3. 「語る」という行為のプロセス
本稿では、「語る」行為がどのような段階を経るかについて観察し、ラフなスケッチをしてみようと思う。こういう話は、もしかしたら心理学で既に言及されているものかもしれない。だが私はあいにく心理学には馴染まないので調べる気にはなれない。そもそも私は心理学的なアプローチをする気もない。私はただ、そこに普遍的に存在する事象を整理したいだけである。
「1. 語るということ」の中で、私は以下のような例を用いた。
『例えば、目の前のリンゴを見て「リンゴがそこにある」と語る場合を考えよう。この時、対象物がリンゴであると語り部が錯覚しただけで、それは赤く塗られた梨かもしれない。あるいはリンゴの光情報が発せられてから発音するための筋肉が動くまでの間にリンゴが消失している可能性は、否定できない。』
これを情報を処理する段階ごとに整理すると、以下のようになるだろう。
『環境の存在 → 観察者による環境の受容 → インプットされた情報の整理 → 情報の解釈 → 行動の決定 → 観察者による環境への働き → 環境の変化 → 環境の受容 → <以下略>』
これが、私が現時点で考える「語る」という行為のプロセスである。人はこのプロセスを繰り返すことで語り、そして騙る。
全ての段階について解説しようとは思わないが、これらの段階は全て人間の構造で分けたつもりである。「環境の受容」は感覚器及びそこにある分子機構、「情報の整理」は感覚器から脳内の各領域への分配、「情報の解釈」は脳内ニューロンネットワーク、「行動の決定」は脳内の意思決定部位、といった具合である。
私観を述べる場なので好きなようにさせて頂くが、生物の形に機能があるのであり、想定した機能を形に当てはめるべきではない。ハルキゲニアが良い例だ。ハルキゲニアは棒状の体の片端に球状の構造があり、背側に棘が並び、腹に触手の生えた古代生物である。当初は棘が脚であると考えられていた。しかし後年、形を観察することで棘と触手の機能が分かり、上下が特定された。また最近の研究では、球状の構造とは反対側の頭部に口が見つかっている。
繰り返すが、形は機能を如実に表すものである。キリンの首が長いのは、神様に伸ばされたからではない。高い所にある葉を食べるためのものだ。より正確に言えば、首の骨を長くする遺伝子を持つ個体が自然選択されることで、個体群の首の長さが伸びたのである。妄想に理屈をつけて形を解説すべきではないし、ましてや形にも見られないのに妄想を連ねるのはナンセンスである。まず目の前にあるものから話を始めるべきだ。
ここまでで「語る」という行為のプロセスを定義した。次に浮かぶのは、「騙り」はどこで生まれているのだろうかという疑問である。次回はこれについて考えてみたい。