存外
今日は人類史に必ず刻まれるであろう一大イベントが起ころうとしていた。人類の夢、タイムマシンの発表である。初めは途方もない空想の機械だったが、時代が進むにつれて様々な研究が行われ、人類は徐々に時の秘密を解明していった。長い年月が費やされた。途方もない労力が注がれ科学者たちは弟子に夢を託し、また当時の一般大衆もタイムマシンが完成した未来を夢見て死んでいった。
そしてようやくタイムマシンは小説や映像の中から飛び出し、人類の目の前に形となって現れたのである。
「ついに完成したぞ」
「未来はどうなっているのだろう」
「未来よりもいまだ解明されていない過去の人類史の闇を探求するべきだ」
人々は実物を目の前にしてその使用方法を様々に妄想した。しかし今度は妄想では終わらない。手の届く位置に夢が存在しているのだ。
そのタイムマシンは銀色に光り輝く卵型のボディで、中に入った人物を未来や過去へ送る乗り物であった。時間移動が行われればタイムマシンもこの現在からは消えてなくなるが、中の操縦者がボタンを操作すればすぐにでも戻ってこられる。帰ってくる時間を出発した時間と同じにすれば現在の人間には一瞬で消えてまたすぐに目の前に戻ってくることになるので消えている間に現在の人間がやきもきすることもない。
やがて開発に携わった物理学者の中から一人の博士がタイムマシンのパイロットに選ばれ、試験的に過去へ向かうことになった。大々的な調査は後にして、とりあえず一時間前に戻ってみようというのだ。発表会に伴ったその実験が今、多くのメディアを集めての記者会見場で行われようとしていた。
「それでは時間への跳躍という、人類による栄光ある第一歩を踏ませていただきます」
そういって彼はタイムマシンに乗り込んだ。記者や科学者の、テレビやネット放送の奥での、興奮と期待に満ちた計り知れない数のまなざしに見送られながら時間旅行に出発した。
博士が鮮やかな手つきでタイムマシンを操作するとタイムマシンは一瞬で消えた。
「さあこれが一時間前の世界だ。まだ場所の指定まではできないから、さっきの会場と同じだがまだみんな設営準備をしているに違いない。目の前に現れたら驚くぞ。しかし私も会場にいたが、一時間前にタイムマシンは現れなかったな。まだ時の秘密には解明されてない不思議があるものだ。それも今後この機械のおかげで分かってゆくことだろう。さてちょっと窓から外の様子を見てみるとするか」
そういって博士はタイムマシンの窓をのぞき込んだ。その途端、博士は驚愕した。
「な、なんだこれは! 真っ暗じゃないか! 一時間前でも電気はついていたはずだぞ……」
驚くのも無理はない。窓の外に広がるのは黒。黒さは宇宙空間の比ではない。宇宙なら数多の星々が見えるが、外には全てを飲み込んでしまいそうな闇しかなかった。
博士は慌ててタイムマシンの外付けのライトのスイッチを入れた。暗いだけなら照らしてやればいい。しかしその光も何にもならなかった。外は暗いままだった。ライトの故障ではない。光が反射するものが何一つとして存在しないのだ。だから博士の目にも何も映らない。無慈悲な深淵だけがそこに横たわっていた。
「これはどういうことだ。やはり過去へ向かって時の流れを乱してしまったためにタイムパラドックスが起きて全てが無に帰ってしまったというのか。私は何ということをしてしまったのだ。いや、それだとしてもこの後私はどうなる……。なぜ残っている……」
博士は頭の中で長年のタイムマシン研究から何か納得できそうな答えを探したが、何一つ満足できるものはなかった。やがて博士は不安になってきた。ひょっとしたら時間の流れから外れたために一生このままなのではないか。死ぬこともできず永遠に……。
博士は半狂乱になって叫んだりドアを叩いたり自分を殴ったりしたが、何も起こりそうにはなかった。暴れ疲れた博士がふと壁を見ると、出発前に設定した時計があった。出発時の一時間前に設定されており、この時計が出発時刻と同じ時刻を示したら自然の時の流れによって自動的に現代に帰ってきたことを示すわけだ。
そうだ、ひょっとしたら一時間たてば自動で帰れるかもしれない。時計はいつの間にか五十分も過ぎていた。あと十分立てば出発時刻だ。
淡い期待を抱きながら博士はじっと待った。やがて時計が五分前を示した瞬間だった。
窓の外が明るくなったかと思うと一瞬でタイムマシン発表会の設営会場が出現し、人々の騒めき声まで聞こえてきた。博士はまた狂ったように、しかし喜んでドアを開けて外へ飛び出した。元の世界に戻ってこれたのだ。周りの人々は拍子抜けしたような顔をしている。
「どうしたのですか、博士。一体何が……」
「私にもわからん。今より五分後の時間から一時間前に飛んだのだが何も存在しない世界があった。そして出発時刻の五分前になった途端こうして目の前に世界が現れたのだ」
「それはひょっとして世界五分前仮説……」
記者の誰かがそう、呟いた。
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