飛行機編
名残惜しげに地面と別れを告げ、それは空へと向かって一直線に飛び立った。
その瞬間の、ふわりと宙に投げ出されるような感覚………たまったもんじゃないいい!
「死ぬううううううう!!」
死ぬ。これは本気で死ぬ。
いまだかつて味わったことのない恐怖に私は低い雄たけびをあげた……が、そんな魂の叫びにも隣人は極めて冷静な突っ込みを入れてくる。
「いや、死なないから。他のお客さんの迷惑だから黙ろうね」
「いやいや、だってなんかフワッとしたし! そもそもこんな金属の塊が空を飛べるわけないんだよ! 今日天気も悪いし……これ絶対墜落するよ!」
「縁起でもないこと言わないの。ていうか、それ絶対一昨日見た映画の影響だよね? 心配しなくても、あんな映画みたいに墜落することなんてまずないから。それよりもほら、見なよあのCAさんの目。あんまり騒ぐと空から放り投げられるよ」
その言葉に顔を上げてみれば、CAのお姉さんだけじゃなく、他の乗客の皆さんも若干迷惑そうな顔でこちらを見ていた。うぐぐ、なんだか申し訳ない。
予習をしておこうと思って、映画を見ようとしたのがそもそもの間違いだった。『ひとまず飛行機が映っているならなんでもいい』とか言った過去の自分を殴りたい。あんなもん見るんじゃなかった。
「うぅ、ごめんなさい。で、でも、みーちゃん。なんか耳がおかしいんだ。これ何かの病気?」
私の死にそうな声を聞いたみーちゃんこと立花瑞樹は、苦笑いを浮かべながら治療法を教えてくれた。
「それは気圧の変化が原因で起こる現象。あくびをしてみるといいらしいよ」
「ほおあああああ!!!」
「……思ったより豪快だね」
「お? おお、治った!! みーちゃんありがとう。命の恩人だよ!」
「それはどういたしまして」
さすがみ―ちゃんである。やれやれといった風に首をすくめる幼馴染に、思わず尊敬の眼差しを向ける。
『みなさま、ただいまベルト着用サインが消えました――』
「あ、もうこのベルト外してもいいの?」
「まあ、一応そうだけど……何、トイレにでも行くの?」
「いや、せっかくの初飛行機だし探検を――」
言いかけたところで頭に重しが乗せられた。なんだなんだと見上げれば、そこにはにこやかにほほ笑む幼馴染の顔が。
あいやだ、近年まれにみるいい笑顔じゃねべか。
だが、私の頭を押さえつける手に、やけに力が込められているのは気のせいだろうか。
それもなんかミシミシいってる。い、痛い! 地味に痛い!
このまま飛行機の底を突きぬけて、地上に落下しそうな勢いだ。
「うん、恥ずかしいから黙って座ってようね。あんまり騒いでいるとCAさんの代わりにそこのハッチから外に放り投げちゃうよ」
「ごめんなさい、席でおとなしくします!」
にこやかな顔で斜め前にあるハッチを指す姿に、本能的に返事を返した。まずい。この目はマジだ。
そういえば例の映画でも悪い奴らをあそこから落っことしていた。もしかしてあのハッチは本来そういう用途に使うのか。な、なんて恐ろしい。
映画のワンシーンに重ねるように、あそこから自分が放り出されるのを想像して……全身の毛という毛がブワッと逆立った気がした。もはやあの無機質なハッチが地獄の門にしか見えない。フライト中あそこに近づくのはやめよう。前を通ったらなぜかいきなり開きそうな気がしてならない。
初っ端からそんな恐ろしい想像に駆り立てられたこともあり、一気に私のテンションは急降下してしまった。
とはいっても、せっかくの初飛行機。少しでも気分を変えるために窓の外を眺める。
ちなみに心優しい幼馴染は、自身もきっと窓際に座りたかっただろうに、『別にどっちでもいいよ』と私に窓際の席を譲ってくれた。ホント優しすぎるぞ、み―ちゃん。そんなんでこの弱肉強食の社会を生きていけると思っているのかい? 君の幼馴染は心配です。
分厚い窓の向こう側にあるのは、視界いっぱいに拡がる白い靄だ。そう、私は(正確にはこの飛行機は)今雲の中にいるのだ。
子供のころ夢見ていたのとは違い、現実の雲は綿あめのように食べられるわけでも、まして触れるわけでもなかった。
『大人になったら、あの空いっぱいにある綿あめの食べ放題をしたいです!』と幼稚園の卒業文集もどきに何の疑いもなく書いていたのが懐かしい。
昔の私、なかなかのばがげだな。
もう高校生だし、そんなことはありえないという知識はもちろん持っていたが、こうやって現実を見せつけられると、ほんの少しだけ残念な気分になってしまう。
だが、雲の切れ間から臨む地平線の姿は、昔の私のちっぽけな夢なんて霞むくらい壮大で素晴らしいものだった。そんな空の素晴らしさを堪能している間に、さっきまでの恐怖もどこかへいってしまった。
今はただ、隙間から時折垣間見える青と白のコントラストを楽しむことにしよう。
そうして私はしばらく時間をつぶしていたが、そういえば幼馴染は退屈していないのだろうかとふと気が向いた。
反対方向を向けば隣人は持参した文庫を開いて、静かに読書を始めていた。むむ、さすがの貫録と言わざるを得ない。
高校生のくせになぜか時代小説愛好家の幼馴染こと“みーちゃん”は、私のいとこでもあり、今回の東京観光についてきてくれた保護者的な存在でもある。
そう、この日のために、私は小学生の頃からコツコツお年玉を貯金してきた。幼いころテレビでやっていた大都会東京の特集を見て以来、私の知っている田舎とはあまりに違うその様相にずっと強い憧れを抱いていたのだ。『都会さ行ってみたい!』それがいつのころからか私の口癖になっていた。
だが、ようやく資金も貯まって憧れの都会を拝むことができる思った矢先、ひとつの問題が発生した。
一人で大都会に乗り込もうと意気込む私を、両親をはじめ友達、ご近所さん、果ては学校の先生まで全力で止めてきたのだ。いろんなことを言われたが、最も多かったのは『真子、あんた1人で行ったら絶対生きて帰ってこれないよ』という恐ろしい予言だった。
つまり私だけだと野垂れ死ぬということか。一体どんな危険地帯なんだ都会。
そんな早くも挫折しそうだった私の夢に現れた救世主が、み―ちゃんだった。『ほかの人ならともかく、真子だけだと心配だからつきそうよ』という言葉に、周囲も『瑞樹なら安心だ』と手のひらを返したように快く送り出してくれたのだ。
なぜ同じ高校生であるはずのみ―ちゃんと私の間にここまで信用の差が生まれたかというと、なんとこのみーちゃんは小さいころ大都会東京に住んでいたことがあるのだ。
……なので、決して私個人に問題があるわけではない。
まあ、都会在住経験ありというだけで田舎県のさらにど田舎の村にずっと住んでいた私たちとは格が違う。当時小学生にしてパソコンも携帯も使いこなすみ―ちゃんは、都会からやってきた黒船のようなものだった。
もちろん、そんなスーパー都会人のみ―ちゃんとスーパー野生児と呼ばれていた私がこうやって仲良く旅行に繰り出すまでは、聞くも涙語るも涙の道のりがある。
全編を語ると三日三晩では足りなくなるので、端的に説明しよう。当初のみ―ちゃんはいわば引きこもりだった。それをいとこのよしみで連れ出したのが私である。
最初の頃は、それはもう大変だった。
カブトムシ狩りをしようとすれば『無理、触れない』川で泳ごうとすれば『無理、危ない』山菜採りも田植えも作物の収穫もろくできないし、カエルを見るとビービ―騒ぎ出す。今まで生きてこられたのが不思議なくらい、当時のみ―ちゃんはダメダメだった。
そうなると『これだから都会もんは軟弱で困るわ!』と近所のガキ大将がちょっかいかけてくるのも必然だった。そして私が『うちのいとこに何しとんだコラァ! 戦争じゃああああ!』と果たし状を叩き付けるのも当然だった。
そして、3か月にも渡る激闘の末、最後に立っていたのはもちろんこの私だ。それ以来、み―ちゃんは私の良き子分であり、参謀である……いや、であった。いまやその立場は完全に逆転している。
いい加減外を見るのも飽きてきた私は、手慰みに座席周りについているあれこれを鼻歌交じりにいじっていた。そして席が倒れたり、ライトが付いたりとおもしろ機能満載の座席に夢中になっているうちに、何も考えずにそのボタンを押してしまっていた。
「ん? んんー? このボタンはなんに使うのかな?」
「あ、押しちゃ――」
私の浅慮な行動に気付いたみーちゃんが何か言おうとしたが一足遅かった。
恐る恐る隣を見ると、額に手を当てあちゃーという顔をしている幼馴染がいた。その時点でもういやな予感しかしない。過去の経験からもわかる。
まずい。私は今、何かやらかしたに違いない。
これは正解を聞くべきか……若干勇気のいる判断に迷っていると、ニッコリ顔のお姉さんがやってきた。
「いかがなさいました、お客様?」
「へ、え……何が?」
「すみません、間違えて押したんです」
何がなんだかわからない私があたふたしている間に、申し訳なさそうな顔をしたみ―ちゃんが代わりに対応してくれた。はて、どういうことだべか?
「そうでしたか。それでは失礼しますね」
来た時と同じようにニッコリ笑って去っていくお姉さん。しかし、なぜだろう。なんとなく来た時より目が笑っていない気がする。
スタスタ戻っていくその後ろ姿を見送ったみーちゃんは、やけに真剣な表情で私のほうを振り返った。
「イエローカード一枚だね。真子は今CAさんのブラックリストに載ったよ」
「え、えええええ!?」
「真子が押したのはCAさんを呼び出すボタン。あーあ、きっとあのお姉さん『あの小娘さっきから問題起こしやがって。次何かしたらパラシュートなしのスカイダイビングをさせてやる』とか思ってるよ」
「そ、そーなの!? え、え、謝ってきたほうがいい?? 土下座する?」
そんなに怒らせてしまったのか。だが、確かに言われてみれば、お姉さんの周りには、心なしか冷気が漂っている気がする。むしろそこまでの怒りを押し殺して笑顔をつくるお姉さんのプロ根性に脱帽である。
……そういえば、あのお姉さんの席はハッチのすぐ隣だ。
い、いやいやいや、いくらなんでもお客さんを外に放り投げるなんてそんな、そんなことって……私は知っているぞ。あの物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありませんなのだ。
だから、だから、きっと全力で謝ったら許してくれるはず! 我が家に伝わる一子相伝の土下座(時々父がやっている)を披露すればきっと!
だが、そんな儚い願いも虚しく、悲壮感さえ漂わせたみ―ちゃんは、静かに首を横に振った。
「いや、それは逆効果になるかもしれない。まずは、あのCAさんをこれ以上刺激しないことが何より大事だよ……いい真子? あと一回、あと一回何か問題を起こしたら終わりだよ。死にたくなかったらこれ以上騒ぎを起こしちゃいけない。ねえ、小さいころから憧れていた都会に行くんでしょ? こんなところで夢半ばに潰えていいの?」
え、これ本当に死ぬの? そんなに重罪だったの?
でも『嘘だろが』と笑い飛ばすには、あまりにもみーちゃんの顔が真剣すぎた。
こんなに真剣な表情は、うちの五郎(犬)がふざけてみ―ちゃんを噛んだ時以来だ。その後行われた恐怖のしつけ教室は、ご近所でも伝説となっている。
猛獣使いみ―ちゃんの名は瞬く間に広がり、やんちゃな子は立花さんちの瑞樹に任せれば、『あら不思議。なんていい子ちゃんでしょう!』と驚くべきビフォーアフターを遂げることで有名だった。その時のブリーダーのアルバイトで今回の旅資金を稼いだというのだから、み―ちゃんも成長したものである。
ちなみに、うちの五郎は今でもみーちゃんと対面すると、お腹をさらす絶対服従ポーズを崩さない。
でも、離陸中もフライト中も常に死と隣り合わせって、飛行機ってどんだけデンジャラス!?
混乱する私をよそに、み―ちゃんはとどめの一撃をさしてくる。
「真子、これは夢でも訓練でもない。現実なんだよ。まさかお遊び気分で飛行機に乗ったわけじゃないよね?」
完全にお遊び気分でした。
もはやそんなこと言えない迫力に、私は己の失敗を悟った。
なんてことだ。大した心構えもなく乗った結果がこれだよ。私には覚悟というものが欠落していたんだ!
まさか、まさかこんなに早く人生退場の危機を迎えることになるなんて!
田舎の皆が言っていた通り、私一人だったらきっとここで脱落していたことだろう。それだけ都会への道のりは険しいということだ。
「わかってくれたらそれでいいよ。こっちだって、こんなところで真子を失いたくないしね」
ブンブンと勢いよく首を横に振る私の無言の返事に満足したのか、み―ちゃんは少しホッとしたようにポンっと私の頭を一撫でした。
その献身に、もはや涙しそうである。
持つべきものは素晴らしい幼馴染。これに尽きる。ここにみ―ちゃんがいてくれて本当にいがった!
ちなみに、そんなシリアスな場面にもかかわらず、先ほどから笑い声の様なものが聞こえてくる。おそらく前の席の人だろうが、まったくもってお気楽なものである。
空気を読め! こっちは今まさに生きるか死ぬかの瀬戸際だぞ!
その後、私は約束通り近所にあるお地蔵さんの如く身を固くして席でおとなくしていた。だが、厳しい自然の中寂しく立ち続ける彼らの心境を理解出来そうになったところで、唐突に私の孤独は破られた。
カーテンの奥から現れたお姉さんが、ワゴンを押しながら狭い通路をこちらに向かって歩いてきたのだ。
そしてカーテンに一番近い私たちの席の前でお姉さんは立ち止まった。
「お飲物は何になさいますか?」
「コーヒー。ブラックで」
野生の熊に遭遇した時の兎のごとくビビる私の横で、み―ちゃんは阿吽の呼吸でそう答えた。
ど、どでんした。なんかみーちゃんが異常にかっこよく見えるんだが。
まるで新婚夫婦の『おかえりなさいダーリン。ご飯にする? お風呂にする? それともわ・た・し?』、『ふふ、そんなの決まっているだろ。もちろん僕は君一筋さ、マイハニー』という人生で一度は使ってみたい桃色フレーズを彷彿させる、スマートで淀みのない返答だった。
しかもコーヒーのブラックときた。近所の皆さんも言っていたが、この無駄な貫禄といい常に冷静な態度といい本当に高校生か疑いたくなる。
「かしこまりました。そちらのお客様はいかがなさいますか?」
いや、いかがと言われても。
どうやら飲み物を頼めばいいようだが、まだまだ旅も始まったばかりだし、じぇんこも節約したいところである。
「え、えーと、じゃ、じゃあ水で!」
元気よく答えた私に、み―ちゃんの視線は一瞬何かを思案するように宙をさまよってから、ワゴンと私の間を数往復した。その後、何とも言えない微妙な表情のままそっと口を開く。
「……真子、ちなみにオレンジジュース頼んでもタダだよ」
「ええええ、なんで? じぇんことられないの?」
好物のオレンジジュースが、タダ? なんだ、もしかしてここはパラダイスか!?
驚愕に固まる私に対し、み―ちゃんは幼子に言い聞かせるようゆっくり語り掛けてくる。
「これも飛行機代の中に含まれているんだよ」
「な、なん、だと……!?」
なんていうサービス精神。すごいな飛行機は。気分は一気にセレブである。
「ふふ、ではオレンジジュースでよろしいでしょうか?」
「あ、はい、よろしいです!」
「お客様は、飛行機に乗るのは初めてなのですね」
「は、はい、そうなんです! さっきはすみませんでした!」
「いえいえ よくあることですから」
にこやかな笑顔で許してくれるお姉さん。なんていい人なんだろう。いろいろと失礼なことを考えてしまったのが、逆に申し訳ない。
とはいっても、私の前科が消えるわけでもないのだ。念のため『おかわりは何杯までいけますか?』という質問は自重しておこう。
これ以上問題を起こして累積退場になるのは勘弁願いたい。
「む、無理無理無理無理無理! これは……ふが、んごっふ!!」
だから着陸の時も叫んでしまったのは、決してわざとじゃないんだ。
「はいはい、大丈夫だよ―。大丈夫だから静かにしようね―」
棒読みのお手本のようなやる気のない声とともに、我が幼馴染様は容赦なく口を塞いでくれた。しかも私より一回り大きいその手のせいで、無情にも口どころか鼻まで一緒に塞がれてしまった。
違う意味で生死の境を彷徨ったのは、もはや述べるまでもないだろう。
やっぱり都会への道のりというのはよいでねーな……
はじめましてorお久しぶりです。jadeです。
大体この物語の6割ぐらいは筆者の実体験?というか実感想です。
残りの4割は誇大妄想なのであしからず。
最初は全編方言で書こうと思ったけど、多分筆者を含めて読む人全員が意味わからん状態になるだろうからやめました。
もし1話目だけで出身地がわかったらすごいです。