盤上遊戯
「チェックメイトじゃ」
「く……」
スーツを着た大柄の男が頭を抱えて唸る。一方、反対側に座っている、チェックメイトを宣言した少女はニコニコ顔だ。頭の上の狐耳もひょこひょこと機嫌良さそうに動いている。
「約束通り、100万ドルは妾のもの、じゃの?」
「……」
「どうしたのじゃ?」
男は無言で指を鳴らす。すると、扉が開いて次々に黒服の男たちが入ってきた。男たちの手には黒光りした銃が握られている。
と、大柄な男が突然笑い声を上げた。
「はっはっはっ! お嬢ちゃん、ちょいとお遊びが過ぎたなぁ? ここまで俺をコケにしてくれるとは思わなかったぜ」
「ふむ……」
男は嫌らしい笑みを浮かべながら少女に近づいていき、顎をクイっと持ち上げた。
「お嬢ちゃんが勝ったら100万ドルを渡す。俺が勝ったらお嬢ちゃんを好きなようにする。そういう約束だったな?」
「うむ。そして妾が勝った。故に100万ドルは妾のもの、と――」
「俺は約束を守るたぁ一言も言ってねぇぜ?」
男が少女を突き飛ばす。少女はよろめきながら椅子に座った。
「珍しい狐耳の化け物だ。その道のマニアには高く売れる。逃がすわけがねぇだろう?」
「ほう。つまり、そなたは最初から約束を守るつもりはなかったと?」
「そう言ってるだろうが! いつまでもすました顔ができると思ってんじゃねぇぞ!」
男が急に凄む。普通の少女ならばそれだけで泣き出してしまいそうなほどだったが、狐耳の少女は表情一つ変える気配がない。
大柄な男は苛立ちを露わにして部下に命令した。
「おい! この小娘を連れて行け! 少しくらいなら可愛がっても構わねぇが、くれぐれも傷物にはするなよ?」
命令に従い、部下が少女の方へと歩き出す。すると、唐突に部下の動きが止まった。
「おい、何してやがる。さっさとしねぇか!」
「い、いやボス、体が――」
部下は声を震わせながら喋っていたが、その言葉も突然途切れてしまった。不審に思った別の部下が近づこうとするが、その部下もまた動かなくなった。
「何の冗談だ! てめぇらふざけてるとタダじゃおかねぇ―― な、何だ、体が動かねぇぞ……!」
怒って立ち上がろうとした男だが、体が動かないことに気づく。辛うじて動かせるのは頭だけだ。
ふと、目の前の少女と目が合う。少女はゾクリとするような妖艶な笑みを浮かべた。
「ようやく気づいたか。そなた、なかなか鈍いのう」
「な、何をした!」
「体を動かせぬようにしただけじゃよ。永遠に、の」
男の顔が青ざめる。よく見てみると、部下たちは瞬き一つすることなく、微動だにしていない。まるで石になったかのようだった。
「これで、チェックメイト。約束通り、100万ドルは妾のものじゃ」
「た、助けてくれ! 100万ドルなんて言わねぇ、俺の全財産をくれてやる。だから命だけは――」
「――妾は嘘つきとむさ苦しい男は嫌いじゃ」
まるでゴミを見るかのような蔑んだ目つき。その光景を最後に、男の意識は永遠に途絶えた。
身長的に不釣り合いなほど大きいジュラルミンケースを抱え、少女が建物から出てくる。
ここはニューリーズのウィリアムズ5番街。大物マフィアであるカステラーノ・ファミリーの根拠地だ。ローティーンにしか見えない彼女が歩くにはこれほど危険な街はないのだが、少女は臆することなく通りを歩いていた。
腰あたりまで伸びたブロンドの髪、透き通るような白い肌、そして何より目立つ狐耳。これほど存在感を示していながら、通りを歩く人相の悪い男たちは、少女に目をやることすらしていない。
「所詮、唯人に過ぎぬか……。つまらんのう」
少女は不満そうな顔で通りを真っ直ぐ進んでいく。と、そこへ一人の青年が立ち塞がった。髪から靴に至るまで全身黒ずくめという異様な出で立ちだが、何より腰に下げた二本の刀が存在感を放っていた。
「ぬ? そなたは……?」
「ようやく見つけたぞ、化け狐……! 父上の仇!」
叫ぶやいなや、青年は腰に下げていた鞘から刀を抜き、いきなり少女へ斬りかかった。一方、反応する間もなかっただろう少女は、それでも手に持ったジュラルミンケースで刀を見事に防いでいた。
同時に少女が青年の胸元に手をかざす。それだけで青年は通りの反対側へと吹き飛ばされた。青年はビルのシャッターを突き破り、周囲の男たちは何事かと目を向ける。
近くにいた男がおそるおそるシャッターに空いた大穴から中をのぞき込む。
「暗くてよく分からねぇな――」
男が首を傾げた瞬間、突風が吹き荒れ、思わず尻もちをつく。周囲の男たちは立ち続けに起こった不気味な現象に震え上がり、蜘蛛の子を散らすように去って行った。
残されたのは、シャッターの大穴を見据える少女ただ一人だけだ。
「なかなかしぶといようじゃのう。ほれ、出てこぬか」
少女がからからと笑いながら声をかけると、シャッターの中からほこりまみれになった青年が姿を現した。驚くことに、青年は傷一つ負っていない。
「唯人ばかりと思っておったが、なかなか骨のある人間もおるではないか。楽しくなってきたぞ」
満面の笑みを浮かべる少女に対して、青年は無表情のまま少女を見据えている。その目は、まさに狐を狩る猟師の目だ。
「ふむ、見た目もよいし、気骨もあるが、その目はいただけぬのう……。どれ、くり抜いてやるとするか」
笑顔で物騒なことをのたまった少女は、ジュラルミンケースをその場におくと、目にもとまらぬ速さで青年へと駆け寄っていった。長い爪をむき出しにして、その手を青年の目へと向ける。
だが、青年は表情を変えることなく刀を構えた。爪と刀がぶつかり合い、耳障りな音が鳴り響く。つばぜり合いは体格に劣る少女の方が優勢だ。青年はじりじりと押しやられていく。
「その程度かの? もっと妾を楽しませよ!」
少女が腕を思いっきり振り下ろす。押し負けた青年は、再び遠くへ吹き飛ばされてしまうが、くるりと後転して姿勢を立て直した。
「ほう! 今のはなかなかよいではないか!」
少女はあくまで余裕な態度を崩さず、青年を挑発する。青年はやはり顔色一つ変えることなく、普通の人間ではあり得ない速さで少女へと突進していった。再び刀と爪がぶつかり合う。だが、今度は少女が爪を横薙ぎにしたことで刀が根元から折れてしまった。
青年はバックステップで少女から距離を取って、二本目の刀に手をやったが、それと同時に少女の長い爪が青年の目の前にかざされた。
「チェックメイト、じゃ。なかなか見所はあったが、妾には及ばなかったのう」
「……」
ニコニコと笑う少女に対して、青年は無表情のままだ。先ほどまでは冷静なだけだろう、と思っていた少女も、さすがに命の危機に瀕してもなお表情を変えない青年の姿に不審を抱いた。
「何とか言ったらどうじゃ? うん?」
「……チェックメイト、か。それはこちらの台詞だ!」
青年はそう叫ぶと、刀を鞘から抜く。途端に、少女は力が抜けていくことに気づいた。
「な、何じゃ! ……まさか!」
「ようやく思い出したか? これはお前を封じていた神刀。お前を再び封印しようと挑み、死んだ父の刀だ……!」
「貴様、あの陰陽師の息子か!」
少女がそれまでの余裕をかなぐり捨てて距離を取り、鬼のような形相で青年を睨んだ。並の人間ならその一睨みで失神しそうなほどの威圧感を放っているが、青年は涼しげな笑顔を浮かべている。
「これならばお前も余裕ではいられまい。観念するがいい」
「おのれぇ……! 妾に傷を負わせた、あの不届きな男の息子め……! 食い殺してくれるわぁ!」
少女の腰から尻尾が出てくる。九つの尻尾はゆらゆらと揺らめいていた。
「臨む兵、闘う者、皆、陣列べて前に在り!」
「小童がぁ!」
目を金色に光らせた少女が振りかぶって青年に襲いかかる。九字を唱えた青年は、それを神刀で迎え撃った。
夜の街に凄まじい閃光が走る。突風が吹き荒れ、木々が根元から倒れていく。二人の男女を中心に巻き起こった衝撃は、街全体を包みこみ――
――そして、静寂が戻った。