5. 昼間の宴
休日の午後、幸枝と直子は久子の部屋に集まっていた。久子の髪を明るいイメージに染めようと、二人で押しかけたのだ。
幸枝は、この間の夜の話を身振り手振りで直子に話して聞かせた。
「それで、こうなったんですね」
直子がTシャツの襟を人差し指で引っ張りながら、久子をみて笑った。
「そうそう、せっかくだもの。若返って、楽しまなくちゃね」
「そうねぇ、働く女性としては、綺麗でいたいですねぇ」
綺麗でいたいとはいうが、直子のように自営業の客商売とは違って、単なる事務員なのだ。しかも、離婚したばかりで人生を謳歌しようなどと、四十歳も後半の久子には考えもつかないのだ。
「客商売って言っても、塾だから子供相手ですよ。それをいうなら、幸枝さんの方がもっとはっきりとした客商売じゃないですか」
確かに、幸枝は誰も否定しようのない、客商売だ。人の目にさらされているだけに、自分を磨くことには貪欲なようだ。
ということは、どうやっても二人にはかなうはずはないのだ。
「私はこのままでいいのに」
小さな声で異論を唱えるが、二人には聞こえない。
「でさぁ、山内さんって背の高い人が来たんだけどね。結構、久子に興味があるみたいで、いい感じだったんだぁ」
「じゃぁ、新たな出会いってことですか?」
「久子はその気が無いみたいだけどね」
直子がもったいないと言いたげに、久子を見た。塾の先生の割りにミーハーなのだ。
「もったいないと思うなら、直子が付き合えばいいよ。私は男っぽい顔立ちは好きじゃないのよ。大体、離婚したばかりなのよ」
「離婚したから遊べるんじゃないの」
即座に幸枝が否定してきた。確かに、結婚していたら遊べないのだが・・・。
「何?その人、男っぽい顔立ちなんですか?」
幸枝が思い出すようにゆっくりと言葉をつないだ。
「そうねぇ、男っぽいという表現で合ってるかどうかは分からないけど、土建業に多そうな顔立ちね。背は高いわよ、シャツから出てた腕も筋肉質で、頼りがいありそうだったわね」
「いいですねぇ。そういう人がいると、荷物運ぶ時に助かりますよね」
直子も時々、とんちんかんな回答を出してくる。
「荷物もいいけど、筋肉質の腕ときたら・・・」
幸枝が思い出しながら、うっとりしている。
「筋肉質でも筋張っていても、私はあの顔が好きになれないわ」
久子が、そろそろ時間じゃないかしらと時計を見た。直子が小さく頷くと、風呂場へと久子が移動する。
「それで、久子を変身させようと思ったんだけど。髪の色を変えて、後はどうしようか」
幸枝がそばにあった広告を手にした。それは、幸枝が働いているショッピングセンターの広告だ。
「この中に入ってるお店で洋服買うと、社員割引が利くんだけど」
「じゃぁ、私の欲しい服も幸枝さんに買ってきてもらったら、安くなるってことですか?」
「そうなるわね」
風呂場からシャワーの音が絶えず聞こえてくる。
「じゃぁ、今度買ってきてくださいよ」
「どれを買ってくるんだか分からないから、難しいんだけど」
「それもそうですね、じゃ写メってきますから、それを買ってきてくださいよ」
安くなると聞いて、直子が執拗に食い下がってくる。塾の経営者とは思えない執念だ。
「塾っていったって、子供相手ですからね。そんなに、儲かる仕事じゃないですよ。大手の進学塾のようには行きませんよ」
なるほど、確かにそうかもしれない。と話していると、やっと久子が現れた。その髪は、赤みの強い栗毛といった感じだろうか。
「素敵じゃないですか!」
直子が言うと、幸枝も納得しているらしく、首を上下に動かしていた。
「ありがとう、自分じゃ分からないけどね」
皮肉のつもりなのか、久子が肩をすぼめて言った。
「後は、洋服とか口紅とか靴とか・・・バックも欲しいわよね」
幸枝が久子を見て、思案しながら言うと、久子が大仰に手を振ってダメダメと首を振る。
「冗談じゃないわよ。そんなに好き放題洋服やら、バックやら靴なんて、買えるわけ無いじゃない!」
「そりゃそうよね。みんな貧乏人なんだから、それは分かるわよ・・・でもさぁ、せっかく独身になったのに、おばさんのままでいいの?」
幸枝が久子の体を嘗め回すように見て言った。
「・・・それは、いいとは思わないけど・・・でも、お金がないのよ。どうしようもないわ」
「そうねぇ」
幸枝と直子が目を合わせながら、仕方がないよねと語りあっていた。
「でも、髪の色を変えただけでも、少しは変わるってもんじゃない」
幸枝が直子に同意を求めると、直子が大きく頷いて見せた。
「山内さんから連絡はあったんですか?」
直子はその後の展開が気になるらしく、山内の連絡状況を確認してきた。
髪をタオルではさみながら乾燥させていると、幸枝が久子の代わりに山内のことを話し出した。
「それがさぁ、早速山内さんから電話があったんだって。明日会うことになったのよね」
まるで自分のことででもあるかのように、嬉しそうに話している。それを久子は横目で見ているのだ。久子は逆に他人事だ。
「だから、少しでも若くってことですか」
直子がしたり顔で頷いている。
「でさぁ、問題は洋服よねぇ」
「久子さん、どんな服を持っているんですか」
「・・・どんなって、普通の服よぉ」
「普通って言っても・・・例えば、オネエ系とか・・・お姉系とか・・・おねえ系とか」
直子が、考えながら言葉にするが、どれもオネエ系であることは同じだ。
「言い方を変えてるだけじゃない」
幸枝が笑いながら言うと『考え付かないから』と直子が笑った。
「どんなのを着ればいいのかなぁ」
久子が自分の洋服を思い描いているのか、宙に目を向ける。
「そうねぇ・・・こんな時は、やっぱり・・・」
幸枝が立ち上がると、台所へと足を向ける。狭いアパートの一室だ、台所までは二歩も歩けば到着する。その台所の冷蔵庫を勝手に開けて発泡酒を手に戻ってきた。
「やっぱり、それですね」
直子が笑いながら発泡酒を受け取った。久子も『昼間だよ』と言いつつ、やはり受け取っている。
三人集まれば、素面で相談などありえないのだ。
三人がプルタブを開けると、缶の縁をコツンと合わせ『かんぱーい』と言葉を発する。
勢いよく発泡酒を喉に流し込み、三人三様『うまーい』『おいしいー』『んー、これこれ!』と言葉が飛び出す。
本当に飲ん平ばかりが集まったものだ。
「ビールと言う名の発泡酒。貧乏人のつよーい味方よねぇ」
幸枝が缶をじっくりと眺めながら発泡酒に感謝してみせた。
「確かに、貧乏人の味方ですけど、うちの冷蔵庫には発泡酒なんて入っいてませんよ。発泡酒があるなんて、贅沢です!」
と、発泡酒が金持ちの飲み物だと主張する直子だ。
「直子の冷蔵庫には何が入っているの?」
久子が面白そうに聞いてみた。
「うちは、私専用にパックで煮出したウーロン茶が、つめたーく冷えてます」
「なんで、直子専用なのよ。子供たちだって、飲むでしょ?」
久子が不思議そうに聞いてきた。
「子供たちは麦茶です。ウーロン茶は焼酎と割って飲むので、私専用です」
「ウーロンハイね!美味しいわよねー」
幸枝が、瞳を輝かせて参加してきた。
「確かに、2リットルの焼酎にウーロン茶の方が安いかも・・・。でも、ちゃんとパックを煮出すところが手間掛けてるよね。ガス代掛かるじゃない」
まさかガス代まで言われるとは思わなかったが、久子もかなりシビアだ。
「ガス代かぁ・・・。やっぱり、水出しパックにしたほうがいいのかしら」
水かお湯かで盛り上がる。この辺は、さすが貧乏人の集まりだ。
「で、何を着るかよねぇ」
散々、ウーロン茶だ、お湯割りだと騒いでいたが、しっかりと元に戻るところが凄い。
幸枝が久子を見て、聞いてきた。久子は『さぁ』と小首をかしげている。直子は直子で「つまみは無いんですか?」と冷蔵庫に頭を突っ込んでいるのだ。
「つまみは・・・ジーパンくらいかなぁ」
久子が、直子と幸枝に同時に返事をすると。
「つまみにジーパンはきついですよぉ」
と、直子。そりゃそうだ。ジーパンは食えない。
「そうじゃないわよ」
飲み始めたばかりなのに、大笑いの久子と直子。それを、バカだねぇという顔で幸枝が見ていたが、再度冷蔵庫へ向かう。直子をどかして冷蔵庫を物色している。他人の冷蔵庫に入っているものでもお構いなしだ。
「たくあんがあるよー」
「チーズとかないんですか?」
「チーズは無かったなぁ。高いんだもん、チーズって」
久子は自分の冷蔵庫だけに、詳しい。
「チーズは無いけど、スルメならあるよ」
「スルメの方が高価じゃないですかー」
洋服の話はどこへ行ったのだろう。
幸枝がスルメとたくあんを持って戻ってくると、なにやらブツブツと言っている。
「幸枝さん、何言ってるんですか?スルメとお話でもしてたんですか?」
またしても直子のトンチンカンだ。
「スルメと会話できるほど、外国語が堪能じゃないよ」
いや、外国語が堪能でもスルメと話をするのは無理だろう。
ひとしきりスルメで盛り上がると、やっと本題に入ったが、結局ジーパンとTシャツが無難だろうということに落ち着いた。
何のためのアルコールなのか、理解に苦しむが彼女たちはこれでいいのだ。
「明日かー・・・」
久子が発泡酒を口元に持っていきながらつぶやく。
「何よ、明日は休みなんだから、問題ないじゃない」
久子のつぶやきを耳ざとく聞きつけた幸枝が口を挟む。
「だって・・・約束はしたけど、面倒なんだもん」
「ほらまたー」
幸枝と直子が久子を睨む。
「睨まないでよぉ」
二本目の缶を手にしながら、幸枝が強い口調で久子に攻撃だ。
「あんたはねぇ、いっつもそうなんだよ。デートとかっていうと、面倒とかって。一人目の旦那の時も二人目の旦那の時も、最初のデートは面倒だったじゃない」
「そうなんですか?もったいないー」
直子がもったいないを連発すると、久子が『直子が代わりに行く?』と聞いてくる。
「直子に譲ってどうするのよ!直子は直子で、それなりの人がいるでしょ!」
「えー!そうなの?」
初耳の久子はびっくりだ。
「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか。私だって、独身ですから。彼氏の一人や・・・一人や・・・一人・・・い・いますよ」
なぜか、一人を強調している。
「一人を三回ってことは・・・やっぱり一人しかいないってことじゃない」
幸枝が皮肉な笑いを浮かべる。
「幸枝さんみたいに、何人もいながら、本命がいないよりはマシです!」
「本命なんて、必要ないのよ!私はみんなのものなの」
「ものは言いようですね」
険悪なムードだ。
「それなら、私も多数派に転身しようかしら」
と、険悪なムードが一変する。
「なんだか、直子・・・変わったねぇ」
会話を聞いていた久子が、ボソッとつぶやく。つぶやくことが多い。
「久子、つぶやくならツイッターだけにしなさい」
これまた、年齢のわりに今風なコメントを出す幸枝。
「ツイッター、やってるんですか?」
直子がまた乗ってくる。どこまで行っても会話が終わらない。さすがに三人寄るとかしましい。
「でもさぁ、私がいないとマグロが可哀想じゃない」
マグロの名前が出て、自分の話だと分かったのか、マグロが顔を向ける。窓辺で気持ちよさそうに寝ていたのを、起こされた気分らしい。眉間にシワがよっているのが分かる。
「昼間会うだけなんだから、可哀想も何も無いでしょ。それだったら、仕事のときはどうなのよ」
さすがに年長者だ、即効痛いところをついてくる。
「仕事のときは、仕方ない・・・から」
ひるむ久子に尚言葉の矢が飛ぶ。
「マグロのせいにしないの!」
マグロがゆっくりとそばに来ると、座っている久子のひざに手を乗せてきた。
「ほらぁ、マグロだって寂しいってぇ」
「そうじゃないでしょ。ねぇ、マグロ。これよねー」
そういうと、マグロの前にスルメを差し出して振り振りしてみせる。
「またぁ、あげないくせに、止めなよ。本当に、幸枝は意地悪だよねぇ」
「でも、犬にスルメってダメなんじゃないんですか?腰抜かすでしょ?」
直子がマグロを見ながら言うと、幸枝の瞳が光った。
「そうなの?!」
「ダメ!」
久子にはよく分かっているのだ。幸枝の性格で、瞳が光れば次は行動あるのみだ。
「そんなことしたら、幸枝でも許さないからね!」
「そうですよ。一本くらいじゃ腰抜かすわけ無いじゃないですか」
「直子!余計なこと教えないでよ」
久子が直子を睨むが、それを聞いた幸枝がじっとマグロを見つめている。
「ダメですよ、幸枝さん。スルメは高いんですからね」
久子が『そうじゃないでしょー』と頭を抱えると、幸枝と直子が大笑いだ。心なしか、マグロにまで笑われたような気がした。
「まったくもー」
久子が、三本目の缶に手を伸ばした。
空き缶が昼間のテーブルに並ぶが、休日の午後ということもあり、誰も気にしない。
外では梅雨の晴れ間なのか、夏のような空が広がっている。
「明日も晴れかねー」
幸枝が面白そうに、久子の背中をたたいた。