第3話 鍛錬の始まり
右から来る刺突を跳ね上げ、返す刀で横へ薙ぐ。しかし相手はもうそこにはおらず、空いた左脇腹に一撃が叩き込まれる。
「フェイントは何も一つとは限らんぞ。でも、力押しの癖は大分直って来たな。」
「今日も一本とれなかった。やはり、アーロンは強いよ。」
「でも、昨日はレンに一本やられたろ?早々負けないさ。漣は力があるから、少々この剣は軽いかもしれんな。」
「両手剣の方がいい?」
あれから半年以上が過ぎた。言葉は日常会話なら、何の不自由もなく使え、何か考える時もすでにこの国の言葉で考えている事にふと気づくこともある。
文字も書けるようになり、それから始まったのが武器の扱いだった。
「お前はその方がいいかもしれんな。でも両手剣となると、俺はあまり教えることができない。基本は一緒だ、とりあえず片手剣を身につけておけ。」
「分かった。じゃ、もう一本。」
スピードと力はどういうわけかアーロンを上回るものがあるにも関わらず、技の切れではその足下にも及ばず、今のところ相手のいいところに入ったのは数えるほどしかない。
言葉と文字がなんとかなった辺りから、アーロンの地獄のしごきが始まった。
それは、この世界の知識。一般常識に加えて、教養、料理からはたまたなぜこんなことを知っているかは分からないが宮中の作法にまで及び、加えてダンスのレッスンにまで及んだ時、思わず漣は聞いた。
「なんでこんな事までするの?」
「何が必要になるか、分からんだろ?特にお前は。」
ある程度会話が可能になったところで、漣はアーロンに今までのいきさつを話した。おそらくはこの世界の住人ではない事。むこうの世界の生活。突然こちらに現れた経緯。
普通に考えると到底信じてもらえそうにない事をなぜかアーロンは何一つ疑わず、漣の言葉を信じた。
それで、この世界で生き延びるために必要だと言って、いろんなことを漣に詰め込み始めたのだ。
最初は生きて行くためと思い、必死で付いて行ったが、今まで機械の手助けを得て行っていた事がこんなにも難しい事だとは。日が落ち食事が終わると体を拭き、そのままベットに倒れ込む日々が続いた。
アーロンから教えてもらった知識によれば、今漣たちのいるこの国はシャイア王国という。この世界の三大大国の中では最も小さいが、文武両道にすぐれ
学問、そして法術の研鑽がさかん。そう、この世界には法術と呼ばれる魔術のようなものがあり、法術師と呼ばれる者はそれを自在に操るという。
アーロンは残念ながら法術は操れず、法術師自体が非常に数少ないという事だ。アーロンの見立てでは、漣にもその能力はなさそうとの事。もちろん別の世界の人間なので突然そんなことができる訳もないだろうけど、ちょっと残念な漣であった。
シャイア王国の王都はローラン。武術にも優れた者が多く、二年に一度開かれるローラン武闘大会は世界各地より腕自慢が集まるらしい。
隣の国は聖エルランジェ王国。三大大国の一つで、光の女神ルアナを信奉するルアナ教の総本山。聖都はパールベック。
強大な力を持つ不死の軍団白銀騎士団をもち、領土拡大にも野心を持つらしい。
日本にいる時から宗教に関わるのは、クリスマスと初詣の時くらいの漣にとってはなんだかうっとうしそうな国である。
北の方に広がるのはシルダリア帝国。軍備増強に余念がなく、この国とも国境での子競り合いが絶えないようだ。
後は周りに小国がいくつか。地理的な関係も含め、それぞれの特色も一応頭には入っている。
「アーロン、明日はまた狩り?それとも村に行く?」
夕の食事の時、そう尋ねた漣に帰って来た答えは意外な物だった。
「明日あたりは多分知り合いが来る。先週手紙が届いた。」
そう、この世界にはなんと郵便制度があった。元の世界のように個人で手軽に使えるほどには発達したものではなかったが、それなりの金をつめば金額と大きさに応じて(宅急便のような大きな荷物は駄目だ)郵便使に運んでもらえた。もちろん途中でなくなる率はかなり高いので、貴重品を送る者はいなかったが、郵便ギルドという特殊な国家間を超えたギルドが介在しているとのことだ。
「知り合い?昔の?」
「ああ、若い頃からのな。腐れ縁ってやつさ。ボドウィックというやつで傭兵だ。碧の旅団という傭兵団をやっている。」
傭兵。この世界ではありきたりの職業で、平時は村を荒らす獣の狩り、隊商の護衛、盗賊の殲滅などを行っており、戦時にはもちろん国に雇われて戦場に行く。
いわゆる力技の何でも屋である。
「アーロンは、傭兵じゃないの?」
漣は不思議であった。こんな人里離れたところに住み、そのくせ武術の腕も知識も人並みはずれている。単なる狩人とは到底思えない優雅な身のこなし。大体狩人が、宮廷作法やダンスを知っている訳がない。
「昔やっていた頃もあるがな。」
この話になると、アーロンは口が重かった。
「いずれ話す時が来る。さあ、片付けるぞ。」
井戸からの冷たい汲み置きの水で、食器を洗いながら漣は先ほどのアーロンの言葉をかみしめていた。話す時?それは自分がここに来た事と何か関係が?
あーだめだ、いくら考えても分からぬ事を放棄し、漣は皿を磨いた。
その男がやってきたのは昼までもう少しという、太陽がほぼ昇りきったあたりだった。
「よう、アーロン。」
親しそうに、漣と剣の打ち合いをやっていたアーロンに声をかけた男は、とにかく背が高かった。年は40台半ば頃か、アーロンよりずっと若い。
「元気そうだな、ボドウィック。」
「お前もな。ところでそいつが、以前の手紙にあった例のやつか?」
「ああ、まあ入れ。馬はいつものところな。漣、飯にしよう。用意してくれ。」
そう言って、裏手の小屋に馬をつないだ後、二人は家の中に入っていく。
漣も急いで体を拭き、食事の用意をするため後に続いた。
「聖王国はどんな感じだ?」
「相変わらずだな。帝国との小競り合いはいつもどおりだし、白銀にも動きはない。」
「帝国の方も?」
「ああ。ただ、どうやらまた色々と集めだしているようだ。あれを探すのもずいぶん熱心だな。」
そんな会話を背中に聞きながら、漣は昼飯のパンとハムを用意する。
「開戦が近い?」
「いや、準備はまだまだのようだがな。ここがどっちへ動くか。」
「シャイアは動かんよ、多分。向こうからくれば別だが、今動く理由がない。」
物騒がせな話に、思わず聞き耳を立てていた漣も口を挟む。
「戦争が起こるの?」
「いや、まだ大丈夫だ。どちらも準備ができてない。」
「どちらって?」
「帝国と、聖王国さ。まあ、なるようになる。」
大振りのハムを口で噛み切って、もぐもぐしながらボドウィックが答える。
「そういえば、来年開かれる武闘大会に聖王国のミスファリア王女が来るらしいぞ。」
「ミスファか。綺麗になったかな。確か今、14歳か。」
目を細めながら懐かしそうにいうアーロンに、漣は不思議な思いを抱いて聞き返した。
「アーロン、知り合いなの?そんな偉い人と。」
その漣の問いに、あっという表情を見せたアーロンの顔を見て、ボドウィックが声をかける。
「まだ話してないのか?アーロン。」
「ああ。先へ進むためには、もうそろそろかなとは思っていたが。」
「まあいいさ。俺が必要になったら言ってくれ。」
いぶかしげな漣に、その時答えは与えられなかった。
「昼からいっちょ手合わせするか?」
ボドウィックの誘いに、アーロンも、
「そうだ、こいつは両手剣を使う。相手をしてもらってみろ。」
そう言う事なら、もちろん漣に異存はない。
そんな訳で、昼から初めての両手剣と対峙する事となった。
一撃が重い!!スピードや切り返しはアーロンの剣の方が早いが、一撃一撃にかかってくる重さはその比ではない。
「まともに受けるな、受け流せ。」
「片手剣の特徴はスピードだ。それが生かせてない。」
次々とボドウィックの声が飛ぶが、それどころではない。まともに当てると手が痺れ、危うく剣を取り落としそうになる。
「フェイントからの切り返しをもっと早く!!」
何が片手剣はスピードだ?ボドウィックの操る両手剣はそのスピードにおいて、漣の片手剣に全く負けていない。いやむしろ、その剣戟の重さも相まって、漣は何もさせてもらえないまま、剣をはじき飛ばされた。
「どうだ、こいつは?」
アーロンが、漣の剣を拾って、ボドウィックに声をかける。
「片手剣にしては、一撃が重いな。お前これは軽くないか?」
「ええ、もう少し重くても大丈夫です。」
漣としてはちょっと物足りなさを感じていたのも事実である。むしろ、剣道の経験から片手でふるう事に違和感もあった。
「こいつは、こっちの方がいいぜ、アーロン。」
「俺もそう思っていた。ただ、俺はな。」
「お前の両手剣は、あれだものな。分かった、今度俺んとこへ寄越せ。こいつはパワーもスピードもある。仕込んでやるよ。」
「アーロン、あれって?」
ふと疑問に思った漣が聞き返す。
「へっぽこってことだよ。」
「おいおい、それはないだろ。普通程度には使えるぞ。」
またの再会を約束して、ボドウィックは去って行った。ひと仕事終わり、また傭兵団に戻るようだ。
いつか両手剣を教えてもらう、漣にまた一つ楽しみが出来た。
片付けをして、体を拭いているとアーロンが声をかけてきた。
「レン、食事の後ちょっと話がある。」