第8話 王都ローラン
エミリアに連れられて5分ほど歩くと、漣はもう自分がどこにいるのか、分からなくなっていた。
「あそこが商業ギルドの建物、であっちが東のバザールよ。朝10時頃から、夕方5時くらいまでやってるわ。で、この道をずっと行くと、、、」
「ちょっと待って、エミリア。もう分け分かんないよ。」
「エミー。あたしの事はエミーでいいわ。あなたよっぽど田舎から来たの?人ごみ珍しいんでしょう?」
お前達より、よっぽど慣れているよ。言い返したい漣であったが、なんせ今どこにいるかはさっぱりである。特にこの旧市街区は、太い通りと広場の間を細い路地が縦横無尽に走っており、道を知らない漣に取ってはまるで迷路のようである。
「エミー、無理。初めて来て、道覚えるの。」
なぜかファナも一緒にいた。
「今日はもう大事なとこだけでいいから。それよりちょっと休まない?」
漣としては朝から馬に乗って、やっと昼前にここに付いたところだ。昼飯は早い時間に食べたとはいえ、そこからあちこちひっぱり回されてもうくたくただった。おまけに周りの屋台はいいにおいをさせている。
「あれな何を売ってるの?おごるよ。」
「おごる」の一言に、ファナも積極的に屋台に近づいていく。
「ケバブね。薄切りの肉を何枚も重ねて焼いて、端から削ったやつをパンに挟むの。美味しいわよ。」
どうやら元の世界のドネルケバブみたいの物か。それなら大好物だ。
「おやじさん、3つ下さい。」
「おう、6クローネな。」
一つ銅貨2枚。まあ、そんなに高い物ではないだろう。受け取って三人で中央の噴水を囲む低い石造りのふちに腰掛ける。
手に持ったそれに、思いっきりかぶりつく。うまい、肉汁がじゅっとあふれて、パンにしみ込んだそれがさらに食欲を誘う。
隣に座ったファナは、もう既にむしゃむしゃかぶりついていた。
「あんたってどこの出身?見ない髪の色だし。」
隣に座ったエミリアが聞いてくる。確かにあたりにはいろんな髪の色の人がいるが、漣のように黒髪は見ることが出来ない。
「う~ん、ずっと東の方かな?」
漣は聞かれたらそう答えろと、アーロンに言われていたとおりに答えた。
「東って言うと、ベルグスト公国?あそこ出身の人もそんな色をしている人は知らないわよ。」
「えっと、もっとずっと東っていうか、、、」
「もっと東?なんて言う国なの?あそこより東って、国あったっけ?」
やばい、これ以上の事はアーロンに聞いてなかった。今とっさに答えても、すぐばれそうだし、、、
「ごちそうさま。」
ファナがまことにいいタイミングで食べ終わり、立ち上がってパンパンと手を払う。漣は切り上げるタイミングとばかり一緒に立ち上がった。
「さあ、そろそろ行こうか?」
「ちょっと、あたしまだ、、、」
そう言って歩き出した漣に、横から何かが勢いよくぶつかってきた。ぶつかってきた物はそのまま横に弾き飛ばされ、道に転がる。
「おい、大丈夫かい?」
漣にぶつかってきたのは、まだ10歳くらいの汚いなりをした男の子だった。気遣う漣の言葉を無視し、漣の方をきっとにらむとそのまま人ごみの中に消える。
「レン、財布は!?」
「あっ、無い!!」
アーロンにもらったお金は用心のためいくつかに小分けして持っているのだが、そのうちの一つをポケットに入れていたのが見当たらない。
「今のガキ、スリだ。追いかけよう」
エミリアはそう言うと前に飛び出した。漣とファナも後に続く。子供の足なのでまだそんなに遠くに行っていなかったのか、漣はさっきの少年が二つ向こうの角を曲がるのが目に入った。
「先に行く。」
漣はそう言うとエミリアを追い越して、走って角を曲がった。
急いで角を曲がった漣の目に飛び込んできたのは、蹴り飛ばされて壁際に倒れているさっきの少年と、そのそばに立つ金髪の二人の男女だった。
二人ともまだ若く、男の方は漣より少し年上、女の方は、漣と同じくらいか?
「そんなにあわてて今度は何をした?又スリか?今度したらどうなるか分かっていたんだろうな。」
男はそう言うと、腰に差している細身の両手剣をすらりと抜き放つ。女の方は一歩下がったところでじっとそれを見つめたまま、何も言わない。
少年は、身を起こすとおびえた様子で壁際まで後ずさりした。
「おい、ちょっと待ってくれ。そいつが何かやったのか?」
漣は思わずその2人組に、声をかけた。
「この路地に慌てて駆け込んできて彼女にぶつかったんだ。追いかけてきたお前を見るに、財布をすられたんじゃないのか?」
確かに財布をすられたのは事実だが、相手を確認した訳ではないし、何よりそれだけで刃物を持ち出すのはちょっといきすぎだ。
「確かにそうだが、お前はそんな小さな子に剣を抜いてどうするつもりだ?」
「こいつは以前、俺の財布をすろうとした。そのときはこっぴどく殴るだけですませてやったが、こんどやったら腕を切り落とすと言っておいたのさ。だから、そう言う事だ。」
「ちょっとまて、すられたのは俺の財布だし、お前には関係ないだろ。」
漣はそう言って少年をかばおうとした。
「こいつはスラムの人間だ。スラムのやつは、生きるためなら何だってする。少々懲らしめも必要ってやつさ。」
男はそう言って、こちらを睨みつける少年の方へ近づいて行く。漣にとっては確かに財布をすられた相手だ。しかしそのくらいでこんな目に遭わされたら、自分の寝覚めが悪い。というか、財布をすったくらいで腕を切り落とす?あり得ないだろ?普通。
思わず漣は男と少年の間に走り込んだ。
「どういうつもりだ?」
自分の前に立ちはだかった漣を見て、男は声を荒げた。
「どういう事って、やりすぎだろ。」
漣がそう言って男を睨み返したとき、先ほどの角をエミリアとファナが走り込んできた。
「レン、捕まえた?って、アレクシス?あんた何やってるの?」
突如二人が相対している場面に飛び込んできたエミリアは、レンに剣を向けているのが自分のよく知る人物なので、びっくりして声を出した。
「「エミリア!!」」二人の声がかぶる。
「なんだ、エミリアさん知り合いですか?」
漣に対するのとは打って変わった丁寧な口調で、アレクシスと呼ばれた男がエミリアに声をかけた。
「うちの新入りよ。レンっていうの。それよりどうしたの?その子は?」
エミリアの登場で、その場の注目が少年から外れたとたん、少年はその場から逃れようとばっと駆け出した。
「ファイア!!」
後ろに立っていた金髪の女が短い詠唱を口にしたとたん、一筋の炎が少年の目の前に到達し、少年は危うく飛びさすって難を逃れる。
「ちょっと、アローラ!!」
エミリアのその声も漣の耳には届かなかった。無詠唱?法術の詠唱にしてはとても短い。たった一言で、彼女は術を完成させた。
「詠唱省略。彼女は火の中級法術が使える。優秀。」
漣のびっくりした顔に、そばにいたファナがそう答える。
「レン、どういうこと?説明しなさいよ。」
エミリアの言葉に、漣は今までの事をかいつまんで話した。
「アレクシス、今回は引いて。あなた達には何の被害も無かったんだし、こっちのことはこっちでするわ。でも捕まえてくれて、ありがとう。」
「エミリアさんがそういうなら、僕には何の異存もありませんよ。アローラがちょっとぶつけられただけだし。いいね、アローラ。」
そう言ってアローラの方をアレクシスは向いた。
「ええ。エミリアの言う通りにするのはちょっとむかつくけど、いいわ。アレクシスがそう言うのなら。」
そういって、アローラと呼ばれた少女はアレクシスのそばに並ぶ。
「はいはい、それじゃ行って行って。」
手をひらひらと振るエリシアにアレクシスは名残惜しそうに声をかける。
「エミリアさん、今度又、、、」
「機会があればね。」
「アレクシス、行きましょう!!」
三者三様の言葉を掛け合って、金髪の二人はその場から去っていった。
「エミー、今の奴らは?」
エミリアの知り合いみたいなので、漣は興味を覚え尋ねた。
「男の方は、アレクシスといって、貴族のボンボンよ。両手剣の使い手、火の法術師。法術の方はぱっとしないけど、剣の腕はいいわよ。女の方はアローラ。火の法術師で中級まで扱える。うっとうしいやつだけど、そっちの腕前はなかなかね。弓もいけるわ。二人とも、サンドライン傭兵団のやつらよ。」
「アレクシスはエミーの事が好き。アローラはアレクシスが好きで、エミーが嫌い。」
「ファナ、余計な事言わないで!!」
エミリアが赤い顔をして、ファナに怒鳴りかかる。どうやら複雑な三角関係のようだ。
「サンドライン傭兵団って?」
「兄ちゃんなんも知らないんだな。この街で一番でかいつらをしてる奴らだよ。いけすかねぇ。」
漣の問いに、勢いを取り戻した少年がかわって答える。
「そうよ、傭兵団の規模では一番大きいわ。うちが50~60名規模なのに対し、あちらは約3倍150名くらいはいるわね。もちろん、質じゃ圧倒的にうちが上だけど。」
妙にさっきのやり取りに納得した漣は続けて腕を組んでふくれている少年の方を向いた。
「さて、とりあえず返してもらおうか?腕は無事だったんだし。」
漣はそう言って少年に詰め寄った。
「ちっ、ほらよ。とりあえず礼を言うよ。」
そう言って漣からすりとった財布を、少年は投げて寄越した。
「他のも出しなさいよ、あるんでしょ?」
そう言ってエミリアがすごむ。少年はそんなエミリアを見て、胸元を押さえつつ首を振りながら後ろへ下がる。
「べつにお前らのじゃないだろ!!俺には金がいるんだよ。養わなきゃいけないちびがたくさんいるからな。」
「衛兵に突き出すわよ。」
「やれるもんなら、やって見やがれ。おばさん!!」
「キーっ、こんなやつ助けんじゃなかったわよ。」
「まあまあエミリア、そのくらいにしといてやれよ。」
漣は苦笑いをしながら、思わず助け舟を出す。自分の金は戻ってきた訳だし、他の誰がとられたのかは分からないが、知り合いでもない。自分は正義の味方ではないし、衛兵に突き出しても悪くするとそいつらの小遣いになるだけだ。漣はその辺はきわめて現実的だった。
「ちょっと待ってな。」
漣はそう言うと、先ほどの角を曲がって駈けていった。
しばらくして戻ってきた漣は、その腕に先ほどのケバブを10ほど抱えていた。
「ほら、やるよ。ちび達に持ってってやりな。」
「兄ちゃん、ありがとうよ、俺はアルトってんだ。お前いいやつだな。でも気をつけろ、あんましお人好しが過ぎると生きていけないぜ。」
「肝に銘じておくよ、俺はレンだ。碧の旅団にいる。またなんかあったら来いよ。」
手厳しい教えを説いてくれたその子供の後ろ姿に、漣はそう声をかけると2人の方を振り返った。
「帰ろっか?」
「はいはい、あんたはほんとに甘いわね。もういいわ、今までそれでよくやっていけたわね。」
「レン、男にも優しい。バカ?」
二人から散々な評価を得て、折れそうな心をやっとの思いで立て直し、エミリアの後を追いかける漣であった。