でも、正統性でも無い。王の血を受け継いでいるなら庶子だろうが関係ない。
しかし、必ず王になる者は印がある。
それは――双子である、ということ。一方が王になり、片方が魔道師になる。それも竜印という刻印を体に刻み付けられて永遠に近い不老の者となる。
ハーコートが王になる確率は生まれた時にすでに無かったと言える。しかし、ハーコートはそれを既に受け入れていた。
自分が弟の臣下になる。支えていく、そう思っていた。その愛する弟にそっくりなのに。
同じような赤っぽい茶色の髪に明るい青の瞳。何から何まで良く似ているというのに。
あまりにもクロードが放つ、冷たく拒絶する気配に親愛の情も湧かない。
「こら、雛ちゃん。何ですか、あっさりしすぎですよ、まったく困ったものだ」
灰色の瞳を困ったなあというように細めて廟長のルークはやんわり咎める。
「では、場も暗くなったことですし、我々はさっさとおいとましますね」
ルークは、レイモンドール国の魔道師の中でも上位三人の中に入るほどの魔道師であるはずの男だが見た目は二十代そこそこ。
そして口調もはるかに軽く、とても重鎮とは思えない。
しかし、彼を含めてこの国の上位の魔道師は何百年も生きている人外の者だ。
見た目に騙されてはいけない。その仲間に自分の弟も数年の内になる、というのか。
暗澹たる気持ちのハーコートの目の前で開いた時と同じように竜門は消えた。
そんなことがあった。
それから一年ほどコーラルはボルチモア州にいたのではないか。
「その時の……?」
「魔道師の戒律をあいつは破ったというわけ。竜印が完成する前に」
魔道師は女犯するのを最大の禁忌としている。
そして、主、魔道師イーヴァルアイの僕たる証、竜印を刻印される上位の魔道師は竜印が完成すれば繁殖能力は失われる。
「そんなことが」
側にいたアリスローザも一言言って黙り込んだ。
「僕はいつも魔道師たちに追われていたんだ。僕は生きてちゃならない者だからな」
ステファンは自嘲気味に笑った。
「俺と兄貴はそれこそ、溝ねずみのように逃げ隠れしながら生きていたんだ」
「お腹に僕が宿ったことを知った、僕の母親は誰にも告げずにボルチモア州城から逃げたために、無事に城から出ることができたんだ」
ステファン身の上話はつづく。