1・変革のとき
これは、「レイモンドール綺譚」の続編となっております。
感想をお気軽に書いてくださると力になります。ただいまレイアウトを変更中のため、
読みにくいかと思いますがよろしくお願いします。
朝の淡い水彩の光がやっと石造りの小さな廟の屋根に届く頃――。
その廟の戸をしつこく叩く音に仕方なく中年の魔道師が戸を開ける。
「誰ですか、こんなに朝早く……あ、あなたは」
絶句する魔道師の肩に手を置いて廟に勝手に入って来た小柄で細い男に、魔道師はおろおろと周りを伺って戸を閉めた。その顔にうかんでいる表情は歓迎とは正反対に歪められている。
「何なんですか。何だってここへいらしたんですか、アリスローザ様」
「せっかく久しぶりに会ったというのにあんまりね、ダニアン」
はああとわざと聞こえるようにため息をついて、側にある椅子に座るのはダニアンと呼ばれた頭がやや薄くなった中年の魔道師だ。
「あれからあたしは州宰代理の任を解かれて、この小さな廟主として慎ましく暮らしております。だいたい、あたしは三年前の謀反の事なんてちっとも知らなかったんですよ。本当にいい迷惑ですよ、あやうくあたしまで牢屋行きになりそうだったんですからね」
魔道師はふくれっつらで言いながらもアリスローザにお茶を出す。
「悪かったと思っているわよ、もちろん。だけど、わたしの話を聞いて。ボルチモアでわたしの昔のことを知っていて助けてくれそうなのはあなただけなのよ」
「めっそうもない! これ以上あたしを窮地に追い込むようなことに巻き込まないでください。あたしはただの魔道師ですよ」
顔の前で手を振る魔道師の腕を男装したアリスローザが掴んで引き降ろす。一瞬三年前に戻ったのかと錯覚するくらい、彼女の顔は毅然としていた。
「ハーコート公の命を助けるのよ。そして今の王をひっぱたいて目を覚まさせてやるわ」
「で、あたしに何をしろと」
「とりあえず、寝かせて。丸一晩歩きづめでくたくたなのよ」
アリスローザはそう言うと勝手に奥に入ってしまい、魔道師の男はまた一つため息をついた。
事の始まりは一通の手紙だった。
レイモンドール国の北部ボルチモア州、州都ケスラーにある州城の一角。
水分を含んだ少し冷たい風が城の壁を下から吹き上げて若い女の頬をなぶるように通り過ぎていく。
ああ、あの時もこの季節だったと彼女はつぶやく。
ただ、そう思うだけで自分の意識はあの頃に帰っていく。
彼に会いたい。
そう、願っているのにそれはきっと叶わない。
「アリスローザ様、文が届いております」
自室の出窓に腰をかけて外を眺めている女性に、黒い女官のお仕着せを着た少女が声をかける。
「ありがとう、イライザ。そのテーブルに置いておいて」
窓から視線を移さずに言葉をかけるアリスローザに女官はぺこりとお辞儀を返す。彼女は大事そうに手にしていた書簡をテーブルに置くと室を出て行った。
――それにしてもわたしに文を送る人間がいようとは。
出て行った女官の足音が消えてから、彼女は首を傾げながらも足早にテーブルに向かうと書簡を開いた。
大罪を犯したことで親も知り合いも失くし、あえて自分に関わろうとする者もいるはずが無かった。
訝しく思いながら書簡を読んでいたアリスローザの顔が次第に綻ぶ理由。それは三年前の謀反を起こそうと画策していた時に自分と動いていた男の一人からだった。
三年前今はこの国にいない魔道師、クロードという少年によって自分の父親――ここ、レイモンドール国の北部のボルチモア州、州公の謀反は暴かれたのだ。
父親は斬首され、自分も同じ運命だろうかと思っていたのだが……。
結局、王弟でもあるクロードに命を助けられた。今アリスローザはボルチモア州の新たな主であるスノーフォーク候爵に養子にいった義兄の所にお預けの身になっている。半分は血の繋がっている兄のこと、不自由無く暮らしてはいる。だが、監視がついているため昔のように男のなりをして出歩くわけにはいかなかった。
何もかも失ったと思っていたが、地下のアジトから州兵の追跡を免れて逃げのびることが出来た、レジスタンスのリーダーがいたことにアリスローザは心底ほっとする。
あの頃、自分は玉座を狙う父親の上辺の甘言に惑わされて謀反の片棒を担がされていた。それは自分だけでなく大勢の仲間を巻き込んで結果、たくさんの命を奪うことになってしまった。
それなのに自分はこうしてのうのうと生きている。
「わたしは生きる価値があるのかしら。クロード、教えてほしい」
懐かしい名前を口にしながらアリスローザは華奢なドレスに付けるのには少し不似合いな燻し銀の丸くてごついペンダントにそっと触れた。
別れるときにクロードが持っていてくれと彼女に託していったもの。そして……触れるだけのくちづけを交わしたのだ。
ふふ、とアリスローザは微笑む。自分もクロードもまだまだ子どもだったのだ。二年前自分は十七、クロードは十五だった。今ならどうなのだろう、もっと自分の気持ちに正直になれたのだろうか。
王の資格を持ちながらそれをあっさり捨てて旅立っていった少年のことを、アリスローザは今も忘れることができないでいる。
月の光を溶かし込んだような髪、深い湖の底のような美しい瞳の少年を。
揺らがないそのまっすぐな横顔を。